折鶴







 冬の夕日が沈むと、あたりは急に薄暗くなった。近くの小学校から、「夕焼け小焼け」が流れてくる。

 遊んでいた子供たちはみんな友達に判れを告げ、家路についているというのに。

 こじんまりとした神社の境内に、膝を抱えてうずくまる小さな女の子が一人。

 お社の階段に座り、じっとしているその子の耳に、微かな歌声が聞こえた。

 思わず顔を上げる。

 目の前の石段を、小さく歌を口ずさみながら登ってくる人影を見て、思わずぎゅっと膝を抱える手に力を入れる。

 白い着物に、青い袴。黒髪を後ろで軽く束ね、背へ流している。

 こんな時間に、こんな所にくるなんて、おばけ?

 緊張した目で見ていると、その人影が女の子に気がついてにっこりと笑う。

 すごくきれいなひと……。

 夕暮れの中に突然現れたその姿は、妖しく美しく、思わず怖さを忘れて見とれる。

 優雅な足取りでこちらへ歩み寄り、女の子の前で膝を屈め、またにっこりと笑った。

「お嬢ちゃん、こんな遅くまでこんな所に居ちゃいけないよぅ。さぁ、いい子だからお家へお帰り。お母さんが待ってるよ」

 動くたびに、ふわりといい匂いが立ち上る。切れ長の瞳も、形のいい唇も、近くで見るとドキドキするほど美しい。

 唇の下にある黒子が色っぽくて、こんな綺麗でふしぎなひと、今まで見たことがない。と、目が離せなくなる。

 落ち着いた声で優しく言われて、思わず立ち上がりかけたが、慌てて首をぶんぶんと振った。

「ここは今からよくないものが集まる。悪い事は言わない。危ないから早くお帰り」

 宥めるように言われても、頑なに首を振った。

「嫌なの。お家に帰りたくないの」

「どうしてだぃ?」

「お家にへんなものがいるの。ママに言ったら、何もいないって怒るの。でもいるの。お家だけじゃないの、学校にもいるけど、言うと苛められるから言わないほうが良いの」

 女の子が言うと、なるほどねぃ。と腕を組む。

「でも、あの人は怖くないよ」

 女の子が指差した先は、なにも無かった。「視る」能力の無いものにとっては。

 だが、「視える者」には、そこに立つ人ならぬものものが見えるのだ。

「……お嬢ちゃん、見えるのかぃ、あれが」

「うん、仲良しなの。私を助けてくれる王子様がもうすぐ来るから、待ってなさいって言われたから、待ってたの。わたし見えるって言ってくれた人、初めて。一緒だね!」

 女の子は心から嬉しそうに顔をほころばせる。

「ったく、社の主め、人の事勝手に王子様に仕立ててくれやがって……」

 小さな声で不満そうに言いかけたが、迫る瘴気を感じ、はっと顔の表情を変えた。

「ああ、はじまっちまった」

 慌てたように言って、女の子の肩に手をかける。

「しょうがない、お嬢ちゃん、こっちへおいで。さぁ、手を握っていてあげる。アタシの手を離すんじゃないよぅ」

 女の子を急かして立たせ、手を差し伸べる。

 女の子は恥らいながらも嬉しそうにその手を取ると、安心させるようにぎゅっと手を握られた。

「お社の中に隠れよう。見つかったらいけないよ。八つ裂きにされちまう」

「勝手に入って良いの?」

「いいよ。お嬢ちゃんと仲良しの人がお入んなさいって言ってるからねぃ」

 アタシを勝手に王子様にするつもりなんだから、その位はいいだろう?

 そう思って、ちらっと先ほど女の子が指差したあたりを視ると、木の下に佇む、この神社に祭られている神が微かに頷いて消えた。

 普段鍵がかかっているはずの扉があっさりと開き、二人は体を滑り込ませる。

 間一髪だった。

 社の中に隠れた瞬間に、わいわい、がやがやと賑やかな騒ぎが聞こえてきたのだ。 

 社に入ると、女の子を安心させるように片膝をついてしゃがみ、目線を合わせてにっこりと笑う。

「見てごらん」

 言われて、お社の扉の隙間から外をうかがうと、眼前に繰り広げられる恐ろしい宴にぎょっと目を見開く。

 壊れた洗濯機に手足が生えている。掃除機はまるで象の鼻ように長いホースを振り回し、目玉のついた箪笥はぱかぱかと引き出しを開けたり閉めたりして飛び上がっている。

 電子レンジはチーンと高い音を立てながら転がり、携帯電話はちかちか光りながら、まるで笑い声のようにけたたましい着信音を響かせる。

 それらは、家電製品や粗大ゴミの成れの果てだった。見たことがあるのに見たことがない。洗濯機は毎日見ているが、手なんか生えていない。

 洗濯機や掃除機だけじゃない。パソコン、テレビ、ビニール袋、壊れたピアノ。ありとあらゆるゴミが恐ろしい化け物となって、飛び上がったり音を鳴らしたり、好き勝手にしながら行進してくるのだ。

