彼のシャドウはマリオネッテの夢を見るか?
「俺たちの事を幸せだと思うか?」
血の色をした瞳で僕の心を見透かす影。
「俺たちのことを羨ましいと思うか?」
生まれながらにして決められた運命を。
今はもういない君の瞳があんまり純粋で綺麗だからまっすぐに僕を見るから僕は目をそらした。
「あっ……、達哉っ。ん、は……ぁ」
まるで自分の声じゃないような淫猥な響きに僕は羞恥心を覚えた。恥ずかしくてシーツを咥えて声を押し殺す。
初めて達哉と体を重ねて以来、もう何度も抱いてもらったけど、いつまでも僕の羞恥心は消えなかった。いや、羞恥心が消えなかったんじゃない。達哉に抱かれる事に慣れなかったのだ。いつも僕は達哉に触れられるたびに胸にかすかな罪悪感を感じた。
罪悪感は僕が達哉と馴れ合うのを禁ずる。この罪悪感がある限り、僕は何度達哉に抱かれても慣れる事はないだろう。何度口づけされても僕は君に僕の心のすべてを開放する事が出来ないだろう。
ごめんなさい、達哉。
君はどう思うだろう?
僕が、
君に抱かれている時にほかの男のことを考えていると知ったら…。
「やぁっ! ンッ」達哉の大きな手が僕のからだを愛撫していく。自分の手の感触と違う男らしい少しざらざらした感触。首筋、二の腕の柔らかい部分、脇腹、背中……、僕をじらすように優しく僕の感じる部分を探り当てていく。僕よりも達哉は僕の体の事を良く知っているようだった。達哉はまるで幼い子供が玩具で遊ぶみたいに僕の体を残酷にもてあそび、僕が快感に悲鳴を上げると残酷に目を細めた。
どうして?
僕は誰にとも無く疑問をぶつけた。いつもの達哉はとても優しい。目が合えばいつも優しい瞳で僕を見ている。手荒な事をされた事など一度も無いし、むしろ僕に優しくしてあげたいという達哉の気持ちがいつも伝わってきて僕を恐縮させるぐらいなのだ。
なのに、どうして?
それが僕を抱く時は違った。優しかった瞳は残酷で冷酷なものに変わり、快感に狂い「許して」と泣いて懇願する僕を情け容赦なく無視して理性を粉々に壊した。
苛立たしげにこちらを見たかと思うと血が出るほど噛みつかれたり、羞恥心を煽るような事をさせたり、わざと乱暴に僕を扱った。
達哉がそれを好んでしている訳じゃないのは明らかだった。冷酷な瞳で僕を観察していたかと思うと、はっと我に帰ったように表情が変わる。側で見ていても痛々しいぐらいに傷ついた表情をし、血が出るほどに唇を噛むのだ。
でも、達哉がそんな表情を見せるのはほんの一瞬の事だった。僕に見られたくないと思って入ることは明白で、それだけに僕は困惑した。
何故わざと僕を傷つけるの? 君のほうこそ、そんな事をしてそんなに傷ついているのに……?
