魔法仕掛けの時刻



魔法が解けてしまうまでのほんの数年間。子供たちは無垢な心を舵に、好奇心を地図 にして、数限りない不思議を発見しつづける。
道路から死角となった竹薮の中に。
真っ暗なガードレールを潜った向こう側に。
雑居ビル立ち並ぶ通りの80cmの隙間に。
いともやすやすと、恐ろしくも胸踊る冒険の舞台を見つけ出す。
大人達は誰しも「子供の行動半径は小さいから。」と笑うだろうが、そんな言葉も小さな冒険家達の胸の高鳴りを妨げる事はできない。

達哉が漆黒に輝く髪を持ったその少年に出会ったのは、まだそんな魔法の仕掛けの刻に生きている夏の最中の事だった。


陽気な祭囃子と油が爆ぜる小気味良いリズム。
屋台を冷やかす人々でごった返す境内の中、社の影に隠れる様にしてポツンと一人立っていたその少年を達哉が目敏く見つけ出したのは、好奇心という名の双眼鏡の成 せる必然だったに違いない。
 
達哉が歩いていた石畳と少年の距離はそう遠くない筈だったが、小さなその姿はとも すれば熱帯魚の尾の様に揺れる浴衣の帯や、日の光りを反射して光る風船に隠れて しまう。
丁度8ミリテープの一齣一齣を送っているかの様に現れては消えする少年の姿は、杉の根方にもたれかかって俯いたまま、僅かにも動く気配はなかった。まるで祭りの賑わいになど全く関心が無いか、あるいは端から心踊る風景が見えていないかの様に。
 
(せっかくの夏祭なのに、ぼーけっと突っ立ってるだけなんて変な奴。)
母から渡された小遣いをとうに使い果たし、にもかかわらずまだ何か面白い事はないかとぶらぶらして達哉にとっては、その少年の様子は奇異以外の何物でもなかった。
(何やってんのかなぁ?)
そう疑問が浮かんだ時には、既に達哉は少年の方に向かって歩き始めていた。
思い付いたら即実行。行動力があると言えば聞こえは良いが、とどのつまりあまりよく考えて行動しないのだ。それが原因で失敗する事も多く、その度に年の離れた兄に呆 れられるのだが、一向にその性癖は改まらない。第一本人に全く改める気が無い。
 
