OUT OF CONTROLE Side-a
ケンカの理由がなんだったのかは良く覚えていなかった。淳がベランダにおいていた鉢植えを達哉が枯らしたとかなんとか最初はそういう些細な事だっただろう。淳が自分の家に2、3日帰るから……と達哉に鉢植えの世話を任せて帰ってきたのがついさっき。
俺は俺なりに頑張ったんだ。とそう達哉は自分に言い訳する。
水を沢山やった方が元気になるかな〜? と思って水を沢山やったら、淳が言うには「やりすぎ」で、植木にイモムシがついているのを見過ごしたのも、その後全然水をやらなくて植木がぐったりしてるのも達哉のせいだという。水をやりすぎたらいけないなんてそんな事知るか。俺はあのイモムシの成長を楽しみにしていたんだ。まあ、しばらく水もやらずにほっといたのは悪かったと認める。イモムシが淳の植木をほぼ食い尽くしていたのには実は多少はビックリして、これはマズイ……とは思ったが。……とそんな事を達哉がぼんやり思う。
多分最初の理由はそんなところだ。淳は帰ってくるなり俺よりも先に植木の心配をしやがって、とそれがまず達哉にはカチンと来た。「達哉はめったな事では死なないけど、僕の植木はデリケートだから」などど言ったのだ。
その後悲惨な植木の状態を見た淳は大激怒して達哉に詰め寄った。「どうしてちゃんと約束を守ってくれなかったの?」から始まり、「僕との約束なんてどうでもいいんだ?」へとエスカレートし、淳の綺麗な顔が俺を責めてきつく達哉を見るのに無性に腹が立ってしまった。鉢植えを枯らしたぐらいで、俺の淳への気持ちを疑うのかおまえは? そんな事を口にして後はもうお互い言葉が止まらなくなって大喧嘩。
挙句の果てには……、「もういい!」なんて言って達哉は部屋を飛び出してきてしまった……。
その後むしゃくしゃした気分のまま闇雲にバイクを飛ばし、行き先のあても無かったので意味も無く路地を曲がったりしているうちになんとなく青葉公園に着いてバイクを止めた。特に目的があって飛び出したわけではないので、落ちついて考える事が出来る場所なら何処でも良かった。
ベンチに座り、気を落ちつかせて今までの出来事をじっくりと反芻してみる。
……子供か俺は。全く……、なにやってるんだ。
自分のやった事があまりにも子供じみていて呆れてしまう。全面的に悪いのはもちろん自分だ……。そんな事は最初から判ってたはずだ。淳との約束を守らなかった。淳が鉢植えを大切にしていた事は知ってたはずなのに。
あんな、あんな顔をさせたくなかった。
達哉は先ほどの淳のきつく自分を睨みつける瞳をぼんやりと思い出した。
胸が痛い。淳にあんな顔をさせたのも、それが自分に向けられているという事も。
淳にあんな顔されてしまった。本当に怒ってた。きっと俺に呆れてしまっただろう。それだけのバカな事をしてしまった。
ああ、ヤバイ、マジで胸が痛い。
「胸が痛い」という言葉が本当である事を達哉は知った。本当に痛いのだ。気のせいなんかじゃなく、確かな痛みを伴って達哉を後悔させる。淳にあんな顔で見られたことが、予想以上にショックだった。
淳の期待を裏切って、淳を傷つけた。怒らせた、失望させた。
一番腹立たしいのはそんな自分。本当は自分に腹を立てていたのに、淳に怒りをなすりつけて酷い事を言った。鉢植えを枯らしたぐらい……。なんかではない、俺はそんな些細な約束すら守らなかった。俺が淳との約束を、ひいては淳の事をどのくらい大事に思っているか……と言う問題なのだ。淳が怒るのも当たり前だ。淳が悲しいのも当たり前だ。
バカだ……、俺。いまさらどんなに後悔してもしきれない。子供な自分が疎ましくさえなってくる。いつも兄に子供扱いされるのが不満だった。もう子供なんかじゃないと思っていたが、それがとんでもない間違いのうぬぼれだった事を思い知らされる。
そうだ、俺、うぬぼれて調子に乗ってたんだ……。
淳がそばにいてくれることを当たり前だと思い、淳がそばにいてくれることのありがたみを忘れ、相手の気持ちを考える事を忘れて傲慢にふるまっていた自分。してもらう事ばかり考えて淳がそばにいてくれるようになにも努力してなかった自分。