僕は一度も嫌だとは言わなかった。何をされてもおとなしく従った。僕の心にある罪悪感は達哉に対する負い目となり、僕は達哉にして欲しいとも言わなければ、嫌だとも言った事は無かった。僕は達哉を愛していたから、どうしても無くしたくなかった。嫌われたくなかった。
なのに君に抱かれながら僕はほかの男の事を想うのだ。
なんて矛盾だろう? おねがい達哉、僕の秘密に気づかないで……。僕を嫌ったりしないで。
僕は自分がどうしようもなく汚くて卑怯だと思った。僕は達哉を騙しているくせに綺麗ぶってる。達哉に自分の汚いところを見られたくなくて必至に演技している。
だから僕はまっすぐな君の瞳を受け止める事が出来ない。
「何を隠している?」心臓が止まるかのようなショックが僕を襲った。今、耳元でかすかにそう囁かれたような気がしたのだ。慌てて目を見開いても、耳元に達哉の姿は無かった。罪悪感からくる幻聴だろうか……? と僕はぼんやり思った。
達哉は僕の体にキスを落している。手の次は唇で、舌で。僕の胸の敏感な部分を執拗に舌で愛撫し、悪戯する様に軽く噛んだ。くちゅ……と音を立てて達哉の舌がぬるりと動いた。達哉の舌と充血した僕の桜色の突起が透明に濡れて唾液の細い糸で繋がってるのが見えた。僕はまたあられもない声をあげる。
「ッツ……!」
僕は小さな悲鳴を上げた。達哉が僕の鎖骨のあたりを強く吸い上げ、軽く噛み付いた。
めちゃくちゃにして欲しかった。理性も何もかもぶち壊して、人間じゃなく、欲望と肉の塊になってしまえば、罪悪感など感じなくなってその時こそ本当に君のものになれる気がした。君が僕を壊してくれれば、僕はどんなに楽だろう……。
でも、君が傷つくからそうはしたくない。もう僕は逃げないから、もう少ししたらきっと忘れるから、あとほんの少しだけ待って……欲しい。
「淳……」達哉がそう言って口付けた。先ほどからの愛撫で僕の体はたまらなく達哉のからだを欲しがっている。達哉の背中に手を回しぎゅっと抱きしめ、足を達哉の腰に絡めた。
もしかしたら、ここで僕を抱いてくれるのは達哉じゃなくって君だったかもしれない……。
ほら、また僕は達哉以外の男のことを考えている。
僕がまだジョーカーだった頃、君は生まれた。どうやって生まれたのかは判らないし、判ろうとも思わなかった。ただ、気がつけば側にいて、僕は父の言う事をただ信じ、彼らを受け入れた。
生まれたばかりの君はただの人形で、本当にただの単純な影にすぎなかった。
本体にとって変わることだけが存在する目的の影。
僕はそう思って疑ってなかったしもっと酷いことを言えば道具に過ぎなかった。
周防達哉の影なんて当時の僕は見たくも無かったし、本当のことを言えば、影とはいえ達哉に会うのは恐ろしかった。
僕がシャドウに会う事など無かったし、別段向こうも僕に会う必要は無かった。僕は意識的にシャドウのことを考え無いように勤め、すれ違う時も平静を装った。
なので、君が僕の部屋に来た時は正直戸惑った。
「何の用だ?」冷たさを装った僕の声。薄い氷のようなものだ。表面だけかろうじて固まって見せているが、その下の僕の感情は戸惑って揺れていた。達哉と同じ顔をした男、周防達哉のシャドウ。達哉であって達哉でないその矛盾に僕は対処しきれなかった。
「おまえに、会いたくて」シャドウはそう一言だけ言うと僕の心を見透かすようにじっと見た。
「何か要望があるのだったら直接僕じゃなくて……」
「ちがう」僕がたまらなくて誤魔化すように言い、目をそらしかけると、シャドウは苛立たしげに頭を振った。シャドウの口数は最初極端に少なくて、達哉のシャドウは良く喋る(というか悪態をつく?)と聞いていたので少し惑った。これでは、これでは本物の達哉みたいじゃないか?
「俺が用があるのはおまえだ」
「さっさと言え、僕は忙しいんだ」僕はイライラして言った。周防達哉とおなじ顔をした男とこれ以上一緒にいるのは御免だった。心が乱される。達哉を憎みながらも、魅かれる自分に気がつきたくなかった。
「俺たちの事を幸せだと思うか?」シャドウは唐突にそう言った。前後の脈絡も無くそう問われ、僕は二、三回瞬きしたあと、じっとシャドウの顔を見た。シャドウが何を考えているのかちっとも判らなかったのだ。
「おまえは……、自分で考えるのが嫌だったんだろう? 自分で自由の責任を取るのが嫌だったんだろう? だからあの男に身を任せたんだろう?」僕は黙っていた。答えられなかったのだ。シャドウが言った言葉は、他人が聞いたらなんだか判らない事だろうけれど、僕には彼が何を言っているか判った。それは、僕がひた隠しにしていた僕の現実。シャドウは知っている。僕がいろいろな事から逃げ出した事を。僕が一番知られたくない心の奥の汚い部分を彼は知っている。それを唐突に言われて僕は無言でシャドウの顔を見つめた。