今も今とていざ少年の前まで来てみたものの、何と話し掛ければ良いものか考えあぐ ねてしまう。
仕方なく言葉のきっかけを探す為に少年の様子をじっと観察する。
夏らしい木綿の白いシャツに、赤のサスペンダーの止まった紺の半ズボン。相変わら ず俯いたままのその顔には、達哉が目下夢中になっている不死鳥戦隊フェザーマン のお面をつけている。達哉が頭の右側に避けて いたレッドイーグルとは色違いの、ブラックファルコンだ。
(そっか、こいつもフェザーマン好きなんだ。)
ただそう気づいただけで、まだ一言も言葉を交わしていないというのに、まるでずっと 昔から友達だったかのような親近感が沸きだす。
急に嬉しくなって、いきなり一昨日放送された回に登場した怪人の話を始めようとした 達哉だったが、不意に何かに気を取られ口を閉じた。
少年のシャツの袖から伸びた二本の腕。それがふと、男の子のそれにしては細すぎる ような気がしたのだ。肌の色にしても、すっかり葉の影に覆われてなお白い。万遍無く日焼けした自分の腕と見比べると、まるで別の生物のようにさえ思えた。
(あれ?こいつ男・・・だよな?)
服装から当たり前の様に思っていた事に突然自信がなくなる。
もしかしたら女の子なのかも?だとしたら話は違う。
まだ達哉は低学年後半であったが、クラスメイト達はもうほとんど女子と男子が混ざりあって遊ぶ事も無くなっていた。朧げながら男女の別を意識し出す頃なのだろう。
もしこの少年だと思っていた子が、いざ声をかけてみたら女の子だったりしたなら酷く気まずい。
(どっしよーかな・・・。)
話し掛けるべきか、掛けざるべきかを決め兼ねながら頭を掻く。
思いがけず少年の方が先に口を開いたのは、丁度その時の事だった。
「君も・・・一人なの?」
依然視線を落としたままに言ったそれはまるで独り言の様な微かな声だったが、達哉としては全く予期していなかった為にやや面食らう。
しかもその声は少女のそれの様に澄んだ大人しげなものだった為、やっぱり間違えたのかと内心ドキリとした。
しかし何も答えないのも良くないと「ああ、まあな。」と返すと、まるでそれが正しいキーワードだったかのように、少年とも少女ともつかないその面が上げられた。
「そうなんだ。」
その声は相変わらず周りの喧燥に飲み込まれてしまいそうに小さなもので、達哉に対 して好意的な感情を抱いているのか、はたまた迷惑がっているのかすらはっきりしなかった。
(分っかんねぇなぁ。)
確かに達哉は好奇心旺盛な子供ではあったが、相手が嫌がっているのにも関わらず ちょっかいを出す程無遠慮な性格でもない。歓迎されてないのならさっさとこの場を去って、また別の面白そうな物を探すまでだ。
そもそも相手が男の子か女の子か判断できない辺りで、すでに戸惑いを覚えているのだし。
(他んとこ行こっかな。)
そう思いながら達哉がそそくさと踝を返しかけた時の事だった。
視界の端を行き過ぎる相手の鳶色の瞳が、微かに揺らいだように見えた。あれっと思いながら振り替えると闇色のお面を付けたその子は、また元の如く悲しげに顔を伏せてしまっている。
(何だこいつ。俺と話したかったのか?だったらそう言えばいいのに。おかしな奴。)
そう思ったら切り替えは早い。
「なぁ、お前。一昨日のフェザーマン見たか?」
名前を聞くより、名乗るより先に、少し驚いている様子の相手に構わず元気良く話し始 めた。
 
 
達哉が名前の事を後回しにしたのは、意識した上でやった事でなかったにせよ、相手と仲良くする為には結果的に良かったに違いない。何故なら少し影のあるその子供は 、自分の身の回りの事について明かす事を極端に避けたがったから。
達哉が辛うじて相手について分かったのは、自分の事を「僕」と言っている事からやっ ぱり男の子らしいという事と、見ているTV番組が似通っている事からどうやら同じくらい の年頃だという事だけだった。
その他の事は何一つとして分からない。
−名前も。
−学校も。
−住んでいる場所も。
−家族の事も。
質問を投げかけられる度、少年はどこか困ったように項垂れて、硬く貝の様に口を閉ざしてしまう。それまでどんなに楽しげにしゃべっていても。
また少年は顔を見せる事すら嫌がった。
いくら二人が木陰にいるといってもまだ夏の盛り。ただ立っているだけでも知らず汗が流れるほどの陽気だというのに、少年は決してお面を外そうとはしなかった。

とはいえ、子供の世界のルールは大人の世界のそれとは異なる。別に相手のプロフィ ールが分からなくったって、話したり遊んだりする事には何の支障も無いのだ。
故に達哉は少年から無理に答えを聞き出そうとはしなかった。お互いがもっと愉快に 話せる話題は他にも山程あるのだし。

むしろその幾つもの「秘密」は達哉の中で、この少年に対する興味の膨らし粉となっていた。
達哉のクラスメイトにも、何かにつけ秘密という言葉を口にする子もいた。が、その大体がただ勿体ぶってるだけだったり、特定の仲間との連帯感を味わおうとしているだけの事で、達哉は常々そんなものは本当の秘密じゃないと感じていたのだ。
が、目の前の少年の秘密は違う。本物の匂いを嗅ぎ取っていた。
(きっと何か深い訳があって、言えないんだろうな。)
そう素直に思ってしまったのは、少年の被っていたブ ラックファルコンの秘密めいたキャラクターが、少年自身のイメージにオーバーラップし てしまったせいだったかもしれない。

