夏祭り








「アンコ、どうしたの?」

 浴衣を泥まみれにし、膝をすりむいたまま、木の下で膝を抱える幼い少女を見つけて、大蛇丸がそう声をかけた。

 髪の毛はぐしゃぐしゃ、元は綺麗だったであろう浴衣は泥がつき、所々破れている。

自分よりはるかに年上の悪ガキにからかわれ、かっとなって取っ組み合いのけんかをしてしまったのだ。普段なら何人で囲まれようともアンコの敵ではなかったが、いつもの仕返しにと、相手はアンコの綺麗に着飾った姿に泥を投げつけ、わざと浴衣を引っ張った。お気に入りの浴衣が汚されるのが嫌で、庇っているうちに少し怪我もしてしまったし、浴衣ももう二度着られないほどにされてしまった。

「お祭りにも行かないで。楽しみにしていたんじゃないの?」

「いいんです。行かないんです」

 大蛇丸の言葉にも、俯いたままアンコがそう言った。この格好のまま行ける訳がない。ケンカには勝ったが、折角綺麗な浴衣を着ていたのに、台無しになってしまった。

 いつも男勝りなアンコも、お祭りに綺麗な格好をしてうきうきしていたのに、その気分をぶち壊しにされたあげく、踏みにじられたのだ。楽しみにしていただけに、落胆も大きかった。

 一緒に行こうね。と約束した友達との約束が胸を締め付ける。

 悔しくて、悲しくて、涙が出そうになるのをぐっと堪えた。

「全く、血の気の多い子ね」

 アンコがけんかをしたのはお見通しのようで、大蛇丸がアンコの顔を覗き込み、呆れたようにそう言った。

「こんな日に喧嘩しちゃ駄目だろ」

 大蛇丸にそう言われて、あんな奴らにやられた自分が情けなくて、思わずぐすっと鼻を啜った。バカな挑発なんかに乗るんじゃなかった。

「……おいで」

 俯いているアンコの目の前に、すっと手が差し出された。優しい言葉に慌てて俯いていた視線を上げると、大蛇丸が口元に笑みを浮かべてアンコに手を差し出している。

 訳がわからずに二、三回瞬きしたが、やがておずおずと大蛇丸の手の上に自分の小さな手を乗せた。そのまま大蛇丸が何も言わずに手を引いて歩き出す。アンコは戸惑ったが、結局何も言わずについて行くことにする。

 アンコの手を握った大蛇丸の手は滑らかで、ひんやりとしてとても心地よかった。



「いつまでも拗ねてないで、支度するわよ」

 大蛇丸の家に通され、まだ訳がわからずアンコが戸惑った。落ち着かない目で大蛇丸を見ると、大蛇丸は桐の箪笥の中を物色している。どうしようと思っている間に、大蛇丸が目的の物を見つけたらしく、箪笥の中から分厚いたとう紙に包まれた着物を出してきた。

広げると、鮮やかな赤の浴衣が出てくる。

「あ、えっ、あの……、先生」

「いいのよ、綱手からお前のために貰ったものだから」

 大蛇丸がアンコのために浴衣を用意してくれたと知って、アンコが慌てた。

 もったい無くてどうしようと思ったが、大蛇丸がわざわざアンコのために用意してくれたと知って、喜びが隠せない。赤くなったままもじもじとしていると、柄を見せるようにぱっと浴衣を広げ、大蛇丸がアンコの顔を見た。

 それはとても上等な反物で作られた綺麗な浴衣で、新品ではなかったが、大事にされていたのが判る。色も柄も綺麗なその浴衣を一目でアンコは気に入った。だが、それを自分みたいなものが着てもいいのかと戸惑う。