克哉の言うとおりだ……。俺はどうしようもなく子供でバカだ。
すなおに兄の言葉を聞けなかった、あの時妙な反発などせず兄の忠告を噛み締めておけば良かったのに。そうしたら淳にあんな目で見られる事など無かったのに……。
多分淳はずっと我慢していたんだ。俺が自分で気がつくのをずっと待っててくれたのだ。なのに俺はバカで子供みたいで淳に甘えてばかりいた。今回の事で淳は我慢の限界に来て切れたのだろう。
水があふれそうなダムに石を一つ放り込んだら、それがきっかけとなってダムが崩壊してしまうように。俺が鉢植えを枯らした事はただのきっかけにすぎなくて、問題の根はもうずっと昔から淳の中に蓄積されていたのだと思う。そう思うと、達哉の胸の痛みがズキリと増す。淳の責めるような目が思い出される。
ごめん、ごめんな淳……。達哉がきゅっと目を閉じた。
こんな気持ちは始めてだ。誰かのせいで胸がこんなに痛くなるなんて知らなかった。すべては淳を知ってから。
幼い日の出来事がトラウマになっていたのか、生来の性格か、達哉は自分がこと人付き合いに関しては欠陥人間だと思わずにはいられなかった。悪魔相手に漢を語る雄弁さが人間相手には発揮されない。というよりも、他人に対して興味が持てなかったのだ。
しかし、淳はそんな達哉の欠けた部分そっと補ってくれた。リサに対して冷たいのも、人付き合いが希薄なために他人の気持ちを想像する力が無かったからだ。淳はそんな達哉をさりげなくフォローしてくれた。
そのうち淳の事を大切だと思うにつれて、幼い時を除いては始めて他人に興味を持つにつれて、欲しいと思うにつれて、知りたいと、知って欲しいと思うにつれて、達哉は自分が代わっていくのを感じる。
当たり前だった日常が淳がいるだけで違う世界へと音を立てて変化していくのを感じる。まだその思いは淳にしか向けられていないが、やがて達哉に足りない何かを補い、成長させていくだろう。俺がちゃんと鉢植えの世話をしてたら淳は喜んだだろうなぁ……。
もはや手遅れで思っても無駄なことを想像してみる。自分でやった事なのにバカな話だか、淳を喜ばせてやりたかった、淳の笑顔が見たかった。行動を伴わない当たり最低だが、これだけは本当に心の底から思う。そしたら俺の株も上がったのに……。と最後に少々不純な気持ちを付け加える。「よし……、十分反省した。この位で良いだろう」
達哉がそう言い放つと、意を決したようにベンチからすっくと立ちあがる。
悩んでいるのはもうやめだ。後悔は十分した。(たぶん)後はもう2度と同じ過ちを繰り返さない事、このことを教訓にいい漢になること。してもらう事ばかり考えないで、淳に喜んでもらう事を常に心がける事。
それが多分淳に報いてやる事に違いない。そう自分の中で今後のルールを作る。
二度と淳を悲しませたり失望させたりしない事。これを人生の第一目標として生きて行こう……。と決心する。
淳に責められたことがやたらとショックで悲しくて、自分がふがいなくて悔しくて、つい淳を残して感情の赴くままに部屋を飛び出してしまった。
これは恥ずかしい……。かなり。そして気まずい。
だが犯した過ちは取り返しがつかない。やってしまった事はしょうがない、俺が今すべき事はしてしまった事に対していかに最善の処置をするかだ。今淳と顔を合わせるのはあんな事をしてしまった手前恥ずかしいが、そうも言ってられない。うじうじ悩むのは性に合わない。ここは一つ漢らしく……。
あやまろう……。
昼下がりののんびりとした雰囲気の青葉公園で、偉そうに腰に手を当てて仁王立ちし、空を睨むその姿は、今から謝りに行こうとしている人間とは思えないふてぶてしさだったが、漢らしさに満ちていたという。
「淳?」
意を決して自分の部屋に戻る。
「ごめん」
「俺が悪かった」
「反省してます」
「許せ」
「もう約束破ったりしません」
などと思いつく限りの謝罪の言葉を頭に思い浮かべる。
謝ろう、ちゃんと謝るんだ。ちゃんと淳の許しを請おう。そう決心して部屋のドアを開ける。