おいそれとは明かされる事はないだろう謎を秘めた少年。
そんなまるで物語りの世界でしか会う事の出来ない存在と知り合えた事に、達哉の胸はいつしか高鳴っていた。

「な、明日もここで会おうぜ。」
夕暮れ時、当然のようにそう言った達哉の言葉に、少年は微かに戸惑いを見せたもの の、やがてはにかむ様に一つ肯いた。


                    ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


夏祭の翌日からずっと、達哉はそれまで一緒に遊んでいた仲間達もそっちのけで毎日のようにその少年と会っていたが、相変わらずお面を外そうとはしなかったし、謎めい た雰囲気もそのまま・・・いや、日に日に増していくばかりだった。

そもそも少年が何気なく口にする言葉からして、数多の不思議 に満ち溢れていた。  
   
こぺるにくす。                ぺるせうす                              でるふぉい                           すぺくとる。                        あすとろのーつ。                 えうろぱ。           ころなほーる。
                                                                      
      でゅおにそす。

かつて耳にした事の無い遠い異国の音達は、少年の透明で密やかな声に包まれて、幻視の如く鮮やかな神秘の世界を次々と描き出す。


しばしば達哉は周囲の大人達から「落ち着きが無い」と注意される事があった。
実際、彼がじっとしているのは大好きなTV番組を見ている時ぐらいなものだったが、そのあまり自分から話し出す事のない少年が控えめに口を開いた時だけは別だった。
社の古ぼけた階段に並んで腰掛けながら、まるで言葉の一欠片すら取り落とすまいとするように真剣な面持ちで耳を傾ける。
例え少年が話に夢中になるあまり、取り止めも無く二十分、三十分と喋りつづけたとしても、身じろぎ一つしないのだった。

ただ達哉が少年の話す内容を理解してたかどうかといえば、また別の事だった。
だから話を終えた少年が、何か相槌を求めるようにじっと達哉の顔を見てようものなら 、途端にドギマギしてしまう。
その挙げ句に、
「がりれお=がりれいって骸骨のお化けみたいな名前だよな!?」
などとまるでとんちんかんな台詞を返してしまい、我ながら冴えない答えだったと、慣れない後悔などしてみる。

しかし幸いな事に、どんなにとぼけた返答にも少年が怒ったりがっかりした様子を見せる事は無かった。
その代わりに彼は、きょとんとしたような目で達哉の顔をまじまじと見詰め、その内弾けたように笑い出す。
その声に達哉はひどく決まり悪い思いに捕らわれるのだが、反面、普段少年はそんな風に屈託なく笑う事は滅多に無かったから、だんだん自分も嬉しくなってきて、お終い には一緒にけらけらと笑っているのだった。


そんな風に少年は達哉の知らない秘密の言葉をいっぱい知っていたが、どういう訳か達哉にとって当たり前の事は、あっけに取られるほど何一つ知らなかった。
その事に達哉が気づいたのは、神社の周りばかりにいてもつまらないと、半ば無理矢理に近くの森林公園に連れ出した時の事だった。

先ずは公園内を案内してやろうと考えた達哉は、少年を後ろに従え、蝉時雨を耳にしながら日陰を繋いでてくてくと歩いていた。
やがて公園の西端の、達哉がよく学校の仲間達とザリガニを釣って遊んでいた直径十m程の池の横に差し掛かった時である。
枯葉やら青味泥がゆらゆらと漂うそれは、お世辞にもきれいとは言えなかったが、二人と同じ年頃の少年達は白や鼠色や黒の木綿糸を手にしながら、楽しそうに周囲の石の上にしゃがみこんでいた。
それを目にした途端達哉は、頭の後ろで手を組みながら一つ舌打ちをした。
「あーあ、俺らもスルメ持ってくりゃ良かったよな。」
達哉は少年の同意を予想して振り返ったが、少年は同意も否定もせずに軽く首を傾げ ているだけだった。ややして戸惑うような口調で、達哉の思いもよらない答えを返す。
「君、スルメ好きなの?」
最初冗談でも言っているのかと思ったが、少年のお面の奥の目はふざけている様には見えなかった。
「違うって!ザリガニ釣るんだよ。糸の先にスルメの足括り付けてさ。」
「ザリガニ?釣る?」
「お前やった事ないのか?!」
つい達哉が呆れた声でそう言ってしまった途端、それまできょとんとしているばかりだった少年が、急に両手を前で組みながら俯いてしまった。
「僕・・・外で遊ぶ事なんてほとんど無かったから。」
右手を反対の手で強く握りながら言ったその声は、微かに震えている様ですらあった。
その様子に理由が分からないながらも何か不味い事を言ってしまったのだと気づいた達哉は、腕を振りながら大慌てで言葉を続けた。
「知んないなら、俺が教えてやるって!」
すると少年の顔が少しだけ上げられる。
「え?本当に?」
「ああ!なんなら、お前の分のスルメも俺が用意してやるからさ!」
任せろと言わんばかりに拳を握って断言すると、少年は何か眩しいものを前にした時のようにそっと目を細めながら、「楽しみだな」と声にした。


