◆May◆



 初夏の青々とした新鮮な緑が光を反射し、明るくて開放的な保健室の窓から入ってくる。

 保健室のすぐそばに立っている大きな木がさわやかな風にゆれるたび、木の葉の陰と初夏の太陽の光が戯れて踊る。保健室のベッドに横たわった達哉の目に、横に付き添って座っている淳の制服の上で光と影の鮮やかなコントラストが楽しげに舞うのが見えた。夏がくる前の透明な光は、夏ほどの強烈さはないが、透き通った優しさに、夏がくる期待と希望で達哉の心を微妙にくすぐる。 

 安らいでいるのは透明な太陽の光とさわやかな風のせいだけではない。白で統一された清潔な保健室に、凛とした涼しい雰囲気を漂わせて溶けこむ幼馴染の姿。窓を背にして座る淳の輪郭が、淡い光に溶けてしまうようだ。

 透明な光は淳の白い透明な肌をよりいっそう際立たせ、いつものやや硬質な近寄りがたさを優しく包む。

 幼なじみの姿をぼんやり見ていた達哉が、ふと、マリア様みたいだ……と思った。淳の表情は幼い頃見たマリア像を思い起こさせた、薄暗い教会の窓からさしこむ光に照らされたマリア像。やわらかな光に照らされて、優しい陰影を作る淳の表情は幼い頃の思い出と重なって、甘酸っぱく達哉の胸を締め付ける。

 もうちょっと淳の顔を見ていたかったが、あまり見つめても変に思われるだろう、そう考えて胸元の青い花に目を移したところ、ベッドに横たわる自分の上から、側に付き添って座っていた淳の声が落ちてきた。

「気分はどう?」

 低めの落ちついた声が囁くように聞いてきた。他に人が2、3人もいれば聞こえなくなるかのような小さな声だったが、今は二人きりだから聞こえる。達哉だけに聞こえれば良い……。とそう淳が思っているようで、なんだか嬉しさがこみ上げてきた、同時に少し気恥ずかしくて、照れ隠しに視線をわざと淳からはずす。

「大丈夫だ。こんな所で寝てなくっても、ただのかすり傷だし……」

「かすり傷だって! 僕を心配させといて良くそんな事が言えるね」

 淳が達哉の言葉にそう言って軽く睨んだ。達哉が自分の傷に無頓着なのも、上級生に絡まれて理不尽なけんかを仕掛けられた事も気に入らないらしい。達哉にとってはこのくらいの怪我は日常茶飯事だったので、たいして気にも留めなかったが、殴り合った後の達哉の怪我を見た淳は、まるでこの世の終わりでも見たような真っ青な顔で目を見開き、傷を洗っただけで済ませようとする達哉をとんでもないと叱り飛ばして保健室まで追いたてた。
 そんな経緯があったので、このくらいの傷で大げさな……というような気持ちと、淳に叱り飛ばされた挙句、怪我の手当てまでしてもらった気恥ずかしさでつい強がってしまう。もちろん淳に心配をかけたくないというのが一番だが。

「だから本当に大した事無い……」

 言いかけた達哉の言葉を、聞いて無いのか無視したいのか、途中でさえぎって淳が寝ている達哉のあごにそっと手をかけた。

「口の中も切れてるんじゃないのかい? 見せて」

「大丈夫だって!」

 達哉の方に向き直り、心配そうに眉根を寄せる淳の表情から目をそらす。口の中を見られるのは妙に恥ずかしくて勘弁して欲しかったが、淳は先ほどとは一転した命令口調でぴしゃりと言った。

「口をあけて」

 到底逆らう事は許されない雰囲気に達哉がしぶしぶ口をあける。忘れていたが、淳はやっぱり元ジョーカーだったのだ。それにしても先ほどからずっと淳のペースに乗せられっぱなしだ。

「ああ……、だいぶ切れてるよ。しばらくご飯食べられないと思うから覚悟しておくんだね」

 しばらく観察していた淳が、達哉が言う事を聞いたのに満足したのか、そう言ってまたゆっくりと姿勢を戻し、何をするでもなく視線を下に向けたままでいる。

 つと淳が手を伸ばし、寝ている達哉の腕に触れた。そのまま安心させるようにゆっくり達哉の腕をなでる。左腕の傷はまだ痛んだが、右腕に感じる淳の体温は優しかった。触れられていると心地よい安心感が達哉を満たす。

 ただ達哉の側にいたいだけだから側にいる。という淳の無償の気持ちを感じて居心地が良かった。

「…………」

 達哉も何も言わない。話す必要は無いと感じたからだ。ここはお互いが無言でいても許されるし、分かり合える。気を使う必要はどこにも無い。かえって言葉はこの雰囲気を壊すようで邪魔に感じた、だから黙っておく。心地よい無言の空間がここにあるのは、そばにいる幼馴染のおかげだと達哉は思う。存在が許される心地良さを淳も感じているのだろうか?

 遠くで授業をしているのだろう、かすかに声が聞こえる。校庭でサッカーをしているのか、元気の良い怒鳴り声が聞こえる。

 塀の向こうで車が通っていく音、窓のそばで小鳥が囀る声。木の葉が風にゆれるさわさわという音。

「静かだね……」

 淳がまたそっと呟いた。それらの音は、たしかに聞こえるものの何か別の世界の事のように遠かった。周りの音や気配は聞こえるのにここは静かだ。日常からほんの少し外れ、薄い膜を隔ててここだけが別の世界のようだ。日常と切り離された二人しかいない別の空間。なんだかそれが特別な事のような気がした。

「ああ…」

 最低限の言葉で達哉が返す。この世界が壊れないようにそっと。


                                  
 ENDE

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