OUT OF CONTROL  Side-b



 心にもないことを言ってしまった。自分がいやだ。自分の心なのにうまく行かない。あの人は、どうして僕の心を僕のものじゃないみたいにしてしまうのだろう。
 自分の心なのにコントロールが効かない。でも嫌だけど嫌じゃない、僕の心は君でいっぱい。人間のからだはほとんどが水分だから、月の満ち欠けに影響するって聞いたことがあるけど、僕の心もきっとそうに違いない。僕の心は、ほとんど達哉で占められてるから、きっと達哉に影響されてしまうに違いないのだ。達哉が僕の方を見ても、達哉が別の女の子の方を見ても。達哉がくしゃみをすれば僕が風邪を引く。なんだかそんな感じ。

 それがなんか悔しくって、達哉もそのくらい僕の事想ってくれなきゃ不公平だなんて勝手に膨れてみたりしていても、それなのに連絡をするのはいつも僕の方から。

 僕は達哉の部屋にずっと入り浸っている。半同棲みたいな生活をしている訳なんだけど、どうしても数日僕が実家に帰らなくてはいけない用事ができてしまった。達哉の側にいられないのは嫌だし、不安だし、つらいけど、生きていく以上、生活に伴う細々とした雑務に引き裂かれるのはしかたがない。ほんとは一秒でも離れていたくない。でも残念ながらそんな事できるほど人生甘くないんだよね。

 とりあえず心配だったのは、達哉の部屋のベランダに置いた僕の鉢植えのこと。このごろ暑くなってきたし虫も心配な季節だから注意しなければいけない。大事な時期に見てあげられないのがとても心配だった。達哉に後を任せて実家に帰る事にしたけど。けっこう難しい植物だから、詳しくない達哉に任せてもし枯れても仕方がないなと半分諦めてはいる。達哉の幼いころの傾向からして、植物の成長よりも、植物についたイモムシの成長の方とかに興味を持ちそうだしなぁ……。全然興味ない事頼んだから、水やりも忘れてるかもしれないし……。あ、不安になってきた。

 なんだか嫌な予感に駆られながら僕はお土産の袋を抱え直した。

 でも、もうすぐ達哉に会える。そう思うと、にやにや笑いが止まらなかった。久しぶりに会ったらなんて言おう? 達哉はどんな顔してくれるのかな? 達哉も僕に会いたがっていてくれてるかな? 達哉とは、僕が実家に帰っている間も電話はしたりしたけど、会う事はなかった。いつも電話をするのが僕の方から。というのが少し気に入らなかったけど、もうそんな事どうでもいい。にやにや笑ってるのも、端から見たら相当気持ち悪かったかもしれない。でもそんな事もどうだっていいんだ。だってもうすぐ達哉に会える。

「ただいま」

「ああ、おかえり」

 出迎えてくれた達哉と僕のいつもの挨拶。でも今日はちょっと違う、数日ぶりの達哉の「おかえり」のはずだったんだけど。

 達哉超普通。達哉の態度には何にも変化なし。いつもと一緒のクールな態度。正直、僕は少しだけがっかりした。達哉に帰ってくるなり熱い抱擁とか、甘い言葉を求めてたなんてことはないけど、もう少し何かあったっていいんじゃないかな?

「僕の植木は大丈夫?」

 そのことがちょっと心に引っかかったけど、なんだか達哉に会えた事が思った以上に嬉しくって、そのことがなんだか自分が単純みたいでちょっと恥ずかしくって、僕はとりあえず植木のことを言って誤魔化した。言葉が少し早口になってしまったから、内心を達哉に悟られないかと余計にどきどきしてそのまま達哉の顔をまともに見る事が出来ずにベランダに直行。

「…………」

 枯れてる……。予想はしていたけど、僕の鉢植えは見事に枯れていた。どうやら、水のやりすぎと、その後、ほっといて水をやらなかったせい。後イモムシもいる……。僕があんなに頼んだのに世話してなかったのは一目瞭然だった。ちゃんと見てくれてなかったんだね、達哉……。