「あの男の言う事に従えば、自分で考えずに済む、責任を取らずに済むと思ったんだろう。その生活は幸せか?」僕は良く動くシャドウの口をじっと見た。たまらなく不快だった。達哉とおなじ顔でそう言う男を今すぐ殺してやりたい。シャドウに言われた事は図星だった。考えたくなくていつもそれを考える事を避けていた。それをいきなり突きつけられてイライラは募る。
「俺たちは最初からそんな自由を与えられてはいない。本体を倒して取って代わらないと俺たちに明日は無い。俺達の人生は決められてるんだ。俺達は考えなくて良い、決められたレールの上を走るだけだ」そう一気に言ってシャドウはまた赤い血の色の瞳で僕のほうをじっと見た。シャドウたちが欲しがっている自由や自我、それらを僕は自ら手放した。シャドウたちにとっては、僕はとても皮肉な存在だろう。
僕は、怖かったのだ。自分で自分のした事の責任を取る事が。
僕が捨てたものを必死で求めるシャドウたちの姿を見ると、何故だか感じる罪悪感に胸が痛んだ。
だから、僕はシャドウに会いたくなかった。
「俺たちの事を羨ましいと思うか?」怒っているのか、嘲りに来たのか? と思ったが、シャドウの口調にもその瞳にもそんな感情は浮かんでいなかった。
何故? 僕は理解できなかった。理解できないから余計に怖い。
「お前達のような人形を羨ましいと思うわけが無いだろう!」
僕ははき捨てるように叫んだ。弱い子犬がキャンキャンほえるように精一杯虚勢を張って。この期に及んで僕が馬鹿にしていたシャドウに見得をはるなんて、とても滑稽だった。だれど、僕はそうするしかなかった。それぐらい卑怯で小さな人間だったのだ、僕は。
「人形? 俺達の事を人形と言うのなら、お前も人形だろう?」
シャドウは、そんな僕を血の色の瞳でじっと見つめた。シャドウは僕から目線をはずそうとはしなかった。僕に侮辱されたにもかかわらず、彼からは怒りを感じられなかった。ただ、そこにあるのは少し眉をひそめ、考え込むシャドウの理解できないと言う表情だけ。
「何が言いたい!」
反対に僕の方が声を荒げた。声がみっともないほどに上ずっている。怖い、怖い怖い。それ以上触れて欲しくない。声を荒げるのは、臆病さの裏返しだ。シャドウの無慈悲さは、純粋さの裏返し。彼にはまだこの感情が判らない。
「お前は樫原の人形だ」
声を震わせる僕を表情の無い目で見つめ、シャドウは淡々とそう言った。シャドウはただ事実を述べただけ。ただ、それは僕がひた隠しにし、誰にも触れて欲しくなかった事実。誰もが知っていたが、僕には誰も言う事の無かった事実だ。シャドウだからこそ僕に言えたたのだろう。彼にはまだこの汚い感情は判らないのだ。だから言える。
ダークサイドに生まれたくせに、彼は滑稽なほど純粋だった。
その純粋さは、僕をとても傷つける。
その一方でとても僕を魅きつけた。
「お前に何が判る……」
僕は低い声で呟いた。もう泣きたいような気持ちだった。僕のプライドはズタズタにされ、嘘で幾重にも包んでいた僕の心は剥き出しでシャドウの前に生々しい傷口を晒している。その手で弄び、握りつぶしてしまえばいい。
達哉にならそうされてもいい。達哉になら、壊されてもいい。
ふとそんな気持ちになった。達哉を憎んでいると言ったはずなのに、脆くなればすぐ本音が出てくる。
僕はとても惨めで小さい。
「そんな顔を……するなよ」
その声にふと顔を上げると、シャドウが困ったような表情で僕の方を見ていた。
「俺のせいか? 俺はどうすればいい?」
「……お前のしたいようにすればいいだろう」
僕はそう言い、また俯いた。
「判った」
シャドウの声が聞こえると同時に、すっと僕の顎に手がかけられた。戸惑う間もなく、手に導かれるままに上を向くと、シャドウの端正な顔が僕に近づき、そっと口付けた。
最初はぎこちなく、僕が抵抗しないと判ると、優しく何度も口付けた。そのキスはとても優しくて、僕は一瞬何もかも忘れてキスに溺れた。
「どういう意味だ? お前は僕を嫌っているはずでは?」
僕はかすれた声で尋ねた。理解できない。シャドウは僕を嫌っているのだとばかり思っていたから。
「判らない」
シャドウが少し不快そうに顔をしかめて言った。シャドウもまた、自分が何故そんな事をしたのか判っていないのだろうか?
