Evolution
週末は五嶺の家へ帰った。
アタシを出迎えたエビスがとても不安そうな目をしているのを無視する。それから一日中屠殺場に連れて行かれる豚のような絶望的な目をしていたが、アタシが、「言いつけておいたアレは用意しておいたかぃ?」と聞くと、ぱっと顔を輝かせて「ハイ!」と答えた。正直期待していなかったので、アラこいつったら意外と甲斐性のあることだねぃ。と見直したが、エビスがあまりにも嬉しそうな顔をしているので、これ以上言うと甘やかしすぎだろうと思って黙っていた。
寝る前にマッサージを頼むよ。とエビスに言う。アタシとエビスのお約束ごと。つまりアレをしたいって意思表示だ。まぁ、純粋に揉んで欲しいってときもあるんだけどねぃ。
閨で、アタシは寝巻き姿でエビスに腰を揉ませていた。最初、アタシに触れるエビスの手がぎこちなくて、おそるおそるといった体だった。トーマス先生に抱かれたからって、アタシが化け物にでもなったかと思ったのかこいつは。アタシが何も言わなかったら、そのうちいつものエビスに戻ったがねぃ。
「トーマス先生がねぃ、お前の事をよく聞くよ」
「え? 俺の事ですか」
アタシの言葉に、手を止めずに、エビスは不思議そうな声を出した。あ、そこ。とエビスに指示をする。
「そう。お前の容姿、性格、閨でどんな風にアタシを愛すのか。そりゃもう事細かに」
「……なんのためにですか?」
アタシの手前我慢しているのだろうが、心底嫌そうな口調でエビスは言った。
アタシの浮気相手に自分を探られるなんざ、さぞかし気分悪かろう。トーマス先生は、自分の欲望のためなら、相手が嫌だろうとかそういう配慮は一切しない。そんなこと口にするアタシもアタシだが。
「アタシを美味しく食べるために」
アタシの言葉に、エビスは一瞬硬直した。アタシとトーマス先生が何をしているのか、改めて思い知らされたからだろう。
トーマス先生は、おかしな癖があった。エビスに抱かれるアタシを想像すると、興奮する。というのだ。アタシがどんな男に、どんな風に抱かれるのか事細かく聞くのは、嫉妬心なんかのためじゃない。あくまでも自分の欲望のためだ。よく知ったほうが、想像が膨らむので抱いてて楽しいらしい。
宝石や、骨董品が、製作年代はいつ、産地はどこ、作者は誰というのが大事なように、アタシの履歴を知りたいのだそうだ。アタシもそれらのコレクションと一緒なのだろう。性別男、五嶺家頭首、男遍歴はエビス一人……だとか、トーマス先生の中では、分類してラベルが貼られてるに違いない。
「……じゃあ俺も知りたいです。その先生の事」
エビスが対抗するように強がりを言った。
トーマス先生のことなんざ、知っても気分が悪くなるだけなんだけどねぃ。
「そうだねぃ」
アタシは、トーマス先生と話したいろいろな事を思い出していた。
意外なことに、アタシとトーマス先生は、プライベートで一緒にいる時は、ベッドにいるときよりも、勉強を習ったりその合間に雑談をしたりしている時の方が長い。という事に気がついた。体だけの関係と思っていたが、どうやらそうでもない。だけど甘い愛を囁くなんてことは一度も無く、まったく変な関係だと改めて思った。体の関係つきの家庭教師といったほうが正しいぐらいだ。アタシの成績がここのところ右肩上がりなのをいぶかしむやつらが事の真相を知ったらどんな顔をするだろうか。
