Diamond 　いつものように、ただいまと小さく呟きながら、淳が達哉の狭いワンルームの部屋に入った。自分の家でもないのに、「ただいま」と言ってしまうのは、達哉と過ごす時間が多いからだ。 部屋の中に居ないので、おかしいなと思って達哉の姿を探すと、ベランダで憮然とした顔をしている。 「何しているの、達哉？」 そんな達哉を見て、淳が声をかけた。夕焼けが、達哉の体を照らし、学生服の白いシャツを茜色に染めている。 「アメ、食べてた」 　ちらっと淳の方へ視線を流し、それだけ言うと、達哉がまた夕日を眺めている。あまり機嫌が良さそうではない。 「？」 　不思議そうな顔をして側に来た淳を見て、さすがに自分の言葉不足を反省したのか、淳に話し掛けた。 「黄金糖をさ、噛み砕いて、太陽の下で見たら、凄く綺麗だって知ってるか？」 　その言葉もまた唐突で、話下手の達哉らしい。 「あ、ううん。そうなの？」 　だが、言葉の意味を急いで問い詰めたりせず、淳は相槌をうった。話下手の達哉の言葉は、急に言われると判らない事もあるけど、ちゃんと伝えたい事がある。という事を知っているからだ。慌てずに、ゆっくりと話をすれば、きちんと伝わる。 　淳がそうしてくれるから、余り話し好きでない達哉も自分の気持ちを口にする事ができた。 「子供の頃そうやってたのを思い出して、さっきやったら、やっぱり綺麗で」 「うん」 　達哉の言葉に、砕いた飴を太陽にすかし、ダイヤモンドのようにきらきらと輝くのを見て、目を輝かせる幼い達哉を想像して、淳が微笑を浮かべた。 「見惚れてたら猫に食われた」 　憮然とした口調でそうオチを話す達哉に、淳がふき出した。 「それで拗ねてたの！」 　達哉が可愛くて、くすくすと笑っていると、達哉のアメを食べたらしき隣の家の猫がミャ〜オと鳴いた。目を向けると、ベランダの境に座り込み、ごちそうさま。というように達哉と淳を見ている。 「いいだろ、別に」 　猫と淳に笑われて、ますます拗ねたように達哉が頬を膨らませた。普段のクールな姿とは違う、もう一つの達哉の一面を見て、淳が嬉しくなる。 「フフフ。もっと話して？」 　達哉の隣に座り、淳が甘えて達哉にもたれかかった。 「何を？」 　憮然としていた達哉の声が、少しだけ変った。淳がくっ付いてくるから、どきどきしてくる。それを知られないように、なるべく平静を装ったが、声が少しだけ上ずった。 「何でもいいよ。ちっちゃい頃の達哉の話とか、もっといろいろ聞きたい」 　達哉の内心を知らず、淳がそう言ってもっと達哉にくっついた。 淳の鼻腔をふわっと達哉の匂いがくすぐる。達哉のにおいに包まれて、淳が安心して目を閉じた。 「達哉の事が、もっと知りたいって思ったんだ」 　目を閉じながらそう言い、心地よい安心感を感じながら達哉の言葉を待つ。 「…………」 　達哉は答えず、沈黙の長さに、淳が目を開けた。 「どうしたの？　変な顔して」 　複雑な表情をして黙り込んだ達哉の顔を覗き込みながら、淳がそう言う。 「俺、お前に知られたら、嫌われるような所も沢山ある。だから、あまり知られるのはちょっと怖いな」 「なに言ってるの！」 　達哉が苦笑しながら言った言葉に対して、淳がすぐに抗議の声を上げた。 「達哉は、僕の汚い所をみて、それでも許してくれたじゃないか！　嫌われるような事を考えてるって言うんならなおさら、達哉が僕にしてくれたみたいに、僕も達哉の綺麗じゃない部分も理解したい」 　達哉の腕を掴んで揺さぶり、瞳を覗き込んで、淳が一生懸命伝えようとした。 「だから言ってよ」 「……言えない」 　ね？　という風に首を傾げ、達哉を篭絡しようとしたが、達哉は頑なに拒んだ。 　立ち上がって、ベランダから部屋の中に入り、数少ない家具であるベッドの縁に座った。淳も慌てて後を追い、達哉の隣にちょこんと座る。 　太陽は西の空に落ちてしまい、あたりが急速にほの暗くなっていく。部屋の明かりを点けようかと数瞬迷ったが、やめた。寂しい夕暮れのなかで、二人肩を寄せ合うのが心地良いと思ったからだ。 「口に出すと、止まらない気がする。お前が嫌がること無理やりしそうで怖い」 　淳の顔を見ずに、そっぽを向きながら達哉がそう言った。 　達哉の言葉に、淳が少しドキッとする。心当たりがあるのだ。 「僕が……、君の事凄く好きなの知ってるよね？」 　そっぽを向いてしまった達哉に、淳が少し照れながらそう言った。