「この気持ちは何だ?」
今度は逆にシャドウが僕に問い掛けた。
「お前を見ると、イライラする。だけど、気がつけば俺はお前をいつも目で追ってる。お前の事ばかりを考えている」
心臓が止まるかと思った。シャドウは、僕のように自分の気持ちを偽る事をしない。怖くないのか、彼は? 僕に傷つけられる事を恐れないのか?
僕にとっては、シャドウの言葉は蛮勇としか思えなかった。
「その答えが知りたくて、俺はお前の所へ来た」
そう言って、真っ直ぐ僕の瞳を見つめる。
僕が君を傷つけたらどうするつもり? と僕は心の中で少し意地悪く問い掛けた。無知が故の彼の恐れを知らぬ純粋さが憎い。傷付けられる怖さを知ればいい。と
「答えは見つかった。俺は、お前が欲しい」
「僕はお前に何もあげられない」
シャドウははっきりとそう言った。答えとは、なんだ? 僕は混乱した。まさか、シャドウがそんな事を考えていたなんて。何も考える事の出来ない人形が答えを探して彷徨っていたなんて。考える事が出来なかったはずのシャドウがここまで成長し、こんなにも深く考える事をしていたのだ。考える事のできる体と心がありながら、僕はそれを拒否したというのに。
そして、それが、僕?
僕は瞬間的に彼を否定した。
シャドウでは、シャドウでは駄目だ。シャドウでは僕の飢えを満たせない。
「何故だ? お前はすでに周防達哉のものだからか?」
シャドウが苛立たしげにそう言った。赤い目が僕を睨みつけた。
「違う!」
僕は叫ぶ。その事を認めたくは無かった。シャドウでは駄目だと思った理由。
僕の飢えは達哉でしか満たせない。シャドウを否定した瞬間、僕はそう思ったのだ。僕がいくら自分の心を偽って誤魔化しても、僕の本音はこうした瞬間に這い出てくる。
その時僕は自分のずるさと汚さ、小ささを思い知る。
「ならば、奪うだけだ。お前が誰のものであろうとも」
あまりにも矮小な僕に、シャドウはそう言った。信じられなかった。こんな僕をそれでも欲しいといってくれた彼が。表面だけ綺麗に繕った部分でなく僕の汚い本質を見て、それでも欲しいといってくれる。
何故? 何故君はそんなに強く、優しい?
明日の命も保証されていない儚いシャドウなのに。
僕はシャドウが信じられなくて、彼の赤い瞳をじっと見詰めた。その奥に何があるのか見極めたいと、注意深く彼の瞳を覗き込んだ。
「俺がこの世に存在した時からそうだ。この気持ちは俺のものなのか? それとも、周防達哉のものなのか?」
シャドウがゆっくりと僕にそう言った。
「俺は不安なんだ。今、俺が持っているもの全ては周防達哉が築き上げたものだ。俺が周防達哉を殺した時、俺はその後どう生きればいいんだ? 何をして良いか判らなくなるのではないかと」これまで達哉が作り上げたものの上にシャドウは居る。だが、達哉を殺したら、今度は自ら作り出さないといけないのだ。その存在意義を。いきなり与えられた自由に戸惑うのも当然だろうと思った。だが、僕がやったのは、皮肉げな笑みを浮かべて虚勢を張る事だった。
「お前らしくないな」
いつもふてぶてしいのがシャドウ、そうだろう? 僕にそんな弱い所を見せるのは止めてくれ。君を憎めなくなる。君に共感したら、僕はまた辛くなる。
勝手な事を考えて、僕は彼を突き放した。
「俺らしくない? ならば、俺らしいとはなんだ? お前らしいとはなんだ?」
僕の言葉に、堰を切ったようにシャドウがそう言った。僕の腕を掴み、僕の瞳を覗き込み、真剣な目をして僕に、自分にそう問い掛ける。僕は頭がくらくらした。シャドウの真剣な心が僕を窒息させる。僕が逃げていた現実を突きつける。だが、彼は逃げようとしない、それに真っ向からぶつかろうとしている。
「お前、今まで逃げつづけて来たんだろう?」
シャドウが僕を抱きしめた。息もつけぬほど、強く。身動き一つ取れない僕の耳元でそう囁いた。