 後ろで達哉が心底すまなそうに謝ってるのが聞こえた。達哉だけが悪いんじゃない事は分かってる。でも、植木が枯れた事よりも達哉が僕との約束をちゃんと守ってくれなかったという事の方が思った以上にショックだった。枯れてもいいから、達哉が出来るかぎりでいいからちゃんと見てて欲しかったな。

 心のどこかで、達哉は僕との約束だから大事に守ってくれてるだろう。と思っていた。やっぱり期待していたのは僕だけ。そう思うとなんだかとっても悲しくなってくる。勝手に期待して、一人でうきうきして勝手に落ち込んで馬鹿みたいだ。何やってんだろ? 僕? 達哉は、僕の事でうきうきしたり、些細な事で落ち込んだりしないのかな?

 ……いや、しないんだろうな。達哉はクールで落ち着いてるし。なんか物事にあんまり興味なさそうだし。慌てふためく達哉とかみっともなく騒ぐ達哉って見た事ないもの。

 僕はまだ子供で、些細な事で悩んだり、馬鹿みたいな誤解したり、余計な事で苦しんだりとじたばたして生きている。年なんて少ししか違わないのに、達哉は違うのかな?

 そのことが僕の心の中で嫌な刺みたいに引っかかった。僕はこんなに達哉の事想ってるのに、達哉はそうじゃない。

 僕との約束をちゃんと守ってくれなかった事がその証拠のように思えた。その思いは即効性の毒のように僕の心にあっという間に廻り、僕の心を腐らせていった。久しぶりに達哉に会って嬉しいはずの僕の心はどす黒くて嫌な感情でいっぱい。情けなくなってきた。悪気は無かったって知ってる。達哉が反省してるって判ってる。でも、でも、許してあげられない。

「どうしてちゃんと見ていてくれなかったの?」

 自分でも驚くほどのトゲトゲしくて醜い僕の声に、二人の間に険悪なムードが漂う。嫌だ、言葉が止まらない。こんな事言いたいわけじゃない。口が勝手に動く。

「僕との約束なんてどうでもいいんだ?」

 明らかに達哉を責めているような冷たくて暗にこもった声、皮肉げな口調。ちがう、責めたいんじゃない、僕が傷ついたって事を達哉に少しだけ知って欲しいだけなのに。心で思っている事と、口に出してる事がバラバラだ。理性では許してあげたいのに、僕の感情がそれを拒否して身体を支配し、僕は真っ二つになった感情と理性の間で戸惑った。達哉の端正な顔が少しだけしかめられた。少し眉を寄せて不機嫌そうな顔になる。

 達哉がヒステリックに責められるのが一番嫌いだって知ってる。でも今は言葉が止まらない、達哉の言い訳を聞きたくない。自分でもどうしようもないくらいに僕の口からは達哉を責める言葉が次々と出ては達哉にぶつけられる。どうしよう、どうしよう。違う、僕は達哉と仲良くしたいのに。ケンカするのなんて嫌なのに。

 ヒステリックな僕の声を聞いていた達哉が、ついにもうだめだというような顔をした。これ以上この場にいて僕の一方的に責める声に耐える事が出来なくなってしまったのだろう、そのまま投げやりに「もういい!」というなりヘルメットをつかんで大股で部屋を出ていく。達哉のこわばった険しい顔は僕の方を見ようともしない。