恥ずかしいけれど、今言わなくちゃいけないと思ったから、後で後悔するのは嫌だから、ちゃんと言葉にして伝えなければいけないことを口に出した。 「ん」 　達哉の方も、照れくさいらしく、短く返事を返す。淳は、いつも自然に達哉の事が好きだといってくれた。達哉の方も淳が好きだけど、淳の様には上手く口に出せない。嬉しさともどかしさが達哉を襲った。 「だから、僕の事信じてよ。言いたくない事を無理に言わせる事はしないけど、僕が君のこと知りたいって思っているのは忘れないで。たとえ君が汚い部分を持っていても、君が僕にしてくれたように努力するって思ってること、忘れないで」 　淳がそう言って、達哉の手をぎゅっと握った。 　達哉は淳の事を好きだと滅多に言ってくれないが、淳を見る達哉の目が、お前が好きだと如実に語っている。淳を守る姿が、ほんの些細なやさしさが、達哉がいつも淳の事を想っているのだと感じさせ、それだけで淳は幸せな気持ちになる。 　達哉が僕の事好きだと判っているけど、口に出して欲しいから、達哉の目が僕の事とっても好きだって言っているのをあえて言わない。 　僕だって、ずるい事色々考えてる。 　淳がそう思っていると、ふいにチャイムがなった。一瞬何かに自分の心をなにかに見透かされたかと思ってびくっとしてしまう。 　淳が握っていた達哉の手も、一瞬びくっと動いた。もしかしたら、達哉も何か考え事の最中だったのかもしれない。 「あ、チャイム鳴ってるよ」 　取り繕うように淳がそう言うと、達哉が首を振った。 「いい」 「え？　出ないの？」 「いい……」 　淳が、いいの？　という顔をしたが、達哉は頑なに首を振った。居留守を使って、狭いワンルームの部屋で二人息を潜める。 　やがて、諦めたように階段を下りる音がした。二人がホッと息をつく。 「こんな風にさ、俺は今お前と二人でいたいと思って、栄吉との約束すっぽかした」 　少し苦い顔をして、達哉が正直にそう言った。 「嫌な奴だろ？」 　ちらっと淳を見て、達哉が苦笑した。そんな事をしてしまう自分を好ましいとは思っていない、でも淳といたい。そんな達哉の葛藤がちらりと見える。 「……約束をすっぽかすのは良くないよ。でも、僕は、君が僕と二人でいたいと思ってくれているのは嬉しいと思った。でもさ、僕の為に約束すっぽかすのはやっぱりダメだから、後で栄吉にちゃんと謝ろうね」 「……そうする」 「ほら」 　淳が、花が開くようにふわっと笑った。 「僕は君の事嫌いになんかならなかったでしょ？」 　そう言って、達哉の目を優しく覗き込む。達哉がドキッとした。 「少しずつだけどさ、こうやってお互い仲良くなれたらいいね」 　達哉にもたれかかり、淳が言う。上辺だけ綺麗に取り繕うよりも、綺麗な所も、汚い所も相手に見せて、沢山けんかもして、お互いの事をもっと知りたい。 　これもきっとダイヤモンドだ。と淳が思った。 　こんな些細な思い出の一つ一つが、自分にとってはダイヤモンドのように綺麗で大切に思える。他人にとっては、何でもないことでも、飴の欠片が、太陽にすかすとダイヤモンドになったように、二人の間の些細な出来事が、自分の中で不思議な変化を起しダイヤモンドになる。 　その不思議な変化を起す理由って、何だろう？ 「そんな事言っていられるのも今のうちだ」 　淳が少し考え込んでいると、拗ねたように達哉がそう言った。自分が、淳の事を欲しいと思っていると知ったら、淳もそんな済ました顔をしていられないに違いない。 「僕も、君が思ってるような事考えてるとしたら？」 　顔を伏せていた達哉の耳に、信じられない言葉が飛び込んできた。 少し前から、達哉も淳もそれを意識する事が多くなった。長いキスの後なんかは特に。当然の事だと思うけれど、まだお互いがお互いを掴み損ねて、少し気まずくなる。 「え？」 　思わず淳の顔をまじまじと見る。淳の方も目を反らさずに、じっと達哉の顔を見た。 「……俺、お前の事欲しいと思ってるんだぞ。今だって、何するか判らない」 　挑発的な言葉を発した淳に呆れたように達哉がそう言った。単に、憧れや観念的なものだと思われては困る。達哉が求めているのは、もっと生々しいものなのだ。肌を出すのも嫌がるような、少し潔癖な所のある淳が、体だけでなく、心も、自分を曝け出す事ができるのかと達哉は少し心配した。 「大丈夫。ちゃんと判ってるよ。君の言いたい事。奇麗事だけじゃないって。でも、平気だから。