その後はもちろん、次の日以降も、少年は達哉の思いもよらない所で首を傾げた。その度毎にあれこれと身振り手振りも交えて一生懸命説明してやると、それが例え達哉にとってはどんなに些細な事であったとしても、少年には珍しくて仕方ないらしく、心の底から感心し喜ぶのだった。
それが面白くて、嬉しくて、達哉は少年をあっちこっちに連れて行ってやった。
まるで森の奥深くからこっそりと人間達の世界にやって来た妖精に、この世界のありとあらゆることを教えてやる様にして。  

そう達哉は自分が握っているこの世界の秘密は全部、少年に教えてやらなきゃいけないと思っていたし、教えてやりたいと考えていた。
例えば宝箱と名付けたお菓子の空き箱に大事にしまってある、まだ誰にも見せた事の無い一番のお気に入りも。


神社から彼らの決めた秘密基地まで続く雑木林には、特に整備をされた道はない。ただ子供達の足で踏みしめられた曲がりくねった狭い通路があるだけだ。
「ねえ、ねえ、何を見せてくれるの?」
小走りに進む達哉の後ろから、少年が期待半分、不安半分に尋ねる。
が、達哉は振り返りもしないで「着いてからな!」と手を振ってみせるばかりで、ヒントの一つも披露しようとはしない。彼がそうしたのは、何にも知らないで見せた方が少年がより驚くだろうという期待と、宝物の事を通りすがりの誰かに聞かれたらいけないという用心の為だった。

基地を共有している仲間達は他にも三人程いたが、その日会う約束は無かった。
入り口に辿り着いてみれば、見込み通り人っ子一人居ない。聞こえるものと言ったら呑気な鳥や蝉の鳴声、それと緑が風にそよぐ葉擦ればかりだ。
達哉は念のためもう一度辺りを確認すると、体を屈めてやっと通れる程の入り口から 、洞穴の中へと潜り込んだ。少年も無言のまま後に続く。

入り口は狭くとも、湿った土の匂いに満ちた内側は、二人が普通に立って歩けるほど の高さと広さは優にあった。しかも外の熱気が嘘のようにひんやりと涼しい。
中に入った達哉はズボンが汚れることなど全く考えず、入り口からさほど遠くない黒い地面の上にさっさと腰を下ろした。かたや少年は服に泥がつかない様に注意を払いながら、達哉の向かい側に片膝を突いて座る。
不意に少年が達哉の姿をしげしげと観察しながら口を開いたのはその時の事だった。
「あれ?君何か見せてくれるって言ってたけど、何も持ってないじゃないか。」
その訝しむような声に、達哉が悪戯坊主そのものといった笑みを浮かべる。
「まあ、そう心配するなって。」
そう言いながら彼がシャツの胸ポケットからいそいそと取り出したのは、小さく畳んだ白い包みだった。
薄暗い穴蔵の中ではただの包装紙の切れ端にも、折り紙にも見えるそれは、達哉が以前理科の実験中にこっそりちょろまかして来たパラフィン紙だった。
もちろん達哉は、このささやかな 戦利品を披露しようとしていた訳ではない。
彼は小さな包みを左手の上に置くと、まるで宝石の包んであるビロードを扱うように、 ゆっくり丁寧に折り目を開いていった。

