◆血の滴るような、レア・ステーキ◆





「今晩、何を食べようか、達哉?」

 僕は、スーパーのかごを手に取りながら達哉に問いかけた。
 当たり前だけど、僕たちは戦いばかりをしているわけじゃない。学校にも行かなきゃいけないし、家の手伝いや、バイト、舞耶姉さんは仕事もこなさなきゃいけないのだ。もちろんそれに伴う日々の生活もあって、こんな風にスーパーに買い物に行ったりするんだけど。
 うう〜ん……。世界が危機に直面してるときに生活感漂ってるけどしょうがないよね。僕達だって生活があるんだし。

「…………」

 達哉が無言でお肉売場に向かった。ん、もう……。たまにはお野菜やお魚も食べて欲しいんだけど……。
 もともとお互い一人暮らしだった僕と達哉だったんだけど、達哉のあまりにもひどい食生活ぶりに僕が通いでご飯をつくってたのが、だんだんめんどくさくなっちゃって、今じゃ半同棲状態。だらしないかなって思うんだけど、僕は達哉のそばを離れたくないし、達哉もそれでいいって言うし……。だって、達也ったら、コンビニで買った弁当とかパンしか食べてなかったんだから。そんなんじゃ悪魔との戦いで体をこわしちゃうよ。

「…………」

 達哉が無言で僕が持ってるかごの中に、お肉のパックを入れた。神戸牛ステーキだって! 達哉ったら、最初からこれを狙ってたな……。僕に止められると思って……。

「ステーキが食べたいのかい?」

 無言でうなずく達哉。その瞳には並々ならぬ決意が……。本気なんだね、達哉……。しょうがない、達哉のバイト料も入ったことだし、悪魔相手にお金をいっぱいぶんどったことだし、今日はステーキにしよう。そのかわり、付け合わせのお野菜もきちんと食べてもらうからね。

「ただし、こっちね」

 僕はにっこり微笑んで、神戸牛を棚に戻し、もうちょっと安いお肉(しかも500円引き!)を手に取った。





「はい、どうぞ召し上がれ」

 さっきから待ちどうしいのかキッチンをうろうろしていた達哉を座らせる。ほんとに飢えた獣みたいなんだから……。一緒にいると達哉のこんな意外な一面を見ることができるから嬉しい。達哉って、以外とこんな所が子供。僕が達哉のことかわいいと思ってるって知ったら怒るかな? 

 それにしても、高校生と言うか達哉の食欲にはほんとにびっくりさせられる。僕は元々小食なタチだし、栄吉は体形を気にしてあんまり食べないようにしてるんだけど、達哉は別。桁違いに食べるんだから。まあ、達哉が一番戦ってるし、体も大きいから、たくさん食べてもらわなくちゃね。

「……いただきます」

 元々しつけのいいお家で育ったんだろう、達哉がきちんとそういって、待ちかねたようにお肉を口に運ぶ。焼き方はもちろん、血の滴るようなレア・ステーキ。
 ほとんど生のお肉を達哉の犬歯みたいな歯が切り裂き、咀嚼して飲み込む。生肉の色と、達哉の歯の白さが鮮やかに対比していて、そうして達哉の食べる様子を見ていたら、ふと、達哉って、肉食獣だな……って思う。
 大きくて強い、誇り高い獣。黙っていたって、圧倒的な存在感で周りを威圧する。それでいて優しい。百獣の王ライオンって感じだよね。達哉って前世は絶対肉食獣だ、うん、ライオンに違いない。

「あ! またお野菜を食べてない!」

 今晩のメニューは、ステーキと、サラダ、ポタージュスープ。早々と無くなったステーキに比べて、手を着けていないサラダと付け合わせの温野菜……。全く、こんなところまで肉食獣しなくていいのに!