君が僕に触れたいと思ってるように、僕も君に触れたい。僕も君が欲しい」 　淳がそう言いながら、奇麗事だけの世界に逃げ込んでいた過去の自分を少し苦く多い出した。 　自分の細い体にコンプレックスを持っている淳にとって、それを達哉見られると思うだけでも、気が遠くなりそうなほどだった。プライドが高い淳にとって、自分のみっともない所を見られるのは、絶対に嫌だった。 　でも、達哉がそれを望むなら。そして、僕も達哉を欲しいから。もっと近くに居たいから。 達哉となら、嫌だと思う気持より、もっと、深く繋がりあいたいという気持ちの方が勝るのだ。 それは、淳にとって、驚くべき事の一つだった。他の人となら絶対にいやな事でも、達哉となら違う。淳の考え方や感じ方さえも、達哉は変えてしまう。 今はもう逃げたりしない。綺麗な事も、汚い事も、全部受け止めてみせる。それが、大好きな達哉との事だったらなおさらだ。 そう思える自分が、少し誇らしく思えた。 「こういう事をはっきり言っちゃいけないかい？」 　複雑な顔をしている達哉に、少し不安になって淳がそう尋ねた。自分が少し世間の常識とずれた所が有るのは知っているので、また変な事を言ってしまったかと心配になったのだ。 「いや……」 　達哉がゆっくりと頭を振った。少し苦笑し、淳の顔を見て「お前、強くなったな」と付け加える。守る存在だとばかり思っていた淳の変化に、少し驚き、俺もぼやぼやしてられないと思う。 「……キス、してもいいか？」 　かすれた声で、達哉が囁いた。いつもはクールな瞳が、今は情熱的な色を浮かべて淳を見ている。まるで、熱に冒されたように。 「うん……」 　いつもと違う達哉に、少し怯え、それ以上にもっと僕の知らない達哉を知りたいと思いながら、淳も小さく返事をした。 　達哉の言葉が、何を意味しているかは淳にもわかる。 「その先も？」 　達哉の端正な顔がだんだんと近づいてくる。胸がドキドキした。顔がかあっと熱くなる。息も触れ合いそうなほど達哉が近づき、確かめるように、そう言った。 「うん……。君となら、いいよ」 　はにかんだ微笑を浮かべ、淳がそう返事をする。照れくさそうに達哉の瞳を覗き込み、にっこりと微笑む。 　君とならいい。と、何故達哉ならいいと思ったんだろう？　 　達哉が拗ねているのを見たときに、可愛いな。と思った。達哉ならいいと思った。 　何故だろう？　とても不思議だが、とても自然にそう思った。 思い出がダイヤモンドに変るのはなぜなんだろう？ 思い出をダイヤモンドに変える力も、達哉ならいいと思った理由も、きっと元は一つ。 僕は、達哉の事が大好きだからなんだな。 淳が、達哉の顔を見ながらそう思った。 突き詰めて考えると、全てはそこに行き着く。達哉のことが好きだ。そう思うと、何でもできる気がする。とても優しくなれる。 　淳の笑顔に、達哉がはっとした。魅入られたように淳の顔をじっと見ている。 「もっと、仲良くなろうね」 　その言葉に、達哉が、小さく頷いた。 　そっと、壊れ物を扱うように、優しく達哉の唇が淳の唇に触れる。ため息が漏れるほど、甘く、優しいキス。 泣きたいほど嬉しい。そんな感情が淳をいっぱいにした。 　キスの後、少し抱き合う。満足感と、これからの事に対する期待と不安で、体温が上がっていくのが判る。 　自分の熱と、達哉の体の熱さに、くらくらしそうになっていると、達哉が、ぐいと体重をかけベッドに押し倒される。 　心臓がドキドキした。 やがて、恐る恐る、達哉の唇が、淳の首筋を探る。今まで知らなかった、不思議な感覚が淳を襲う。逃げ出したいような、もっとして欲しいような、変な気持ちだった。 綺麗な所も、汚い所も、もっと君を知りたい。 　少し怖くても、相手の嫌な所を見てしまっても。 　それでも、君が好きだから。 　いろんな事を、坩堝に入れて融かしてしまおう。綺麗な事も、いやな事も、全て。坩堝に入れるものが多ければ多いほど、きっと、素敵なダイアモンドが出来上がる。 　達哉が淳に触れるたび、淳が達哉に触れるたび、体温が高くなっていくのがわかる。 僕達には、もっと熱くなる事が必要なんだ。何でも融かしてしまえるほど。 お互いにそう思っているのが判った。だから、こうする。　 坩堝の温度をもっと上げて、もっと、もっと、いやな事もいい事もどろどろに融かして、二人で新しいものを作り上げよう。 　朝が来れば、きっと二人の間にこれ以上の素敵なものが広がっている。 ＥＮＤＥ