夏祭りの夜










 神社でお祭りがある。

 僕がそれを知ったのは、父さんと一緒にお買い物に行く時に、アラヤ神社の前を通ったからだった。

 夕暮れの中、屋台の準備をするお兄さんやおじさん、おばさんが忙しく立ち働き、今まで道路や境内だった所に、あっという間に屋台ができるのを僕は面白いと思いながら見ていた。

 帰り道、ぽつぽつと屋台に灯が入り、並んだ神社の赤い提灯がとても幻想的で、僕は訳も無くワクワクした。

「ああ、今夜はお祭りか」

 父さんはそう言い、僕に向かってニコニコと笑った。

「父さん、僕、お祭り行きたい」

「いいよ。淳がいい子にしてたら今夜連れてきてあげる」

 父さんはそう言って僕の頭を撫でた。

 それから楽しそうに、ハレの日とケの日ということを説明してくれたけど、僕には難しすぎてよくわからなかった。

 それに、僕は今夜のお祭りの事で頭がいっぱいだったのだ。



 家に帰ると、久しぶりにママがいて、今夜はママが晩御飯を作ってくれるはずだった。

 はずだった。

 だけど、家に帰ってきてすぐに、父さんと母さんは言い争いを始めた。

 何でかは知らない。

 僕は聞くのがいやで、ずっと耳を塞いでいたから。

 今までのケンカで、ときおり「淳」と言う単語が聞こえるたびに、胸が苦しくて死んでしまいそうだったから。

 僕はじっと目をつぶって耳を塞いでいた。

 どれ位そうしていただろう?

 僕はとてもおなかが減ってきたことに気が付いた。


 恐る恐る目を開けて耳を塞いでいた手をどけると、部屋は真っ暗になっていた。

 言い争いの声は聞こえない。家は不気味なほど静かだった。

 怒鳴り声が聞こえない代わり、夕食を作る暖かい音も聞こえない。

 静か。

 僕一人しかいないみたいに静か。


 僕はそっと部屋を出て、母さんの部屋に入った。





「母さん、晩ご飯……」

「煩いわね、カップラーメンでも食べてればいいでしょう?」

 綺麗な服を着て、化粧をしながら母さんは苛々としてそう言った。

 またどこかへ行ってしまうんだなと僕は思った。

 鏡の中の母さんの顔は、とても綺麗だった。だけど、僕に振り返った母さんの顔はとても怖かった。

 僕は、綺麗な母さんの顔を歪めてしまった事に罪悪感を覚え、何も言えずに母さんの部屋から出た。


 大丈夫、まだお父さんがいる。

 僕はそう自分に言い聞かせた。

 お祭り、とても楽しみだ。

 心の中で僕は何度もそう繰り返した。


「父さん、今日、お祭り……」

「ああ、淳。すまんね。今日はそんな気分じゃないんだ」

父さんは書斎に座り、いつものように書き物をしていた。

顔を上げて僕を見た父さんの顔があまりにも疲れていて、僕は口篭もった。

「でも、僕、お祭り……」

「淳、約束を破ったのは悪かった。でもお願いだよ、今日は勘弁してくれ」

 うんざりした優しい声。疲れた顔。

 僕は何も言えなくて、父さんの部屋から出た。





それから僕は、ダイニングテーブルの上に置きっ放しになっていたスーパーの袋から、父さんと一緒に買ってきた食材を泣きながら冷蔵庫に入れた。


母さんが作ってくれるはずだった夕食。

父さんが連れて行ってくれるはずだったお祭り。


どうしてこうなっちゃったんだろう?

少し前は、僕はとても幸せだったのに。


なーんにもない。

僕には、なんにもない。


透明になってしまいたい。


ふと僕はそう思った。


透明になれば、僕は誰にも気付かれない。

母さんをいらいらさせる事も無い、父さんと母さんが喧嘩する事も無い。


それに、お祭りに行ける。


僕はポケットにお小遣いを入れ、そっと玄関を開けた。

誰も出ていく僕に気が付かない。家の中は静か。

父さんも、母さんも、自分の事だけに夢中で僕に気がつかない。

僕はずっと前から、この家では透明人間だったという事にようやく気が付いた。


陽気なお囃子、浴衣姿の綺麗なお姉さんたち、屋台の威勢のいい呼び声、それといい匂い。

ヨーヨーつり、カラーひよこ、お面にクジ。

境内の人ごみの中を、僕は一人で歩き飽きもせずにそれらの屋台をじっと見ていた。

道行く人、皆楽しそうに笑っている。

誰も僕に気が付かない。

僕は本当の透明人間だ。

そう思うと、やたらおかしくなってきた。


そっと人ごみを抜け、大きな杉の木の根元で、僕はさっき買ったブラックファルコンのお面を被る。

お面を通して外を見ると、世界はまるで変わって見えた。


きっと僕は、皆とは違う世界に居る。

この世界ではないどこかに、このお面越しに見るようなもう一つの世界があって、そこには僕の本当のパパがいて、きっと迎えにきてくれる。

僕はここでは透明人間だけど、本当のパパが迎えにきてくれた世界ではそうじゃないんだ。

皆が僕を必要としてくれて、僕が皆を幸せにしてあげる。

そんな世界があるんだ。


僕はぼんやりとそんな事を考えていた。


「お前も、一人なのか?」


お面を被ってボーっとしていた僕に、不意に声がかけられた。

慌てて振り返ると、レッドイーグルの赤いお面を被った僕と同い年くらいの少年が立っていた。

顔全体にお面を被っていた僕と違って、彼は頭に乗せていて、気の強そうな瞳や整った顔がよく見えた。

体が僕より大きかったから、もしかしたら僕より年上かもしれない。


いきなり話しかけられてビックリしたけど、じわじわと嬉しさが込み上げて来た。

透明な僕に、仲間がいた。

戸惑う僕を他所に、その子は屈託無く話し掛けてくる。

同じフェザーマン好きという事もあって、普段は人見知りするのに、僕は一気にその子に興味を持った。


君も一人なの?


お兄さんとはぐれてしまった。と言ったその子は、さほど困った様子も見せずに、お前も一人なら一緒にいようぜ。と言った。


透明な僕を見つけてくれた君。


僕はその奇跡にドキドキした。

彼はきっと、気まぐれで僕に声をかけただけだろう。

でも僕には、透明な僕を見つけてくれた事が嬉しくて嬉しくて、涙がでそうだった。


お父さんにも、お母さんにも。

 誰にも見つけてもらえなかった僕を、君は見つけてくれた。


 君の前では、僕は透明じゃなくていいんだね。


 特別な君。


 夏祭りの夜、僕は、何かを失って、何か大切なものを見つけた。



ENDE



20050630 UP


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