「ならば、俺と此処から逃げよう……」
シャドウの熱い体温が、僕の体の中に溶けてゆく。シャドウの言葉に、びくっと僕は見を震わせた。
ここから逃げる。
なんて甘美な響きだろう。ジョーカーとしての罪も、責任も、僕を慕ってくれた人々も何もかも捨てて、ここから逃げる。
「卑怯者は卑怯者らしく、全てを捨てて落ちるところまで落ちると良い。俺はお前に付いて行く」
シャドウはそう言うと、僕の耳に軽く噛み付いた。甘い痺れが全身に走り、このままその快感に身をゆだねてしまいたい強い欲求が僕を突き動かす。だが、僕はその欲求に飲み込まれることは無かった。もっと大きな恐れが、流されそうな僕を捕まえて呼び戻す。
「やめろ、無理だ!」
一瞬の甘美な夢に酔い、その後は現実に引き戻された。恐怖と辛い事ばかりの現実に。
その時僕はやっと気が付いた。僕の現実は、父さんが言ったような美しいものじゃないと。理想と言う言葉で綺麗に飾られたものの実際は、僕にとってこんなに辛くて酷い。僕は何のためにジョーカーになったのだろう。そう思うと自分の存在自体が酷く揺さぶられた。
「怖いのか? 臆病者め。俺が楽にしてやると言ってるんだぞ」
シャドウが僕を挑発するようにそう言った。僕は揺れていた。初めて父が信じられなくなった。事態はいつ父の言うように好転するのだろう? いや、しないのかもしれない。
だって僕はこんなに辛くて苦しい。そうはっきり認めることができた。父が嘘を言うはずがない。辛いのは自分が未熟なせいだ。大いなる理想を実現するためのほんの些細な犠牲だ。と思っていた。だがそれは、今まで僕は自分を誤魔化していただけにすぎなかったのではないかと。初めて気がついた。
僕は間違っていたんじゃないのか?
「やめろ! 止めてくれ! 達哉と同じ顔で僕にそんな事を言うな!」
耐え切れずに僕はそう叫んだ。達哉の顔をして誘惑するシャドウ。僕の心をバラバラにする。今まで信じていたものが音を立てて崩れていく。本物の達哉でなきゃ満たされないと思った側から、シャドウのその甘い言葉に付いて行きたいと僕の本心が叫んでいる。
僕が欲しいのは達哉か? シャドウなのか?
達哉に似てるからシャドウを求めるのか? それとも……。
「やはり、オリジナルか……」
苦々しいシャドウの声に、僕ははっと我に返った。
「俺は……、自分が不完全な事を判っている」
苦しげにそう言うと、すがるように僕を見た。僕は彼がそう認めることが信じられなかった。
「俺には何かが足りないんだ。オリジナルにあって、俺に無いもの」
辛そうに、苦しそうにそう言い、唇をかんだ。なにをしても達哉には敵わないという悔しさがにじみ出るようだった。
「俺は、お前を手に入れることでその何かが得られるんじゃないかと思う」
何もかも射抜くような鋭い瞳でそう言って僕を見た。暗闇の中を手探りしながら、それでも一歩一歩前へ進んでいくシャドウ。その先には、本当に彼だけの何かが有るのかもしれない。そう思わずにはいられないほど、彼の瞳は真剣だった。
「……」
僕は押し黙った。シャドウの強さに比べて、僕はどうだろうか? 彼の真剣さに答える事に怯え、何よりも僕は彼に相応しくないとそう感じた。迂闊に返事など出来ない。
「俺が周防達哉を殺した後は、お前が欲しいという事だけが、俺の生きる目的だ」
黙りこくった僕を責める事もせず、彼はそうはっきりと宣言した。
それが彼の探り当てた真実の尻尾。
「俺がどれだけ必死かお前に判るか? 自分を甘やかせて逃げつづけたお前に」
シャドウがすっと目を細めながら僕にそう言った。その言葉に心臓を貫かれるような気がした。
「逃げるな。俺を見ろ。俺を認めろ」
目をそらそうとする僕の顎を掴み、シャドウは僕の目の中を覗き込んだ。シャドウの体温が熱い、シャドウの目の奥にある燃えるような感情の塊が熱い。僕はその赤い瞳に思わず魅了され、目が離せない。身動きも出来ないまま見惚れると、シャドウがふと僕の首筋に噛み付くように口付けた。