 どうしよう、怒らせた。

 達哉の後ろ姿を引き止める事が出来ないまま、泣きたい気持ちでのろのろと達哉の後ろ姿を目で追った。達哉のいない達哉の部屋はがらんとして見える。
 この部屋は達哉がいないとこんなに広くて空虚だ。そこに感情の赴くまま達哉を責めた挙げ句一人取り残された僕は、たまらなく惨めに思えた。
 どんよりとした思考の中で、ふと心も体もべとべとなのに気が付いた。嫌な汗まみれの身体と心にまとわりつく嫌な不快感。全てを流してしまいたい。汚い自分をきれいに洗い流して新しい自分で達哉に会いたい。うつろな気持ちでその強烈な欲求を満たすために、僕の身体だけがまるで心のない人形のように動いた。

 シャワーのコックをひねる。冷たい水がさあっと頭の上から降ってきた。とりあえず気を落ち着かせようと僕はシャワーを浴びる事にした。炎天下の中を歩いてきたから汗でべたべたで不愉快だった。なんだかそれさえもむかついて頭を冷やしたくて冷たい水を浴びる。気持ちが良い。この冷たい水が汗と一緒に、いらいらもやもやした気分も流してくれればいいのに。

 どうしよう……。

 僕は目の前の殺風景なタイルをじっと見詰めながら思った。

 どうすれば仲直りが出来るのだろう? 冷たい水が僕の全身を冷やしていくにつれて、僕の暴走した心もクールダウンしてきた。達哉が僕が想ってるほど僕の事想ってないって……。何考えてたんだろ、僕。

 自分の一人よがりが恥ずかしくなった。達哉の心の中なんて、達哉にしかわからない。勝手に僕が達哉の心を判断するのは間違ってる。
 そんな事思うのは、僕が達哉を信じてないからだ。達哉は僕しか見えないと言ってくれた。それで十分じゃないか? どうして達哉の言葉を信じない? 自分がどうしようもなくわがままでみっともなく思えた。どうしてあんな事を言ってしまったんだろう? 見返りが無いからといって相手を責めるのは醜い。僕がやりたいからやってるはずなのに、どうしても達哉に見返りを求めてしまう僕の心が醜い。

 でも、言わずにはいられなかったんだ。ほんの少しだけ知って欲しいという気持ちを止められなかったんだ。

 「淳しか見えない」と達哉が言ってくれたとき、僕はこれ以上何もいらないと思った。でも、時が経つにつれ、僕はもっと達哉のことが欲しいと思った。達哉に僕に笑いかけて欲しいと思ったし、優しい言葉をかけて欲しいと思ったし、僕のそばにいてほしいと思った。僕はどんどん貪欲になる、僕はどこまでも達哉の事を欲しがる。どんどんわがままになっていく。

 どうしよう、いやだ。達哉と離れたくない。今こうして会えないだけでも嫌だ。会いたい、抱きしめて欲しい、キスしたい、達哉のために何かしてあげたい。

「あ……」

 鼻の奥がつんとしてきた。涙が出そうだ。嫌だ、女々しい。僕はやっぱり馬鹿じゃないのか? こんな体たらくだからみんなに迷惑かけたりしてるんだ。そう思って意地で涙を止めた。泣いたって何にもならない。自己満足の罠にはまる過ちは二度と犯さない。

 僕、達哉とケンカしてるんだよな。

 そう思うと、胃のあたりがズンと重くなった。体中がさぁっと冷えていく。おまけにくらくらしてきた。目の前の視界がぼやけて何も考えられない。胸が苦しくて息ができない。後悔と罪悪感と怒りが僕の中でぐるぐる廻っておかしくなりそうだ。達哉とケンカするなんて嫌だ。嫌だ、嫌だ。絶対に嫌だよ!