 恐怖のあまり、ひっと思わず声を出し、女の子は慌てて横の綺麗な顔を見た。

「なに、あれ」

「百鬼夜行さ」

 社の扉の間から外をうかがい、楽しそうにさえ聞こえる口調で言った。

「ゴミ処理場からつれてきたんだよ。ゴミがお化けになって夜な夜な悪さをするから退治してくれって頼まれてねぇ」

 ククク……。と扇で口元を隠しながら悪い笑みを浮かべる。気がつけばあたりは真っ暗になり、異形のものと化したゴミたちが放つ光が不気味に周りをぼんやりと照らす。薄闇に蠢く百鬼夜行のおぞましい様子に思わずぞっと肌を粟立てた。

「あれを退治したら三千万円貰えるんだよぅ」

 にっこりと無邪気な笑顔で、自慢げに言う。女の子は目を白黒させ、目の前の百鬼夜行と、その綺麗な顔を交互に見る。その笑顔と百鬼夜行の恐ろしさがちぐはぐすぎて理解できない。

「お金そんなに貰えるの」

「足元見て吹っかけてやったからねぃ。古い物を放置してると、よくないものが憑りついてあんなふうに付喪神になるんだ。金もらっときながらゴミをほったらかしにした自業自得だよぅ」

 そう言って、まるで悪戯を楽しむ子供みたいに無邪気に笑う。その笑顔で、思わず恐怖を忘れ、つられて女の子の顔に笑みが浮かんだ。

「儲かるんだね」

「儲かるよぅ」

 ふふふ。と嬉しそうに首をかしげて笑う笑顔をすごくかわいいなぁと思って見つめていると、やがて、外の様子が変わった。

 社に続く階段を、マントを翻し、四、五人の人影が駆け上がってくる。ぶつぶつと呪文らしき言葉を呟き、列を離れようとする付喪神を、よく訓練された牧羊犬のように列へ追い立てる。

 きびきびとした動きや、緊張した顔の表情がとてもかっこよく見えた。

「五嶺様はどちらに?」

「五嶺様がいらっしゃらないぞ」

 不安そうにざわつくマントの人影を見て、女の子が心配そうに横の顔を見る。

「あのマントの人たちは?」

「アタシの部下の魔法律家たちさ。見てごらん、あの真ん中の小さいの、豚みたいだろ? アタシがいないから大慌てしてやがる。あの顔ったら傑作だ。おかしいねぃ」

 社の外の人影が、五嶺様がいないと泡を食っているのを見て、さもおかしそうに笑う。

「あなたは?」

「アタシは社長さん」

「まほうりつかって、なに」

 不思議そうに首をかしげる女の子の頭を優しく撫でながら、口を開く。

「お化けを退治する人のことだよ。あいつら全員、お嬢ちゃんみたいにお化けが見えるんだ。きちんと勉強すれば、お嬢ちゃんの力はちゃあんと役に立つんだよ、あんな風にねぃ。お嬢ちゃんを苛めた奴らは自分にはそんな力が無いから、僻んでるのさ」