 達哉は元々、好き嫌いはないみたいなんだけど、一人暮らしをするうちに、好きな物しか食べない悪い癖が付いてしまったみたいだ。これは良くない、この悪癖をなんとか僕が矯正しなくちゃ。達哉の調教……なんてね。やだな、僕何考えてるんだろ……。でも、良いかも……。トーサクしてるかな? なんて考えていると、達哉が物欲しそうな目つきで僕の皿を見ている……。まさか……、嫌な予感。

「あ! 僕のお肉取った! ……まあいいよ、あげる……ってあ〜〜、野菜!」

「代わりにやる」

 んも〜〜! 達哉! 僕の分のお肉まで食べるなんて意地汚い! しかも自分の付け合わせの野菜を僕の皿に入れるし、子供かい、君は! ほんとに勝手なんだから……。と思うけど、おいしそうに僕の皿から分捕ったお肉を食べる達哉を見てたら許してしまう僕……。
 ほんっと達哉に甘いよね。あ〜、僕って、調教師に向いてないのかもしれない。達哉を調教なんて夢のまた夢だぁ……。





「え! 達哉、何? ……何見つめてるの……?」

 夕食が済んだ後、何となく二人で過ごしてると時間がたつのが早い。お風呂から上がって、そろそろ休もうか……というとき、達哉が僕をじっと見ているのに気が付いた。何なんだろ……。あの目は……、獲物を狙う目つきっぽい。もしかして狙われてる? 僕。

「うわっ! ちょっと、達哉!」

 ななな、何するんだよ、達哉! 達哉がいきなり僕を軽々と肩に担ぎ上げた。うわわわ……。

「あんなところにぼーっと立ってる淳が悪い。俺を誘惑するからだ、あきらめろ」

 誘惑? してないっ! 断じて! けして! 絶対! ぼーっとなんて……はしてたかもしれないけど。こんなに軽々と抱え上げられては、僕にも一応男のプライドってのがあるんだからね! 男らしい達哉には解らないんだろうけど、こんな事されると、僕の劣等感が……、う、小さいのって損。
 くっそ〜、十年計画で達哉を超えてやる。夢は叶うよね、舞耶姉さん!

 悔しくって、じたばた暴れてるのも無駄な抵抗。僕は達哉の巣(ベットなんだけどね)に連れ込まれた。優しく達哉が僕をベットに横たえる。うう、僕食べられちゃうのかな? 
 達哉が僕をじっと見ている、どこが一番おいしいか値踏みしてるみたいだ。といきなり僕のほっぺたをベロンとなめた。味見してる……。

「淳、いいか?」

 今更達哉が僕に同意を求めてくる。僕が食べられる気満々なの知ってるくせに……。僕はかすかに頷くと、返事の代わりに達哉を引き寄せて口づけた。





 開いたカーテンの隙間から、月の光がベットの上の僕や達哉を照らす。今日は月の光がやけに明るい、満月なんだろう。
 かすかに明るい蒼の空間の中で、僕を組み敷いてる達哉のしなやかな背に、腕に、月光がふりそそぎ、不思議な陰影を作っている。若くてどう猛な美しい肉食獣。
 ああ、綺麗だな、達哉は……。
 僕の体を夢中でむさぼる達哉がたまらなく愛しい。
 達哉の飢えを満たせるのは僕だけ。そう信じても構わないかい? 心の中でそう問いかけると、僕の体を愛撫していた達哉がふいに顔をあげた。僕と目が合うと、不機嫌そうににらんでくる。その目をすっと細めたかと思うと、何を思ったのか……。

「っ!」

 達哉が僕の肩にかみついた。僕の体は達哉の付けたキスマークでいっぱいだ。この体は俺の物だと言う達哉の主張。

 おあいにくさま。このくらいで僕を手に入れようなんて甘いよ。キスマークの次は噛みつかれてしまった。キスが駄目なら歯形を付けてやろうってのかい?。

 ずきん、ずきんと鈍い痛みが僕を襲う。でもそれは……決して不快な物ではなく、甘いうずきに変わる。多分血が出てるんだろう。達哉が噛みついた箇所を舌でなめあげる。達哉は僕の全てを奪おうとしている、僕の全てをむさぼり食うつもりなのだ。