「痛っつ!」
痛みに思わず声を上げる。荒々しい、野性的なキス。自分で見ることは出来ないが、きっと僕の首筋に刻みこまれたのは、彼の迸るような情熱の赤。
「これが、証だ。俺がいたという証だ」
囁くようにそうシャドウが言った。何かに酔ったように僕の頭がじんと痺れる。シャドウも何かに酔っているようだった。息が熱い。体温が高い。僕を見るシャドウの瞳が、シャドウを見る僕の瞳が夢見るように潤んでいる。
「この証が消える前に、周防達哉を倒して俺はお前を抱きに来るよ」
僕はとうとう小さく頷いた。彼の情熱に攫われ、翻弄され、酔わされた。こんな僕をこんなにも激しく求めてくれる唯一の人。僕もまた、シャドウの強さに強く魅かれた。シャドウか達哉か。この世にはどちらか一人しか存在できない。その現実さえも僕は一瞬忘れた。いや、たとえ覚えていたとしても、僕はその時シャドウの言葉に頷いたかもしれなかった。
「その時が、俺が本当に俺になる時だ。周防達哉のシャドウではなく……」
僕が聞いたシャドウの言葉は、それが最後だった。
僕が欲しいのは、達哉か、シャドウか。その答えも出ないまま。
彼は負けたのだろうか?
だとしたら何に?
達哉に? それとも自分の運命に?
言おうとしていえなかった言葉、僕と交わした君との約束は何処へ行ってしまうのだろうか。
彼はもう居ない。どこにも。
僕は達哉を裏切り、シャドウを裏切っている。
行き場の無くなった約束が僕を苛む。
洗面台にひとしきり胃液を吐き出した。時々僕の体は耐え切れなくなり、拒絶反応を示す。達哉に傷つけられるほど激しく愛された後、僕は達哉が眠ったのを確認してそっとベットから這い出した。
なるべく声を立てないように胃の中のもの(と言っても胃液ぐらいしかなかったが)を吐き出し、一息つくと、目の前の鏡に醜く歪んだ僕の姿が映っていた。
髪の毛は乱れ、目は真っ赤に充血している。口元は赤く濡れて光り、自分でもびっくりするほどに卑猥だった。
情けない姿に思わず自分で自分を笑った。こんな姿をシャドウに見られたら、彼は僕を蔑むだろうか?
彼に会いたい。
僕は無意識のうちにそう思った。
赤い目をした呪われた存在。誰からも愛される事無く、道具として生まれおちた存在。
それでも君は僕を愛していると言ってくれた。誰からも与えられる事が無かった君が、僕に愛を与えてくれた。
君は何処にいるの?
鏡の中の自分を見ながら、そう問い掛けた。
「!」
鏡に映る自分の青白い喉元をみて、息が止まった。
慌ててパジャマと髪を掻き分け、もっとよく見えるように鏡に近づく。
首筋に、赤い口付けの痕。
君がつけたところと同じ。この赤いあざは君がいた証拠。
その時僕は悟った。達哉の中に、シャドウは確かにいるのだと。
ああ、君はそんな所にいたんだね。
達哉の中に、君は確かにいたんだね。
僕は声を殺し、彼のために初めて泣いた。これまではシャドウを忘れようとしていた。シャドウを思うことは達哉を裏切る事だと思っていたのだ。
だけど、そうではない。達哉はシャドウ、シャドウは達哉。
この赤い証が、シャドウが、僕にそう教えてくれた。
その事で苦しむ必要は無いと言ってくれた。
僕は、心の中の罪悪感が、氷が溶けてゆくように小さくなり、やがて消えていくのを感じた。
ああ、達哉。
僕はこれで本当に君のものになる事ができる。
立っていられなくてずるずると僕はその場に座り込んだ。涙が止まらなかった。嬉しくて、切なくて、後から後から涙が出てきた。
涙が僕の汚いものを全て洗い流してくれればいい。
まっさらな綺麗な心と体で、こんどこそ君のものになるよ、達哉。
ENDE
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