「私も、やくに、たつんだ。あんなふうになれるんだ」

 社の外で、百鬼夜行を制御する魔法律家たちを食い入るように見ながら、女の子が呟く。

 そうさ。と相槌を打って言葉を続ける。

「だから、周りの声に負けて自分を嫌いになっちゃいけないよぅ。その力は、お嬢ちゃんの武器になるから大事にするんだ。牙を研いで、自分の出番が来るのを待つんだ」

 耳元で囁かれる言葉に、うん。と頷く。

 自分はどこかおかしいのだと思っていた辛い気持ちが、すうっととけて無くなる。

 その声を、その言葉を聴くと、不思議に力が湧いてきた。

「見えない奴らは、アタシたちを苛めておきながら、困った時だけ頼ってくる。その時はアタシみたいに遠慮なくふんだくるんだよぅ。奪われたものを取り返すんだ」

 力強い言葉に押され、また思わず頷いた。

 ふしぎな人だな。と思う。てもとてもすてきなひと。

 もっとこの人の言葉を聴きたい。もっとこの人の側にいたいと思った。

「少し、手を離すよ。声を立てちゃいけない。アタシの側にいれば大丈夫だからねぃ」

 そう言って立ち上がろうとすると、くらっと目がまわり、少しふらつきかける。

「大丈夫?」

 心配げな瞳で見つめる少女に、薄く笑った。

「疲れてるだけだ。平気だよぅ。今日は大きな魔法律を二回も使っちまったからねぃ」

 そう言いながら、着物の袂から和綴じの本を取り出す。暗い社の中で本を開くと、ぼうっと本が光った。よく見ると、本に書かれた不思議な文字列が低く唸りながら光っている。

「ソリアリアケ……アケレロエ」

 本から出る淡い光に照らされた顔は、いっそう神秘的な雰囲気に包まれ、妖しい美しさに魅了される。

 歌……?

 耳に入ってくる不思議な言葉に、少女は首をかしげた。たしかお社への階段を登って来る時も口ずさんでいた。聞きなれない言葉の羅列を、独特の抑揚で唱えるのがまるで歌のように聞こえる。

「長期無断滞在、及び物体無断寄生の罪により……」

 やがて詠唱を止めたかと思うと、今度は小難しい単語を呟き始め、ますます意味が判らなくて首をかしげる。外の付喪神たちは調子に乗り、ますますうるさく騒ぎ立てて、となりの小さな囁き声をかき消した。

 大丈夫、なのかな? と思わず不安な顔をする。

「……の刑に処す」

 ぼそり。と呟くと同時に、闇の奥から、弦の震える音が響いた。


 ビィン……。


「な、なんの音?」

「まぁ、見ててごらんよ」

 微かに息を切らせながら、扉をほんの少し開ける。


 闇の奥に、交互に動く白いものが見えた。

 それが女の足、足袋を履いた足だと気がついた時、海老茶の着物に、太棹の三味線を抱えた女が現れた。

 頭からすっぽりと白い布を被り顔の大半は覆われて見えないが、その顔色は蝋燭のように白く、全く生気を感じない。ただ布の端を咥えている唇が血のように赤い。

 女の白い手に握られた撥が弦を弾くたび、哀愁のある音が夜の空気をふるわせる。

 先ほどまで、がちゃがちゃとけたたましい音をたてていた付喪神達が、ぴたっと大人しくなった。

 女の弾く三味線の音にうっとりと聞きほれている。

 女が側を通り過ぎ、付喪神達に背を向けると、ふらっと一匹の付喪神が列を抜け、女の後を追う。それが合図になり、付喪神達は操られるようにぞろぞろとその後へついていった。

「おいで」

 小声で言って、少女の手を引き外に出る。社の扉を大きく開ける。

「お嬢ちゃん、アタシを手伝っておくれ」

 そう言って、女の子の耳元で、不思議な言葉を二言三言囁いた。「覚えたねぃ?」と念を押し、頷いたのを確認すると、袂から白い布を取り出して投げる。女の子が慌ててそれを受け取ると、後ろから声がした。

「それを広げるんだ!」

 さっきのマントの人だ。と思いながら、教えられた呪文を唱え、布をばっと広げる。

 急げ! 早く陣をひけ! と叫びながら、またたくまにマントの人影がその布の端を持ち、社の扉を覆うように掲げる。

 白に不思議な紋様を染め抜いた布を広げると、その中心が一瞬ぼうっと光った。布の中心、陣が書かれたあたりの闇が濃くなり、冷たくてかび臭い、思わずぞっと肌が粟立つ瘴気が漏れ出す。

 あそこ、怖い!!