 僕……達哉に食べられてる……、という奇妙な納得と実感。それでいい、いっそ達哉が、あの、血の滴るようなレア・ステーキのように、僕を全て食べてしまえばいい。そうして僕は達哉にかみ砕かれ、溶かされて、達哉の血となり肉となり、達哉の一部になるのだ。
 達哉と一つになる……それはなんて甘美な響きなんだろう? もし、僕の命が達哉を生かすのなら、僕の命が達哉の一部となるなら、僕は歓んでこの身を捧げる。
 ……ああ、何を考えてるんだろ……僕。訳が分からないよ……今の僕はやっぱりおかしい。妙なことばっかり考えている。達哉が食べられる痛みをごまかす麻酔代わりにくれる快感が僕を狂わす。幸福感が微熱に浮かされたように、僕の思考をぼやけさせる。達哉! 達哉! 達哉!

「淳……」

 僕の心の内を見透かしたように達哉が僕の名前を呼んだ。達哉の声も熱い。ふふふ、お互いおかしくなっちゃってるんだね。もう何したってもうそれは僕たちのせいじゃない。だって、二人とも理性なんてとっくにどこかへ捨ててしまったみたいだから。

 達哉の手に口紅が握られている。あれは……舞耶姉さんとリサが僕にいたずらしたときに使った奴……。ベットの脇に置きっぱなしにしてあったそれをとったのだろうか。達哉も相当おかしいみたいだ。さっきから変なことばかり考えてる僕も達哉のこと言えないけど。

「おとなしくしてろ……」

 達哉がそういうと、僕の手足を押さえ、自由を奪う。手にある真っ赤な口紅を僕の唇に慎重なおももちで塗りたくった。使い道がないんじゃないか? と言うほどの毒々しい真っ赤な口紅。ずいぶん唇からはみ出している感触がする。きっと僕はひどい顔だ。

 達哉の顔が僕に近づいてくる。噛みつくような野性的なキス。僕もそれにこたえた。そうして長いことお互いの唇を味わう、たまらなく幸せ。達哉にも僕の口紅を分けてあげる……。
 ようやくお互いを解放すると、僕の思惑通り、達哉の口元が濃淡のある赤に染まっていた。獲物を食らったばかりの肉食獣が血で口元を汚しているように。今の達哉にふさわしい化粧だよね。
 満足した僕は、達哉の胸元に唇を寄せる。悪戯するように、軽く噛みついたり、舌で転がしたり、だんだん下へと舌をはわせる。
 達哉がきゅっと眉をひそめて顔を上向けた。達哉……僕に感じてくれてるの? 僕は嬉しくなってさらに行為をエスカレートする。
 達哉はしばらく僕の好きにさせてくれていたけど、やがて、僕を達哉の上からベットに移した。指先や、舌で軽く僕を愛してくれると、達哉が僕の中に入ってこれるように長い指先で僕の体を慣らし始め、それだけで、もう僕は身も世もなく声をあげてしまう……。こんな恥ずかしいところ、達哉の前でしか見せられないよ……。解ってるの、達哉?

 達哉が体を起こした。手に持った銀色の包みを歯で噛み切る。月光がぎらりと銀色の包みに反射した。僕から見ると達哉は逆光でよく見えない、僕を愛してくれるときの達哉は、優しくて、とても残酷だ。今もきっとそんな顔をしているのだろう。

「淳、好き……だ……」

 達哉は僕に口づけると、僕の中に入ってきた。……達哉、こんな時にしか好きって言ってくれないんだから、現金な奴……。

「んっ……達哉っ……、あ、愛してる」

 ふんだ、君が僕を想うよりも僕のほうが達哉のことずっと好きなんだから。
 達哉が僕の中に入ってくると、快楽と圧迫感に達哉の背中につめを立ててしまう。ほとんど本気だけどちょっとだけ意地悪して意図的に力を込めた。
 達哉だって僕の体にあんな事したんだからいいよね? 僕が学校で着替えるときにどんなに気を使っているか……。達哉も冷やかされると良いんだよ。
 仕返しのように達哉が動いた。僕は悲鳴を上げる。さっきまで、達哉に全てを奪われて空っぽだった僕に今度は達哉がそそぎ込まれる、僕は達哉でいっぱいになる。まるで二人ともどろどろに解けてしまって、一つになってしまったみたいだ。
 熱い……どこからが僕の体でどこからが達哉の体なのかもわからないくらいの一体感を共有する喜びこそがこの行為の意味なのかもしれない。なんて思う……。