「この世の中には、アタシが想像もつかないほど貧しくて悲惨な女が体を売っているんだそうだ。トーマス先生はその女達を買って、女の話を聞くのがこの上なく好きなんだってさ。女の話が悲惨であれば悲惨であるほど、惨めであれば惨めであるほどいいらしい。かわいそうだねと優しい言葉をかけてあげて、きっと私が何とかしてあげる。と奴は囁く。彼女たちにとっては大金をぽんと与え、これで家族の元へ帰れば良い。夜にまぎれて国境を超えればきっと大丈夫さ! と言う」
シャハラザードが毎夜アラビアの王に話をするように、トーマス先生は、アタシにいろいろな話を聞かせた。この話はその中の一つ。
「トーマス先生は淫売宿からの帰りがけに女衒にささやく。または同じくどん底を這いずってる奴らに言う。あの女は大金を持っている。この淫売宿を逃げるつもりだ」
アタシはエビスの顔を見た。
「どうなると思う?」
「ろくな事にはなりません」
さすがエビスは、似たような環境で生きていただけに、その先どうなるかを知っていた。
「逃げようなんて気をなくすほど痛めつけられて金を奪われる、酷い時は殺される。うまく抜け出しても、トーマス先生は国境警備隊に密告する。女が逃げ切れなかったらトーマス先生の勝ち」
女が感謝に無き咽ぶ姿を見て、私は君を騙してるのに。とほくそえんで一度美味しい。
女が金を奪われ、酷い目にあって絶望しているのを、国境を越えようとして拘束されるのを眺めるのを見て、二度三度と楽しい。とトーマス先生は語った。トーマス先生の快楽の犠牲になった女たちから掠め取ったちょっとした小物、手鏡とか口紅とか、大事にしていたという子供の写真をアタシに見せるトーマス先生は「でも、一人だけちゃんと逃げた女もいるから、私は良いことをしたと思っているけどね」などと心底楽しそうに言った。
「この間の夏休みには、そういうゲームをしていた。ということを寝物語に楽しそうに語る男」
エビスは、アタシの話を聞き終わった後、たっぷり十秒ほど黙り込んだ。
「若、泥棒してた俺が言うのもおかしいですが、付き合う人間は選んだほうがいいです」
エビスの言葉にアタシは笑って、揉むのはもういいから。とエビスの手を引き寄せた。
エビスのぷっくりとした手にたっぷりと掬われたローションが、アタシの足の間に塗りつけられる。
冷たいのを覚悟していると、暖かな手とぬるつきがアタシを包み込む。
暖かい湯でのばされ、ちょうど良いように調節されているのだ。
エビスは後ろから抱きつくようにして、アタシの足の間に手を伸ばす。
「ん……」
気持ちよさに満足の声を上げると、背後でエビスが喜んでいる気配がした。
エビスの手がアタシを上下する。もう片方の手が、アタシの胸の突起を摘んだ。
「エビス、あっ、気持ち良……い」
どうしようもなく息が乱れる。押し殺そうと思っても、まるで女のような喘ぎ声が唇から漏れる。
「若、若、く、口付けをお許し下さい」
余裕の無いエビスの声が耳元でした。
顔を後ろに回し、舌を長く伸ばしてやる。がっついたエビスが急いでアタシの舌に自分の舌を絡め、交じり合った唾液をごくっと飲み込む。
ああ、なんて幸せなんだろ……。
圧倒的なまでの幸福感に包まれる。
アタシは口付けをしながらエビスの手でイかされた。
エビスはそれでもアタシから離れない。
ふいにアタシを後ろからぎゅうっと抱きしめる。
「お、お帰りなさい若」
アタシの体にぴたりとくっついたせいで、エビスがくぐもった声を出す。なんだこいつまさか泣いてるんじゃないだろうねぃ?