食い入るようにその様子を見守っていた少年は、やがて姿を現したそれに目を疑った 。乳白色の紙の上に載せられていたものが、本当に光り輝く宝石のように見えたから 。
無論小さな達哉がそんな物を持っている筈が無い。驚いた少年はしきりと目を瞬かせ 、もう一度達哉の手の上のものをまじまじと眺める。
それは丁度少年の人差し指ほどの長さで、吹けばすぐさま飛んで行ってしまいそうに 平べったいものだった。もちろんそんな形の宝石などある筈が無い。しかしその表面は、基地の入り口から差し込む光の中、緑や紫に色を移しながらキラキラと不思議な色に輝いていた。
「・・・何なの、これ?」
その輝きに見とれたまま、半ば息を呑む様な少年の声に、達哉は待ってましたとばかりに意気揚々と答えた。
「玉虫の羽さ。去年の夏休みにさ、田舎のばぁちゃん家行った時に見つけたんだ。な、 な、きれいだろ?」
少年はこくりと一つ肯くと、突然何かを思いついたように顔を上げ、いつになくはしゃいだ声で言った。
「あのさ!これ、明るい所で見たらもっときれいだと思うんだ。だから基地の外で見ても良いかな?」
その希望には本当の所、達哉は少し返事を迷った。
もしうっかり他の誰かに見られたら面白くないと思ったからだ。とはいえ、断って少年のがっかりする様を見るよりはずっとましなような気がして、結局首は縦に振る事にした。

そうした事が果たして間違いじゃなかった事に気づいたのは、表に出た少年の嬉しそ うな様子を見た時のことだった。
太陽に背を向けて立った少年は、玉虫の羽を高高と掲げるとゆっくりと細い手首を動 かした。その度ごとに、細かな光の粒子が弾ける
ようにして、緑と紫が目映いばかりに乱反射する。
「凄いね。僕こんな羽の虫見た事無いよ。」
「この辺にはいないからな。」
「ふーん、そうなんだ。」
感心したようにそう言いながらまた手首を返す少年に、達哉は得意げに付け加えて言った。
「なんか勿体無いからさ、いつもは絶対人に見せてやんねぇんだ。だけどお前は特別 な!」
多分、その時達哉は少年にこれといった返答や反応をを期待していた訳ではなかったし、何か返されると考えてさえいなかった。
ところが少年は掲げていた腕をぼんやりと下ろすと、戸惑うように達哉の顔を見詰め た。
「・・・何で僕は特別なの?何で僕には見せてくれるの?」
「え?何でって・・・。」
そう改めて問われると、何と答えて良いのかよく分からなかった。
きっとこの少年が喜ぶだろうと思ったから。
喜ぶ様子が見たかったから。
恐らくそれは間違ってなかったが、口に出してはっきりと言うにはどうにも照れるものがあった。
「お前になら見せてもいっかなぁー、って。」
仕方なくお茶を濁す事にした達哉だったが、別に少年は気分を害した風も無かった。
「よく判らないけど・・・。嬉しいな。」
そう言いながら玉虫の羽をそっと達哉の手の中に返すと、目元に静かな笑みを浮かべて見せた。
「もう、これ要らないや。」
独り言のようにそう呟いたかと思うと、顔を伏せつつ被っていたお面に手をかけた。
突然の出来事に、達哉には少年が何を始めたのか、何をしようとしているのか理解する暇も無かった。ただ呆然と、少年の小さな手がお面をずらしていくのを眺めているばかりで。

達哉が少年に出会った時にはすでに少年の素顔は仮面の下で、それからも決して外そうとはしなかったから、達哉の中ではもう少年とお面とは一体となってしまっていた。
もちろんその下に本物の顔が隠されている事は知っていたけれども、それはずっと秘密のままで、自分が目にする事は決してないだろうと、心のどこかで勝手に決め付け ていた。