元来人に頭を下げる事が出来ない性格だし、実際、人に謝るなんてあんまり経験した事がないのでかなり緊張した。
カリスマだなんだといわれて、人が遠巻きに見ているのを良い事に、ものぐさな性格からあまり人と付き合う事が無かった。なのでこんなとき結構どうして良いのかわからない。もっと人付き合いを勉強するんだったと自分の怠惰から来る経験不足に心拍数が上昇していく。謝罪の言葉を色々考えてみたが、ボキャブラリーが少なくてすぐに尽きてしまう。淳と一緒にいて、自分がどんなに子供か判って良かった……。このまま淳に再開することなく成長していたら、どんな大人になっていたのだろう?そう思うと内心を冷たい汗が伝った。
「淳?」
柄にも無く緊張と不安に駆られながら再び淳の名を呼ぶ。狭い部屋に達哉の声が響く。もしいたら聞こえないわけがない。しかし、返事は無かった。
「淳、いないのか?」
訳も無く不安に駆られて靴を脱ぐのもそこそこに部屋に入る。今度は不安で心臓がドキドキ言い始めた。いやだ、なにかいやな予感がする、不安でたまらない。悪魔と戦った時も、ケンカを売られて複数で囲まれた時もこんなに不安じゃなかった。怖いもの知らずな達哉にこんな感情を抱かせるのは唯一人しかいない。
「おい! 淳! 淳ってば! 居ないのか!」
人なんていないことなど、一目見たらすぐ判る。それでも諦め切れずに、いや、淳がいないことを認められずに、トイレのドア、浴室のドアを片っ端から乱暴に開けていく。
これまでに味わった事の無い不安、寂しさ、焦り……。そんな感情が達哉の心の中で膨れ上がっていく。こんな気持ちになったのは初めてで、淳がいない事も合わせてしばし戸惑った。自分がつかみ切れない、いま自分がどういう状態なのかわからない。
「淳、居ないのか……?」
何処にも淳は居ない。そう思うとなんだか泣き出したくなるような寂しさに駆られ、途方にくれてあたりを見渡す。
二度と会えないわけじゃない、ただ今ここに淳がいないというだけなのに。この焦りは何だ? 締め付けられるような胸の痛みはなんなのだろう?
今まで人とふれあう事を避けていた自分にはわからない感情を持て余し、コントロールできない自分に動揺した。いつもの達哉からは想像できないような頼りなくさまよう視線の先がなにかを見つけて止まった。「マジかよ……」
達哉がテーブルの上に置かれたものに釘付けになった。何もないテーブルの上にただ一つだけこれ見よがしに(達哉にはそう思えた)置かれたもの。達哉が幼い頃淳に上げた宝物、淳がいつも肌身はなさず自分の一部のように大事にしてたもの。二人だけの秘密の約束、お互いだけが特別だという証。
華奢な淳の手には不釣合いに大きかった腕時計。
「淳、ほんきっ、……本気なのかよ」
達哉があえぐようにかすれた声を出した。
いやだ、いやだ、淳が居なくなるのはいやだ! 淳が居ない! ここには淳が居ない!
わがままだろうと、勝手だろうと、いやだという感情がどっと本能的に押し寄せてきて達哉の思考を一杯にした。いやだ、許さない。体の奥底から沸き起こるたった一つの真実、たった一つ求めるもの。周防達哉の半身、そして半神。達哉を支配する圧倒的でただ一つの感情。
「いやだ! 絶対に!」
そう言うや否や、部屋中を半狂乱になって荒らし回る。押し入れ、クローゼットのドア、流しの下の扉。狂ったように切羽詰って探し回る姿はこっけいで、それでいて純粋に真剣だった。ばかげている、無駄だ。という言葉は今の達哉にとってなんの意味もない。
ただ愛しい面影をがむしゃらに探し回るだけ。一通り探し回った後は、一度開けたところを何度も覗きこんで確かめた。有益かどうかはもはや問題ではない。
達哉を突き動かす心の声にしたがって淳を探すのみ。実際なにかしないと気が狂ってしまいそうだった。主人の匂いを捜し求める番犬のように淳の姿を捜す、淳の面影を探す、ここにたしかに淳がいた証を求めてそれだけがすべてになる。
ただ外出してるだけだろう、多分そんなとこだろう、時計だってたまたま忘れていっただけに違いない、でも、でも……。淳に今会いたい、今!