「ん、ただいま」
アタシが返事をすると、エビスのはますますアタシを強く抱きしめた。
なんとなく照れくさい雰囲気だったが、悪くないし嫌じゃない。
このまま本格的にやらしい行為にもつれ込むか、この雰囲気をぐだぐだと味わっておこうか迷っていると、ふとアタシはあることに気がついた。
「エビスの」
「……はいっ」
暖かく湿らせたタオルでアタシの体を拭いていたエビスに声をかけると、エビスは飛び上がらんばかりに緊張して返事をした。なにをこんなに緊張しているのだコイツは。
「それ、どこで手に入れた? そんな事、どこで習った?」
お湯でちょうどよい使い具合にしたローションを指差して言うと、エビスの顔が赤くなり、次に青くなった。
「ええと、その、それは……」
「なにうろたえている。アタシに言えないような事、したのかぃ」
アタシが再度重ねて聞くと、エビスが追い詰められたような顔をした。
「お前が前言ってた女になんとかしてもらったんだろ?」
ほら、風俗街で使い走りしてた時に世話になったって言ってた、お前の初めての女。
たしか裸で踊る踊り子で、舞台で客に乱暴されそうになっても誰も助けないので、お前一人が出て行ったって話。後で二人でオイオイ泣いたって言ってたじゃないか。
エビスが話したがらないのが面白くて、以前無理やり聞きだした話を思い出して口にすると、エビスの目にコイツにしてはとても珍しく怒りが浮かんだ。
「五嶺様、何がご不満なんですか?」
正座し、下を向いて畳をにらみつけながらエビスが言った。
「俺は五嶺様のご命令どおりにしただけです」
いろんなものを押さえつけているエビスの声。本当は、もっとアタシにいろいろ言いたいのだろう。ずっと我慢していたものが爆発してしまったに違いない。
「俺は五嶺様のために出来る限りの事をしました。それのなにがっ、何が悪いのですか!」
「別に悪いなんて言っちゃいないだろぅ」
アタシはさらりとエビスのをかわし、まだ怒りの表情を浮かべているエビスの首に腕を回して引き寄せた。
「くくく……」
アタシの突然の行為にエビスの戸惑った顔を見て、おかしくて笑う。
「トーマス先生の言ったとおりだ」
腹いせだとか、寂しさだとか、理由はなんだって良い。エビスのはアタシのいない間に、女を抱いたのだろうか?
それをアタシに悪いと感じているのだろうか?
あの腰ぬけがそんな事できるのかという疑問もあるが、それならそれで面白い。
「変わるのはアタシだけじゃない」
アタシのよく知っているエビスの手は、アタシの知らないような事をして、アタシをイかせた。
エビスのの後ろにちらつく別の誰かの影。アタシの知らないエビスが増えてゆく。
「お前も、変わるんだねぃ」
アタシが言うと、エビスがはっとした顔をした。でも、俺の若に対する気持ちは変わらねえです。と小さく呟く。
「アタシに秘密を作るなんざ、お前にしちゃ上出来じゃねぇか、ええ?」
からかうように言うと、エビスは気まずそうな顔をした。せっかく褒めてやったってのにねぃ。
「アタシがなぜあの男に抱かれたのか知りたいか?」
アタシはエビスに甘えるように抱きつき、耳元に熱い息を吹きかけながら囁く。エビスの体が硬直する。エビスの一部分がみるみる硬度を増し、ぴったりくっついたアタシに当たる。手を伸ばして、エビスのズボンのファスナーを下げ、手をもぐりこませる。
ああ。とエビスが感極まった声を出す。
アタシは手の中にあるエビスをつかんで扱く、エビスの漏らす息が荒くなる。だんだん、にちゃ、にちゃといやらしい音が部屋に響く。
アタシは、エビスの首筋に優しく口付け、尖らせた舌先でつつつっと舐め上げてやった。
「あっ、若、出ます」
エビスが叫んだ瞬間、アタシはエビスの根元を指の輪でぐっと強く締め付けた。
「うァっ!!」
射精を止められ、エビスが苦痛の声をあげる。
アタシはゆっくりとエビスの体から離れ、正面からまっすぐにエビスの顔を見る。
「あの男が、秘密だらけだったからだよぅ」
アタシはそう言って首をかしげ、ちろ……と舌を出し、エビスの唇を舐め上げた。
終
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