 さっきから自分を責めてうじうじうだうだ考えてきたけど、そんな事はこの真理の前ではいっきに吹っ飛んでいった。わがままだろうと何だろうと、それだけが僕の頭をいっぱいにした。達哉の側を離れるなんて絶対に嫌だ。ほかのどんな事も譲れるけど、これだけは譲れない。もし他人を傷つけるような事になっても、僕はこれだけは押し通す。どんな犠牲を払ってでもこれだけは守り抜く。僕の中の最も優先すべきもの。僕の中でたった一つ譲れない事。

 君のそばにいたいよ、達哉。

 曇っていた自分の心が晴れるような気がした。僕が求めている事はたった一つだけ。自分の中のさまざまなマイナスの感情や、他人を気にして見えなくなっていた僕の心。僕が求めているのはこんなにも単純で絶対の事じゃないか。そう気がつくと、自分でも驚くほど気が楽になるのを感じた。自分の道がはっきりと見える。求めすぎて肥満した僕の心からいらないものを削ぎ落とすと、最後にはたった一つだけが残って何でも出来そうなくらいに軽くなった。

 仲直りしなくちゃ……。
 僕は決意を込めてきゅっと目を閉じた。このままでは耐えられそうもない。僕が達哉のいない生活に耐えられるはずがない。達哉もきっとそうに違いないんだ!

「単純かなぁ……。『食い物でつられるか!』なんて怒らないかな。達哉?」

 独り言をつぶやきながらシャワーでさっぱりした僕は商店街へ散歩がてら歩いていく事にした。夕方の買い物ラッシュまではまだちょっと間がある。とりあえず僕は、達哉との仲直りのために、「達哉の好きなものを食卓へならべる大作戦」に出る事にした。その準備のための商店街への買い物の旅だ。
あ、やっぱり単純かな? でも僕の和解の心は伝わるよね。あとは平謝りに謝って甘えたら何とかならないかなぁ? うん、きっと大丈夫、達哉は僕に甘いもの。
 ……たぶん。
 そんな事思っててくてく歩いてるうちに、商店街が見えてきた。達哉の好きなものをいっぱい作ってあげよう。まずはお肉を買わなきゃ。

 帰ったら達哉がいるといいな。とは思うものの、達哉に会うのが恐いような、楽しみのような変な気持ちだ。とにかく絶対仲直りするんだ。とそう決心したその瞬間。

「ああ、最悪……」

 僕はある事に気がついて、最悪な気分で天を仰いだ。違う、財布を忘れたんじゃなくて……。

 ……腕時計、してくるの忘れた。

 ああ、なんということ! 何という大失態! 僕とした事があの腕時計を忘れるなんて!!
 もう最悪、泣きたい気分だ。シャワーを浴びるときはずしたまま忘れていったんだ……。うわぁ、仲直りするって決心したのにこんなヘマするなんて!
 認めたくないけど、やっぱり僕ってどこかぬけているのかもしれない。もう最悪。

 達哉の事ばっかり考えてたからだ。どうやって仲直りしようとか、達哉の馬鹿とか、僕のアホとかそんな事で頭がいっぱいでつい腕時計の事を忘れてしまった。ああ〜、ごめんよ達哉。やっぱり僕はうっかり水をやるのを忘れた達哉を責める資格なんか無かったんだ。商店街の入り口まで来たっていうのに、また引き返さなきゃいけないなんて!

 別に今取りに帰らなくても、時計がなくなるわけじゃない。でも、僕はあの時計が無いと嫌だ。あの時計、僕の手には少し大きいから付け心地も良い訳じゃないんだけど、それでもないと不安だった。もうそれはすでに僕の一部だったから。二人の時を刻むために動き出した時計。達哉からもらった物だから一時でも手放すのは嫌だ。僕が達哉から貰ったんだから、僕が付けてなきゃ。

 もし他の誰だろうが、あの時計に触れたらと思うと、居ても立ってもいられなかった。たとえ舞耶姉さんでも嫌だ。あれは達哉と僕の思い出の品なんだから、誰にも触って欲しくない。僕と達哉の思い出に誰かが入り込むのは許せない。万が一壊れたらとか無くなったらと思うと、全身の血が冷たく引いていくのを感じた。そんな事無いって判ってるけど、そんな事ありっこ無いって判っているけど。