「達哉……」

 僕は熱で潤んだ瞳で達哉を見た。手を伸ばして達哉のかすかに汗ばんだ頬に触れる。
 達哉がそっと僕の瞼にキスをした。そのまま僕の頬に、首筋に、胸元や肩にキスの雨を降らせる。最後に、僕の唇へ長い長いキス。
 それでやっと僕を解放してくれるのかと思ったら、僕に軽く腕を回したままだ。逃がさないぞって事なのかい? そんな事しなくても僕は逃げないのに。なんて思っていても、僕は達哉の束縛が嬉しい。達哉が僕を逃がしたくないって思ってくれてることが嬉しい。

「ご苦労様」

 僕が言うと達哉がちょっとだけ嫌な顔をした。

「……ムードがない」

 あ、ごめんね。

「もうちょっと甘えてみろ」

「嫌だよ、達哉、すぐ欲情するじゃないか」

 淳は俺のことをそんなに獣みたいに思ってたのか? ……なんて達哉がすねている。嫌だ……なんて言ってる僕も全身で達哉に甘えてるし、達哉もそれは解ってるのだ。甘えるのが好きな僕と、甘やかすのが好きな達哉。でも……たまにはこういうのも良いよね。僕は達哉の腕を抜けると、逆に達哉の頭を僕の胸のあたりに引き寄せ、腕を回して抱きしめる。

「こうやって寝ろと?」

 達哉がくぐもった声で聞いてきた。

「たまにはね、良いんじゃない? 僕もされてばっかりじゃ悪いし」

「俺が好きでやってるから良いんだ、淳がそういう風に思うことはない」

「僕も好きでしてるからいいんだよ。こういうの嫌いかい? さ、遠慮なく甘えて!」

「…………」

 あ、あきれたみたい……。でも、達哉は僕の腕から逃れることなくじっとしている。
 達哉が安心してるのが肌が触れ合った箇所から伝わってきて満足する。ふふふ、この大きな動物は僕の物。僕の腕の中で達哉が安らぎを感じてくれているのがすごく嬉しい。
 達哉の腕で僕以外の人を眠らせないで、僕の腕の中以外で達哉が眠るのも許さないからね。浮気なんかしたらひどいよ。僕がネクラで執念深くて突拍子もない事するの知ってるだろう? 僕が変な事しないように見張ってて。

 僕は起こさないようにそっと達哉を抱く手に力を入れた。僕も達哉もお互い確かに好きで相手にいろんな事してあげてるんだけど、見返りなんて求めるのは筋違いかもしれないんだけど、やっぱり相手の喜ぶ顔が見たいよね?
 達哉は僕を喜ばせてくれるけど、僕も達哉を喜ばせてあげたい。達哉が苦しいときは、僕はいくらでも力になるし、僕が苦しいときはそばにいて欲しい。一方的にしてあげたり、されたりするのってよくないよ。疲れちゃうし、自己満足の罠にはまってしまいそう、第一、フェアじゃない。やっぱりお互い、対等の立場でないと成り立たないと僕は思う。
 僕は守られてばっかりじゃいやだ、与えられるばっかりじゃおもしろくない。

 だから、そんなふうに……、お互いをバランスよく奪ったり与えたり、求めたり、求められたり。きっと僕たちはそれでうまくいってるんだ。

 ねぇ、達哉、僕が君のそば離れないって言うのは、つまりそういうことなんだよ?


                                                     ENDE

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