蓮華王













 うつろな意識の底で、子供の声が聞こえた。


 子供らしい無邪気な声には、俺に対する哀れみなど一欠けらも含まれてなかった。

 死にかけた俺を見て、ただ面白がっているだけ。


「お前はもうすぐ死ぬらしいよ。死臭を嗅ぎつけた霊どもがお前を食おうとてぐすね引いて待っている」


 知ってる。

 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね……と耳元で二日間ずっと囁いてる奴がいる。くそったれお前が死ね。あ、もう死んでるのか。


「それにしても、こんなになっても生きてるってのは凄いねぃ。ゴキブリ並みの生命力だ、感心したよ。で、死ぬってのはどんな気分だぃ?」


 それが本当に死にかけてる人間に言う言葉か。常識無いぞてめぇ。と俺は思った。どんな神経してるんだ? せめて敬語使えよな。もうすぐお亡くなりになるみたいですがどんなご気分ですかと聞け。

 えーっとそうですね、クソ人生におさらばできて思ったよりせいせいした気分です。頼むからほっといてください。

 アレなんで俺が敬語?


「霊どもの話を聞くに、お前には結構な才能があるらしいねぃ。でもそのせいで死にかけてるってんだから、皮肉な話だ。お前の人生は最悪だったらしいけど、やっぱり生きたいのかぃ?」


 ………………。


「哀れまれて生きるよりは、一人で死んだ方がましだ。って言ってるよぅ」

 俺の思考を読んだ、そいつの傍らにいる誰かがそう言った。

 人じゃねぇものが一……、いや二匹。

 そんなもんをお供引き連れるなんざ、どんなガキだ一体。

 人ならぬ奴らのその言葉を聴くなり、そいつは花が開くようにぱっと笑った。

「その言葉、気に入った!」

 その子供は、ぴっと扇を俺の鼻に突きつけて、目を輝かせそう言った。高飛車な態度がこんな様になってるのはどういう事だ?


 うるせぇあっち行け。

 話しかけるななんか期待するだろ馬鹿綺麗な顔しやがって。

 これでやっとクソ人生におさらばだ。ざまあみろ死んでやる。

 だからもうほっといて死なせて下さい。


 ……でも、俺の人生の最後に見たものが。

 あんたの綺麗な顔でよかった。


 ガキだけどこんな美人に見取られて死ぬなんて俺にしちゃ上等じゃねぇか。


 いい感じに意識が薄れていく。

 ああでもお前の顔忘れるのなんかもったいないなぁ。美人だしなぁ。

 さっきは邪険にして悪かった、五年後に付き合ってください。


 ……あ俺今死ぬんだった。

「アラ、ちと喋りがすぎたかねぃ。このまま死なせてくれって? 残念ながらそうはいかないねぃ。アタシはあいつらからお前を買ったんだよ」


 ふふふと心から楽しそうにその子供は笑う。綺麗な笑顔でとんでもない事を言う。


 どんなに惨めでも、俺の主人は俺だと思ってたが、ついに勝手に他人に売り飛ばされる身分になっちまったか。すごい落ちるところまで落ちた。ダメ人間一等賞だ。


「……おい」


 なんだよ?


「どうせ死ぬならその命」


 観音菩薩みたいな優しい微笑を浮かべながら、その針でなにしようってんだ?


「アタシの為に使うといい」


 ………………。


 痛みと共に煉が流れ込んでくる。

 暖かくて、綺麗な、命……。


「アタシの名は五嶺陀羅尼丸。お前の新しい主人の名前だ。覚えたかぃ?」


 ………………男か。

 一気に生きる気力がなえた。

 いやでも新手の美少女かもしれん。負けるなエビス。

 あ、生きる気かよ俺?


 そのガキが言ってる事はむちゃくちゃだったが、俺は不思議と嫌だとは思わなかった。

 少なくとも、このガキは、俺のことを哀れだと思っちゃいない。

 俺の事をゴミカスだと思ってるのを隠そうともしない。でも、上っ面だけで優しい言葉をかけて、優越感に浸りながら俺を厄介払いしたやつらよりもずっと上等だ。


 親がいないということよりも。

 雨に打たれて寝る事よりも。

 腹を減らして残飯をあさる事よりも。

 奴らの哀れんだ目が俺には我慢できなかった。

 

 自分の身を汚してまでヘドロからゴミを拾うなんて、俺ならしねぇ。まして、こいつはこんな綺麗ななりをした坊ちゃんだ。いくらでも毛色のいい人間を選べるだろうに。


「判ったら生きろぃ!」


 死にかけたエンジンをかけるがごとく、そいつは俺を思いっきり蹴り上げた。その容赦ない蹴りに、俺はこの子供の底知れぬサドっぷリを感じた。


 どくん。

 力強く心臓が動く。

 血液と煉が全身を回り始める。


 お前の顔、どっかで見たことあると思ったら……。

 子供の頃、なにかしでかしちゃ逃げ込んだ、観音堂の観音様かぁ……。


 俺の初恋だったんだよな。


「かんのんさま……」

 思わず俺は小さく呟いた。


「はぁ? アタシの名前は五嶺陀羅尼丸様だよ。覚えの悪い豚だねぃ」

 そいつは眉をひそめながらそう言って、俺の腕を強引に引っ張って立たせた。

「ヒヒ……。唱えてたら極楽にいけそうな名前だ……」

 肩を借りながら、俺はそう言って笑った。


「アタシについてこれば……」


 俺に肩を貸してるせいで、そつはよろりとよろけた。足を踏ん張った瞬間に、ばしゃ! とくせぇ泥水が水しぶきを上げ、しずくが綺麗な顔にかかった。

 お綺麗な坊ちゃんよくこんな所まで来たぜ。さぞ気持悪かろうに。

 見れば、俺のせいで白い着物も真っ青な袴も汚れている。臭くって汚いったらねぇ。


 なのになんで、お前はそんな自信満々で綺麗かね?


 蓮は、泥の中から綺麗な花を咲かせるんだ。

 泥の中からしか生まれず、でも泥に染まらない。

 ちょうど、今のあんたみたいじゃないか?


「お望みどおり、アタシがお前を極楽にイかせてやるよ」


 そいつはそう言って俺に笑った。


 ……驚いた。この世に綺麗なモンはちゃんとあるんだな。


 今まで生きてきた中で、いやきっとこの先も。

 くせぇヘドロの中で見たその笑顔以上に綺麗なものはない。

 そう思えるほど、そいつの笑顔は綺麗だった。


 泣けてくるほどに。


 俺は悟ったよ。鼻水と涙だらだら流しながら。


 ああ、泥にまみれてたって。

 綺麗なモンは綺麗なんだなぁ。






                                                               終

20090329 UP
初出 20060812発行 世に五嶺の花が咲くなり

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送