 時計を取りにさっき出てきた達哉の家へと向かう僕の足取りが、早歩きから小走りに、そのうち全速力に変わった。元々運動音痴だから早く走れないのがもどかしい。酸欠でぜいぜい言ってみっともないったらありゃしない。おまけに苦しいし、目の前はくらくらしてくるし……。腕時計、9割9分9厘ぐらいの割合で明らかに無事だって分かってるのに、僕は全力疾走までして一体……。

 いや、無駄なんかじゃないぞ。僕はあの時計がないととっても嫌だし、万が一という事もある。もし何かあったら後悔してもしきれない。たとえ無駄だっていいんだ。僕が満足してるんだから……。

 早く取りに帰らなきゃ。早く取りに帰らなきゃ。早く取りに……。

 そればっかりを頭の中で呪文のように唱えながら僕は走った。達哉の部屋のドアの前まで来た時はもう頭はくらくらするし、喉はぜいぜいするし……。ゆっくりと大きく息を吸ったり吐いたりして呼吸を整えた。やっと、やっと僕の時計……。ほうほうの体でドアを開ける。

「……?????!?!!!?」

 な!? なにこれ!! 泥棒!? 僕は一瞬自分の目を疑った。さっき出てきたばかりの達哉の部屋は床が見えないほどいろんなものが散乱し、トイレや浴室のドアというドアは開け放たれ、棚という棚は中身が出ている。うわっ、どうしよう。頭がパニックになりかけたその時、ふと達哉の後ろ姿が目に入った。あ? ええ? もしかして達哉がこれやったの??? な、なんで……。

 思いっきり不信な行為に僕が驚いてると、多分部屋に入ってきた僕に気が付いてないのか、達哉がまるで唸るような声でつぶやいた。

「淳……、何処行ったんだよっ!」

 え? え? じゃあこの惨状は僕を探して達哉がやったって事?
 それ以外は考えられなかったけど、半信半疑のまま僕はそっと達哉に声をかけた。僕の声を聞くなり、達哉が振り返り、飛びつくとしか形容できないような動作で僕を抱きしめた。そのまま言葉も出ないのか無言で僕をきつくきつく抱きしめ、僕の事を確かめるように頬擦りしたり、手で僕の形を確かめるようにぺたぺたとあちこち触れてきた。
 何が起こったのか僕にはちっとも判らなかったしこんな達哉初めてだったからちょっとびっくりして、とにかく話を聞こうと達哉を落ち着かせようと試みた。僕の存在がまだ確かめきれないのか、僕よりずっと大きな達哉に良いようにもみくちゃにされながら、なんだか僕は嬉しかった。訳を聞こうとしても、大きな達哉は小さな僕に向かって、「淳がいなくなったと思った」と言い僕を放そうとしない。おいおいおい、君は僕がいなくなったと思って部屋中を探し回ったって訳かい? クローゼットの奥や流しの台の下まで? 僕猫じゃないんだから……。

 ああ、僕、達哉の事すごく好きかも……。
 僕は達哉が僕を探して(!?)あちこち部屋を荒らしまわったなんて変な事したのがすごく嬉しかった。なんだかとっても嬉しかった。まったく一体どういう思考回路でそんな事思ったのかちっとも判らないし、端から見たら馬鹿だし、多分達哉以外の人がこんな事したらちょっと恐いけど、達哉が僕のためにしてくれた事に誰にもケチ付けさせない。達哉の事馬鹿だと思う奴は僕が相手だ。
 いや、僕も達哉の事馬鹿だなーと思うけど。僕だって人の事言えないだろう。腕時計のことで変な心配して全力疾走してきたんだから。無駄なんだけど、馬鹿なんだけど僕はたまらなく幸せだった。あきれ顔の僕に、腕時計が残されたからてっきり愛想つかして出ていったと思った。と照れくさそうに達哉がそっぽを向きながら言う。ウフフ、馬鹿だねぇ、達哉ったら。それで気が動転して部屋中僕を探し回ったって訳かい?

