椿姫
「お帰り陀羅尼丸」
離れにあるアタシの部屋に入ると、酒の匂いと共に声がした。
「……イサビ殿、また昼間っからお酒ですか?」
顔をしかめ「また」に力を込めて言う。この日の高いうちから飲んだくれている男が、先日仮祝言をあげたアタシの夫だというのだから性質が悪い。
許婚がいる。という話でさえも冗談だと思っていたので、父上から仮祝言をあげると言われたのには心底驚いた。なんでもアタシは、生まれる前に父上に売られたんだそうな。何かの魔具と交代で。
……納得できる訳が無い。だいたいアタシはまだ十三なのに。この年で人妻なんてありえないだろぃ。
「違うわ。昨日の夜から呑み続けてるから夜からの続きじゃ」
「そんな毎日毎日遊び暮らしてばっかりでイサビ殿は恥かしくないのですか!」
ふざけた事を言うイサビ殿の前に、アタシはすとんと座り、びしっと指を突きつけて言った。健康ないい大人が、そんなだらだらしているなんて性分として許せない。
「妻のぬしが働いて夫のわしを食わせてくれればいいじゃろ? 朝は朝礼に出てからMLSとやらに行って、帰ってからまた勉強に仕事か。ほんにぬしは働くのが好きじゃのう」
ふざけた返事に、この怠け者が……と睨みつけるが、全く反省する様子も無い。こんな怠け者で酒びたりの旦那がいると、MLSの皆には絶対に知られたくない。特に毒島。
逆にイサビ殿はアタシに、わしが良い男だから見とれておるのか? とからかって言い、ますます腹を立てる。
「夜はあけておくのじゃぞ。ぬしとエビスがおらんと麻雀の面子がそろわん」
断ってやろうかと思ったが、腹が立ったので役満でもぶつけてやろうと思いなおし、アタシはわかりましたと返事をする。
人妻になったからといって、何が変わるわけでもなく、相変わらず家業にせいを出しMLSに通う毎日なのだが、一つ変わったのは、家に帰るとたまにイサビ殿が呑んだくれているという事だ。
結婚といっても、イサビ殿が本気でないのは態度で判る。イサビ殿にとっては、酒が飲める場所が一つ増えたくらいの気持ちなのだろう。
気が向けばふらりと現れるイサビ殿に憎まれ口をたたきながら、内心ではまた家に来てくれたことにほっとしている。
「ところで陀羅尼丸、サイヤ人とはどういう意味じゃ?」
「え?」
唐突に言われ、アタシは目を丸くする。
「エビスと左近が、わしの事をこっそりそう言うとったのを聞いたのじゃ」
腕を組み、んーっと考え込むイサビ殿。
そういやエビスはアタシの前でもそんな事を言っていた。曰く働かない夫の意らしい。
「最近は、いかす山の神はサイヤ人とでも言うのかのう?」
言う訳無いだろぃ!!
あんなに夫君が働かないなんて、五嶺様は大変ですね的な目で見られるアタシの身にもなってみろってんだ!
「働け!!」
「嫌じゃ」
即拒否された。取り付く島も無い。
「ぬしがもうちょっと大きゅうなったら、ちゃあんと閨での仕事はしてやるから安心せい」
にっこり笑ってイサビ殿が言う。アタシなんかが言うのもおかしいけれど、イサビ殿の無邪気な笑顔は可愛いので、騙されてしまいそうになる。
「なんの仕事にしろ働いて下さるのなら結構なことです。アタシが大きくなったらと言わず働くんなら今すぐにでもしてください」
アタシが言うと、イサビ殿はちょっと驚いたように目を見開く。
「……意外と大胆じゃのう、ぬしは」
いやしかしさすがにもうちょっと出るところが出んと……とぶつぶつ言っている。いったいなんなんだろうねぃ。しかしこの根っからの怠け者が働くなんて、何をするつもりだろ?
「はよう大きゅうなるんじゃぞ〜」
イサビ殿は機嫌よく言いながら、いきなりアタシを抱き上げて立ち上がった。線が細いみかけから想像もつかぬほど軽々と。
「ち、ちょっとイサビ殿、降ろしてください」
思わずぎゅうっとイサビ殿にしがみつく。その力や、かたい胸板に、イサビ殿はやっぱりおとこのひとなんだねぃと意識して顔が赤くなる。
「庭の散歩でもするかの〜」
アタシの言葉を無視して、イサビ殿はアタシを抱きかかえたまま庭へ降りる。口に出した事は無いのだが、イサビ殿はアタシが庭の散策が好きな事をなぜか知っている。アタシの喜ぶことをしてくれているのだと思うと、嬉しくて顔がゆるみそうになり、慌てて表情を引き締める。見られてなきゃ良いけど。
イサビ殿がアタシを片手だけで支えながら手を伸ばし、庭に咲く椿を折り取った。その花をアタシの髪にさす。
「ほんにぬしはかわゆいのう」
にっこり笑うイサビ殿。使用人たちが、アタシとイサビ殿を見て、ほほえましいとでも言いたげに笑っている。ああ恥ずかしいったらありゃしないねぃ。
でもアタシはイサビ殿のなすがままにされている。
完全に子ども扱いされて腹が立つやら恥ずかしいやらだが、一番知られたくないのは、アタシがイサビ殿に少しときめいているということだ。
終
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