それが今、あまりにも唐突に、何の前触もなく解き明かされようとしている。
秘密が明らかにされる瞬間の、期待と戸惑いと不安のないまぜになった感情に弄ばれながら、達哉は声を出す事はおろか、身動き一つする事はできなかった。
真実を知りたい自分と。知りたくない自分と。

しかし実際の所、達哉が悩む必要は全く無かったのだ。
一つの秘密の終わりは、もっと大きな秘密の始まりだったから。

やがて少年の手がお面と共に胸の前まで下ろされた。それと同時に少年は、空を仰ぐ程に勢いよく顔を上げると、今まで押さえつけられていた髪に風を通す様に軽く頭を振 った。そのさらさらとなびく黒髪の上で、降り注ぐ陽射しがキラキラと踊る。
暫く彼はまるで始めて風の匂いを知ったかのように、じっと達哉の方に細い喉を見せていたが、やがてゆっくりと顔を戻した。

その初めて出会う顔が自分に向けられた刹那、達哉はこれがさっきまで自分と一緒にいた少年なのかどうか確信が持てなかった。
漆黒の仮面の下の頬は思いがけず白く、まるで丹精込めて作り上げられた陶器の人形を見ているようだった。いや、そういう印象を受ける所以は、肌の色のせいだけではない。
鳶色に輝く澄んだ瞳も、ほっそりと形のいい眉も、控えめな桜色の口元も、仮面の印象を唯一残す艶やかな髪も。


もちろん達哉のクラスにも可愛いと評判の女の子はいたし、彼自身、興味のあるなしは別にしてその可愛さは認めていた。
しかしこの少年の様子とは根本的に何かが違う。
この時達哉は、「きれい」という言葉が人間に対しても使える言葉なのだと初めて知っ たのだった。

それに気づくと同時に、夏祭の日以来すっかり忘れていた疑念が再び湧きあがる。
−この少年は本当に男の子なのか?
まだほんの子供でしかない達哉には、「きれいな男の子」という存在が酷く矛盾した、この世にあってはならない物にしか思えなかったのだ。

が、少年は達哉がそんな疑惑を抱いている事など知る筈もなく、蕾が開きそめる様に穏やかな微笑みを浮かべた。
「えっと、下の名前も教えるね。あのね、淳っていうんだ。みんなには内緒だよ?」
はにかむ様に動かす唇から流れ出た声は、今まで耳にしていた声とは比べ物にならないくらい凛と澄み渡っていた。
その差の訳をさっきまでの達哉だったら、ただお面一枚隔てているかいないかのせい だと気づいた筈だったが、その時の彼にはどうしても、何か他の理由があるように思えて仕方なかった。
なぜなら、その「淳」という一語が、それまで少年が口にしたどんな不思議な言葉よりも 、達哉の鼓動を高鳴らせていたから。


魔法仕掛けの刻にいる達哉はまだ知らなかった。 それが恋という未知の秘密である事を。


                                 
−fin. 


鰻 六郎様からのありがたき頂き物。
私のSSを拾っていただいたのがご縁となってリクエストさせて いただきました。しかもタツジュン。六郎様のタツジュン、夢のよ うです。
かなり無理なリクエストをしてしまい、六郎様を混乱に落し入れ てしまいました。し、し、しかし!ご無理を聞いていただいたかい あってこのような素晴らしいものがっ!
キヨラカなおさなタツジュンに私の心も洗われそうです。
淳君の気を引きたい達哉が可愛いのです。淳に夢中な達哉っ ぷりは幼い頃から健在です。
次第に心を開いていく淳君……。そんな淳君を一人占めの挙句 の美味しい達哉。(羨ましい……)
ええいキサマざりがにじゃなくて淳をつったかこんちくしょう!( す、すんません……)
達哉の秘密のお礼にと、自分をあげちゃう(やや妄想)淳君が可 愛いじゃありませんか〜。そしてラストにドカン!ホンマに良いも のを頂いた〜
大きくなってからの事は、私の脳内で妄想いたしますとも。
せっかく美しいSSを頂いたのに、こんな感想で台無し。
これが最後と言わず、これを機に六郎様にはどんどんタツジュ ンを書いていっていただきたいものです。本当に有難うございま した。

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