この得体の知れない不安を淳の笑顔で晴らして欲しい、淳に会いたい、淳を捜さずにはいられない。どうしてこんな気持ちになるのかわからない、なんでこんな事しているのかも判らない。ただ淳がいなくて、不安で、寂しくて、焦って、こんな気持ちは初めてで、もてあまして、どうして良いのかわからない、バカみたいに淳を捜す事しか出来ない。それしか知らない。
「達哉……」
淳がいない……。あちこちを狂ったように捜し尽くし、それでも淳の姿は見つけられない。孤独と寂しさが体の奥から押し寄せてくる。まるで子供のように途方にくれている達哉の背後から遠慮がちに声がかけられた。
さっきからずっと求めていた、飢えていた淳の声に血走った目で振り帰る。
「淳!」
空っぽの身体に命が吹き込まれたような錯覚に襲われた。電流が走ったかのような刺激。そこにいたのは、捜し求めていた愛しい姿。その声に本能的な衝動に駆られて飛び掛るように呆然としている淳を抱きしめた。何が起こったのか判らないのだろう、淳は達哉のなすがままにされている。
「ンッ……苦し。ど、どうしたの? 泥棒?」
達哉にいきなり息も止まりそうなくらい強く抱きしめられながら、淳が部屋のありさまを見て仰天する。
それもそうだろう、部屋中の扉という扉はすべて開け放たれ、床にはさまざまなものが散乱し、床も見えないような酷いありさまだ。
淳の声が耳に入ってないのか、達哉はただ淳の存在を確かめるように再度強く抱きしめた。
淳の匂い、その形、その声、体温、手触り、淳を構成する全てを確かめる。その全てが達哉に命を吹き込み、心を満たしてゆく。達哉は砂漠の水に乾いた旅人のように飢え乾いていた心が、淳を吸収して甦ってくるのを感じた。
「ねぇ! 達哉、何があったの!」
淳の存在を確かめるように、この世で淳しか見えていないかのように、ひたすら淳を抱きしめてそのかたちや匂いを確かめる達哉に淳が困って問いかける。
「い、居なくなったと思っただろっ」
淳の耳元で、達哉が高ぶる感情を押ているのだろう。低くなったかすれ声で叫んだ。孤独にさいなまれ、淳を求めて飢え渇き、苦しみぬいた達哉の心。淳を見つけて得た心の底からの安堵感と喜び。それらの全てが混ざり合って乱れた声に込められる。
馬鹿みたいな一人よがりが原因でも、そこから生まれた苦しみは本当だし、感じたその気持ちは何が原因だろうと誰にもけなせない。
「え?」
淳にとってはあまりにも意外だったのだろう。達哉の答えに目を丸くする。その声に、達哉が少し恥じらいの混じった声で小さく叫んだ。
「おまえがもう帰ってこないかと……、思ったんだよっ!」
「ええ! なんでそんな事」
さすがに自分のしたことが少し恥ずかしかったが、淳に自分の気持ちを分かって欲しかった。淳にはそうでなくとも、達哉にとっては生きるか死ぬかぐらいの深刻な問題だったのだ。淳がいないと知ってからの数分はまさに永遠のように長い苦しみの時間だったのだ。たとえそれが無駄な勘違いだろうとなんだろうと、思う事を止められなかったのだ。
「俺、バカで、淳に酷い事言った。子供みたいな事したし。時計……、置いてあったから」
苦しそうな淳に、少し腕の力を抜く。同時に安心して気が抜けたような、でも落ちついた声で言った。淳に許しを請おう。淳が許してくれるのなら、どんな贖罪の行為でも喜んでやる。
「あ、そうそう。僕時計を取りに帰ってきたんだよ」
相変わらず淳を放そうとしない達哉の腕の中にすっぽりと収まりながら、淳が達哉の目を見て安心させるように笑った。達哉の瞳の深刻な光を知っているのか知らないのか、気づいてないように明るい声を出す。その声に思わず一瞬達哉が罪悪感を忘れて素っ頓狂な声を上げた。
「え?」
「ケンカしちゃったから……。僕も鉢植えの事ぐらいで少し言いすぎたなって思って。お詫びに達哉の好きなものでも作ろうと思って買い物に行ったんだけどさ、商店街の前で時計をはずしたままなのに気がついて、戻ってきちゃった」
こともなげにそう言ってにっこりと笑う。明るいその声は、達哉の罪悪感を削ぐためのもしかしたら演技なのかもしれなかった。
「……商店街まで行って戻ってきたのか? わざわざ?」
達哉が呆れて問いかける。たしかに商店街までは歩いていける距離だ、しかし、往復と、また商店街にまで行く労力とを考えると結構な距離になる。それを時計を忘れたなんて理由で本当に帰ってきたのだろうか? それは達哉から見てもずいぶん合理的でない行為に思える。「うん。だって時計忘れたんだもの」
当たり前じゃないか、何を言ってるんだ? というような淳の態度。
「あの時計を? 商店街まで行ったんなら買い物してくりゃ良かったじゃないか……」