「さぁ、これを着てみなさい」

「でも。私が、こんな……」

遠慮してまた何か言いかけたアンコを無視して、大蛇丸がアンコの汚れた浴衣を手早く脱がし、体を拭いて新しい浴衣を羽織らせた。

「ありがとうございます……」

 アンコが嬉しさを隠せない顔でそう小さく呟く。やはり、女の子だから、綺麗な浴衣を着られるのは嬉しい。アンコの嬉しそうな顔を見て、くすっと大蛇丸が笑った。

慣れた手つきで着付けをし、帯を結ぶため大蛇丸に後ろから抱きつかれるような格好になると、仄かに大蛇丸の体から立ち上る上品な香の香りが鼻腔をくすぐった。

 いい匂い……。とアンコがうっとりとそう思った。

「かわいいじゃないの」

 着付けると、出来を見て大蛇丸が満足そうににっこりと笑ってそう言った。尊敬する先生にそう言われて、柄にもなくアンコが真っ赤になる。

「さ、髪も結ってあげるからこっちへいらっしゃい」

 そう言われて鏡台の前に座らされた。自分が変じゃないかと恐る恐る鏡を見ると、綺麗な浴衣を着て真っ赤な顔をした自分が映っている。

 ピンを口にくわえ、柘植の櫛で大蛇丸がアンコの髪をゆっくりと梳った。大蛇丸の細くて長い指がアンコの髪の毛にもぐる。その心地よさに思わず目を閉じた。

「アンコ、お前、髪を伸ばしなさい。その方がかわいいわ」

 そう言った大蛇丸の言葉に、邪魔だから。とあまり長く伸ばしていなかった髪を伸ばそうと決心した。

先生がそう言うのなら、そうする。

もっと大蛇丸に好かれたくて、大蛇丸に気に入られたくて、アンコがそう心の中で呟いた。

目を閉じてなさい。という大蛇丸の言葉に従うと、軽くおしろいをはたかれた。お化粧するのは何故だかとてもドキドキする。

 鏡台の小さな小箱から、はまぐりの入れ物を取り出す。蓋を開けると、はまぐりの貝殻の中には、目に鮮やかな紅が入っていた。

 それを大蛇丸が指に取り、すぅっとアンコの唇に引く。

「……あ」

思わずアンコが小さな声を上げてびくっと体を震わせた。大蛇丸のしなやかな指が唇を滑ると電気が走ったように甘い感触が背筋を走る。訳がわからなかったが変な声を出してしまい、慌てて大蛇丸を見ると、気に留めてないようすなのでほっと安心する。

大蛇丸が下唇と上唇に丁寧に紅を引くと紅筆で綺麗に整える。その感触も痺れるように甘かった。

「出来た。綺麗よ、アンコ。」

 大蛇丸のその言葉に、アンコは大蛇丸に支度してもらったこの時間が終わってしまった事を残念に思っていることに気がついた。大蛇丸の手を煩わせたのは心苦しかったが、心の中でじんわりと嬉しさを噛み締めた。

「本当にありがとうございます」

「いいのよ。お前は私のかわいい弟子だもの」

 礼を言い、勢いよく頭を下げると、大蛇丸もにっこりと笑ってそう言った。大蛇丸の言葉に、アンコの中から嬉しさと誇らしさが溢れてくる。

「大蛇丸先生も、今日は綺麗ですね」

アンコがそう言い、大蛇丸を崇拝している目で見上げる。大蛇丸も綺麗に髪を結い上げ、桜の柄の美しい着物を着ていた。

 アンコが、大蛇丸にも何か特別な事でもあるのかと思う。

「フフフ。たまにはね」

 意味ありげに含み笑いをし、大蛇丸がアンコから視線を外した。

 代わりに、アンコの背を軽く押す。

「さ、行っておいで。もうケンカはしないようにね」

 大蛇丸の言葉に、思わず大蛇丸は行かないのかという顔をしたのか、大蛇丸がくいと唇の端を吊り上げて笑った。

「私は、ここで人が来るのを待つわ。大切な人が来るの」

 その声に、大蛇丸らしくない期待と熱っぽさが含まれている。また、ふっとあの香の香りがした。どこか艶かしい大蛇丸の様子に、見てはいけないものを見てしまったように、軽い罪悪感を感じながら、アンコがぺこりとお辞儀をした。次の瞬間ぱっと駆け出す。

 嬉しさでぐんぐん駆けて行くと、ゆっくりと歩いている火影と出合った。

「おお、アンコ。よく似合っとるよ」

 にっこりと笑って火影がそう言う。誇らしく思いながら「大蛇丸先生にやってもらったんです!」と大きな声で返事をする。

また後で! と笑顔で言って、また駆け出した。

 駆けて行くアンコの後姿を、火影がにこにこと見送る。

 アンコの背が小さくなり、やがて消えると、くるりと行く方向へ向き直った。その火影の表情は、先ほどの優しい笑顔が嘘のように厳しく硬い。


 一人待ちわびている大蛇丸が、火影の気配を感じて唇に笑みを浮かべる。

早く……来て。と夢見るように小さく呟き、待ちきれぬように舌で唇を舐める。

 濡れたその唇は、紅をぬったように赤く、艶かしくぬらぬらと光っていた。まるで、獲物に喰らい付くのを待ちわびているように。


ねっとりとした甘くて重い空気が、にぎやかなお囃子と人々の熱気にかき回される。あの世とこの世を結ぶ夏祭りの宵に、明るく生を楽しむ人も、それに隠れ、ひそやかに密事も交わす人も、等しく夏の夜に生きることを楽しんでいる。



ENDE



初出 ミクロタカナのナルト本「UPEER JAM」 20030503
20050908 UP

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