 

 僕が達哉のせいで、達哉が僕のせいで、理性をなくして変な事してるのってなんてこっけいで嬉しいんだろう?
 他人から見たら恥ずかしくて馬鹿なんだろうけど、僕は幸せ。それで良いんだ。
 案の定、僕が時計を忘れて取りに来たと話すと、達哉も少しあきれた顔をして「さては、おまえ、馬鹿だな?」なんて言われた。僕も笑って達哉も相当な馬鹿だと言い返す。
 あ、大切な事忘れてた、僕の時計。そう思って視線をあちこち移すと、達哉の手に握られてるのが見えた。よかった。僕が返してと言うと、達哉が拗ねて返してくれない。「俺より時計の方が大事なのか?」なんて子供のように言う。もしかして達哉より鉢植えのこと心配したのまだ根に持ってるのかな?
 僕はそんな達哉を見て、襲ってやりたいような変な気になってしまった。体力だってリーチだって何もかも達哉にかなわないからはかない夢なんだけど。油断してるところを不意打ちにして縛り上げて猿轡かませたら僕でも勝てるかな? そうしたら僕の言うなりになってくれるかもね、フフフ。
 僕はそんな事を考えてるなんておくびにも出さずに、まじめぶった顔をして達哉の手から強引に時計を取り返した。僕の大事な時計。達哉がくれた時計を腕にはめた。うん、やっぱり落ち着く。

「ねぇ、仲直りしないかい?」

 さっきからずっと達哉が僕を放そうとしないもんだから、ずっと僕たちは抱き合ったままだ。僕は達哉の広い背中を抱きしめながら耳元でささやいた。達哉もなんだかおとなしく僕に身を預けている。達哉とケンカしているなんて本当に嫌だった。どんな事と引き換えにしてもいいから仲直りしたい。達哉が抱きしめてくれないのも嫌だ、達哉の顔をまともに見る事が出来ないのも嫌だ、お互い意地を張り合って気まずくなるのなんか嫌だ。

「俺も……、おかしくなりそうだ」

 達哉が心底つらそうにため息をつく。僕はその言葉に女々しくもまた涙が出そうになってしまった。達哉だって僕の事ちゃんと想ってくれてる。僕が達哉の事でみっともない事したり、些細な事で苦しんだりするのと同じように。達哉だって僕と同じ、じたばた苦しんで悩んで生きてる。ごめんね。僕、君の事強い人だと思い込んでた。苦しんだりみっともない所なんて無いんだと思ってた。達哉はとても強くて、広い心を持ってる。でもそれは達哉がそうなりたいと一生懸命努力しているからなんだね。苦しまない人なんていないのに、ほんとに馬鹿だな、僕は。

 達哉の瞳が僕を覗き込んできた。いたずらっぽく少し笑ってる。キスの予感に僕はそっと目を閉じ、達哉の唇をねだった。僕は、達哉の意志の強さを感じさせるその目も、優しい唇の感触も、その大きな手も、何もかもが愛しくてたまらなかった。

「……ごめん」

 キスする寸前に、僕の耳元でふいに達哉が独り言のように何かささやいた。え? え? え? い、今、今確かに「ごめん……」って言わなかった? 僕は自分の耳を疑った。達哉が、あの負けず嫌いな達哉が僕に「ごめん…」って今言わなかった? あ、ちょっと待って、この歴史的事実をもっとちゃんと確かめなきゃ。

 僕が達哉が今言った事をしかと確かめるために慌てて口を開こうとしたとき、有無を言わせぬ勢いで達哉が僕の唇をふさいだ。文字通りの口封じ。ズルいよ達哉、君だけ言い逃げするつもり?そう思ったけど、今回だけは許してあげる……。

 ……愚かな行為を愛しいと感じるのは、何故なんだろう?      


                                                                                        ENDE

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