多分普通ならそうするだろう。時計は今取りに帰らないと無くなってしまう訳ではない、家に帰ればちゃんとあるのだ。商店街の前まで行って、わざわざ時計を取りに帰るなんて普通の人間ならばかげていると思うだろう。合理的でないと思うだろう。しかし、淳は達哉の言葉に抗議するように唇を尖らせて少し上にある達哉の顔を見上げた。
「だって! 嫌だったんだよ! あの時計が無いと。達哉とケンカなんかしたものだから、動転してお風呂から上がったまま忘れちゃったんだよ」
上目使いの少し甘た口調で達哉に責任を押しつける。僕が大切な時計を忘れるぐらいおかしくなっちゃったのは、達哉のせいなんだからね。と言外に匂わせ、甘い媚を売る。
「さては……、おまえ、バカだな?」
達哉が半ば呆れて呟く。
「達哉もね、結構なバカだと思うよ」
淳が達哉がやった大荒れに荒れた部屋を見まわして笑いながら言い。からかうような喜んでいるような表情で、達哉の目を見た。
「ねぇ……、君、もしかして僕を捜してたの?」
「いなくなったと思ったんだよ……」
達哉がかすかに赤くなって、恥ずかしいのかぷいとそっぽを向く。バカな事をしてるとは最初から判っていたが、さすがに恥ずかしい。普段は憎たらしいほどクールに見せてるくせに、淳がいなくてムキになっている子供みたいな自分を見られてしまった。
「流しの下の台まで捜したの? フフフ、僕、ネコじゃないんだから」
「うるっさいな。黙れよ」
「ねぇ、時計返し……、うわっ! 達哉! 重い!」
どういうつもりなのかいきなり淳を抱きしめていた達哉が体の力を抜いて淳にもたれかかってきた。華奢な淳が達哉の体重を支え切れずに壁を背にしてずるずると床へ座り込む。
「重いったら!」
「うるさい」
「時計返して!」
「いやだ……。忘れるようなヤツにはやらん」
達哉が淳の抗議をことごとく撥ね付ける。相変わらず淳を抱きしめたままずるずると壁みそってずり落ち、床に座り込んでるものだからかなり苦しい体制になったが、それでも淳を離そうとしない。
達哉が満足そうな表情で淳の肩に軽くあごを乗せて目をつぶる。ここには確かに淳がいる。それだけでもう何もいらなかった。ずいぶん単純だと自分でもあきれるが、先ほどの苦しみが嘘のように満たされる。さっきからずっと離そうとしなかった淳の時計を強く握りなおした。少し前までは絶望の象徴のようだった時計が、今は淳を自分をつなぐ大切なパーツになる。
「それ、僕の宝物なんだから壊したりしたら許さないからね! いくら君でも! 達哉、物持ち悪いじゃないか、さ、返してもらうよ」
淳がそう言うなり容赦無く強引に達哉の手から時計をもぎ取る。
「お前……、俺より時計が大事だろ……」
「もう、こんな事で拗ねないでよ! ……ねぇ、もう仲直りしないかい?」
拗ねた声を出す達哉に呆れた声で言ったあと、淳が達哉の耳元でそっと囁く。
「僕、達哉とケンカするの、嫌だよ。本当に嫌だ」
「俺も……、おかしくなりそうだ」
いやだ、つらい、そんな感情を込めた淳の言葉に、達哉が先ほどの自分を思い出してため息をつく。もうあんな身を引き裂かれるようなつらい思いはごめんだ。二度と淳を無くすなんて想像だけでもしたくない。
「じゃぁ、仲直り」
淳が優しくそう言って、達哉の背中を安心させるようにぽんぽんとたたく。いつもの漢らしくて頼り甲斐のある達哉も好きだが、自分にしか見せないみっともなくて弱い部分も全部含めて愛しく思う。一見矛盾していてもどちらも本当の達哉なのだろう。
「俺、仲直りに一番良い方法知ってるけど?」
もっと近くに淳を感じたくて、淳を引き寄せる。淳の胸元に額をくっつけると、淳の心臓の鼓動が聞こえた。
俺達はこんなに近くにいる。規則的で優しい淳の生命のリズムを聞きながら達哉が軽く目を閉じてそう感じる。でも、もっと近くに淳を感じたい。
顔を淳に近づけすぎたせいか、少し声がくぐもった。少し悪戯っぽい達哉の声。
お互いがもっと近くに感じたいと思ってるのに、何を遠慮する事があるだろう? 理性も常識も、二人の間を邪魔する事は許さない。
近づいてくる達哉の端正な顔に、淳も達哉のキスを待った。僕も同じ気持ちだという同意を表すためにそっと瞼を閉じる。キスするその寸前、聞こえるか聞こえないかのがちいさな声で、達哉が「ごめん…」と言ったのを淳は聞き逃さなかった。あわてて淳がなにか言いかけるのを、達哉が素早く唇でふさいで封じた。
お前の存在は理性を狂わす。
狂った行動も、恋の法則からすれば合理的。
ENDE
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