「近づいちゃいけない。あれは地獄の入り口だよぅ!」

 怯えて立ちすくんだ女の子の体を、力強い手がぎゅうっと抱きしめた。「おいで!」と耳元で囁かれ、抱き上げられる。

 抱き上げられたまま、急いで扉の脇に身を潜めた。

 少女の目の前を、女が通り過ぎていき、布の真ん中をすり抜けてその奥へ消える。女の後ろにつき従い、付喪神たちもぞろぞろと布の奥へと入る。

 小さな社に、沢山の付喪神達が吸い込まれるように消えていく。

 あれはほんとうに地獄の入り口なんだ。

 本来ならば、到底入りきれないほどの付喪神達が社の奥に消えるのを見てそう思った。

 怖くて涙が出そうだったが、側にある綺麗な顔は好戦的な微笑みをうかべ、その顔のあまりの美しさに怖さを忘れてじっと見つめる。


 全ての付喪神を飲み込むと、ひらりと布が落ち、ばたん! と扉が勝手に閉まった。

 ほう……。と周りから安堵のため息が漏れる。

 やりましたねゴリョー様! と口々に声をかけられ、疲れた様子で頷く。


 布を片付けるように指示した後、一番小さなマントの人物が駆け寄ってくる。

「五嶺様。そんなところにいらっしゃったのですが。お姿が見えないから慌てましたよ」

 言いながら、五嶺の腕に抱かれている女の子を見て、不審そうに顔をしかめた。

「なんです? そのガキは? そんな素人以下のガキに地獄開きの一を任せるから焦りましたよ」

「ここのお社の主さまのお友達なんだってさ。世話を頼まれちまったから邪険にもできないだろ? それに、アタシはこの子がちゃんとできるって判ってたんだ。お前はいつアタシのすることに口を出せるほど偉くなったんだぃ?」

 言いながら五嶺は抱いていた女の子を下ろす。

 じっと穴が開くほど自分を見つめている女の子に気がつき、にっこり笑って、「エビスの」と叱責されて真っ青になっていた小男を呼び寄せる。へい。と返事をしてひょこひょこやってきたエビスの頭の上にメモを置いてさらさらと何ごとかを書き、それを幾度か折り曲げた。

「ほら、アタシを手伝ってくれたご褒美にお守りをあげようねぃ」

 手渡されたのは、白い折鶴。

「ツル……」

「どうしても苛められるのに我慢できなくなったらそれを開くんだよぅ」

「あ、ありがとう」

 些細な事だけど、初めて役に立ったと言われて、震えるほど嬉しかった。

 道を教えてくれた特別な人からもらった折鶴。一生大事にしようと心に誓う。

「私、勉強して、まほうりつかになります……」

「頑張んなねぃ」

 ぽんぽんと軽く頭をたたきにっこり笑う五嶺を、食い入るような必死な目で見る。

「そしたらまた会えますか?」

「お嬢ちゃんが、優秀な魔法律家になったらきっとねぃ。五嶺魔法律事務所は優秀な人材なら誰でもウェルカムだよぅ」

 その返事に、絶対に魔法律家になる。そして、もう一度この人に会うんだ。と強く強く思う。

 私は夢をもらった……!

 嬉しくて涙ぐむ。

 ぎゅ……と鶴を握る手に手を重ね、強く握り締めた。

「家まで送っておやり」

 小男に言いつけ、背を向けるのを見て、慌てて口を開く。

「ありがとうお姉さん!!」

 嬉しかったので、神社の境内中にひびくくらい大きくお礼を言った。

 エビスと呼ばれていた小男が、目を真ん丸くする。

「おっ、お姉さん。ぶっ、ぶひゃひゃっ!」

 堪えきれずに噴出したエビスを、ぎろりと恐ろしい目で五嶺が見た。

「豚、アタシを笑うとはいい度胸だねぃ」

「あっ、申し訳ございません五嶺様!! そんなつもりではけして!!」

 青ざめ、土下座せんばかりの勢いで謝り倒すと、エビスがくるっと女の子の方を向いた。

「おいガキ、このお方はお姉さんじゃないぞ!」

「綺麗なお姉さん?」

 ぶはっとまた噴出しそうになるのを必死で堪える。ここで笑えば死が待っているのを十分判っているので今度は何とか耐えた

「き、綺麗なお姉さんでも、凄く綺麗なお姉さんでもねぇ! このお方はなぁ、ものすごく綺麗なお兄……」

「いちいち説明せんでもいい!」

 ビシィ! と扇で頭を殴られたエビスの「あ痛ェ!!」と言う声があまりにも情けなくて、一同がどっと笑った。



 あの時の折鶴はもう無い。

 一枚のメモ用紙に戻ってしまった。

「どうしたぃ?」

「いえなんでもありません五嶺様」

 定期入れの中に大事に仕舞っているメモ用紙をこっそりと見ていたスーツ姿の女が、慌てて顔を上げた。

 細く綺麗な字で、五嶺魔法律所の住所と電話番号が書かれたそのメモは宝物だ。



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