Regret









 もとは何の話だったんだか、もう忘れたが。

 「恵比寿さんの夢ってなんですか?」と話を振られたとたん、俺の頭は真っ白になった。

 俺の夢だなんて、そんなの決まっている。

 俺の夢は、ずっと五嶺様のお側にいること。

 ただ一つだけ。

 だけど、俺はその望みを人前で口に出すのを、ものすごく躊躇した。

 言えない。

 それは明らかに、この場で求められている俺の返事じゃないからだ。

 せめて五嶺様と二人なら、俺は素直に言えたかもしれない。だけど、他の同僚に、俺がそんな事を考えていると知られるのは凄く恥かしかったし恐ろしかった。

 アンタどれだけ五嶺様の事好きなんだ?

 そう思われるに決まっている。ただでさえ、俺の五嶺様に対する態度や思いは、変だとか行きすぎだと皆に囁かれている。

 みんなうすうす、俺が五嶺様に邪な思いを抱いていることを知っている。

 俺が、まともじゃないほど五嶺様のことが好きだとばれてしまう。おかしいと思われる。

 冗談めかして言ってみようか。みんなおべっかやジョークだと思って笑うかもしれない。

 いや、そんな事できないほど、俺は本気で五嶺様の事を想っている。

 恐怖と恥かしさ、そして見栄が俺の口に重石をかけた。

「こき使われるのが嫌だから、どーせ、早く独立したいとかだろぃ?」

 青い顔をして言いよどんでる俺を見て、五嶺様はそう仰った。

「それとも、金持ちになってこういう女を下僕にしたいとかかぃ?」

 たまたま誰かが置きっぱなしにした漫画雑誌のグラビア。布の少ない水着をつけて微笑む巨乳を冷たい目で見ながら五嶺様が俺に問いかける。

 違う。

 でも。

 迷っている暇は無い。

「あっ、へ、へい。さすが五嶺様はお見通しで……」

 困っていた俺はとっさに、五嶺様のお言葉に飛びついた。

「俺の夢は、仰るとおり、早く独立して金持ちになって、ああいう巨乳を下僕にする事です、キシシッ」

 俺がわざとおどけてにやつきながら言うと、五嶺様の軽蔑したような目が俺を見た。

 胸が痛んだが、本当の事を知られてそんな目をされるよりはずっとましだと俺は自分に言い聞かせる。俺の五嶺様に対する、妄執とも言える思いを知れば、五嶺様はきっと俺を嫌う。

「ほんとに下種な豚だねぃ」

 五嶺様はぷいと向こうを向いてしまい、すたすたと行ってしまう。

 俺は慌てて後を追いながら、心の中で思った。

 ああ、そうか。なるほど。馬鹿正直に答えることなんて無かった。

 自分で言うのもなんだが、俺らしい望みってそんな感じだ。聞かれたらそう言えば良い。

 五嶺様が決めてくれた夢だし、ちょうど良い。うん。

 自分の心を隠した嘘だけど、本当の事を言うより、そっちの方がずっと楽だ。みんな笑って、恵比寿さんらしいと納得するだろう。


 荷物の整理をしながら、俺はそんな事を思い出していた。

 引き出しの奥から通帳を取り出し、なんの気なしに開く。

 最終記帳された金額は、かなり桁が多く並んでいる。この十年、忙しすぎて使う暇なんか無かったから、俺の預金口座には金が溜まってくばかり。

 全く無いとは言わねぇが、あまり強烈にあれが欲しい! というのは無かった。十年も住んでるのに俺の部屋には私物があまり無い。五嶺魔法律事務所を首になり、五嶺家を出て行くのにあたって、いらないものを捨てたりあげたりしたら俺の荷物なんて風呂敷一つで済んでしまった。

 通帳と印鑑、着替え数日分。写真を少しだけと、魔法律の勉強ノートと本。そのくらいだ。面倒だからそのほかの物はいらない。必要なものはおいおい買えば良い。

 モノに未練なんて一つも無かった。

 なんでだろうなぁ?

 やっぱり、精神的に凄く満足していたからだろうか?

 十年前、街をうろついてた時は、どれだけ金があっても物足りなかった。不満で不安だった。

 他人が持ってるから。という理由でいらねぇもんまで欲しがったし、生きるために必要な以上の金を得るために、他人を踏みにじるのなんて平気だった。

 でも今は、本当に欲しいもの以外は何もいらない。

 それも無くしてしまったので、今の俺に必要なものなんて何も無い。

 少なくとも、今のところは。


 やっぱり、あの時本当の事を言えばよかったのかな?

 言えなかった言葉が未練となって俺に絡みつく。

 後悔しても、もう遅い。

 俺が本当の望みを口にする事はもう一生無いのだろう。

 俺は五嶺魔法律事務所をクビになってしまったんだから。


 いつまでも、五嶺様のお側にいられるものだと思っていた。

 そりゃ、五嶺様は厳しいお方だ。失敗すりゃ首になるって判ってたけど、俺はここのところずいぶん上手くやってたし、五嶺様も俺を必要としてくださる。なんて勘違いしていた。

 馬鹿じゃねぇか、俺。

 過去の俺の馬鹿さ加減に俺は心底呆れた。なんでそんなずうずうしい事思えていたのだろう。

 五嶺様にとって、俺なんぞ、いくらでも変えのきく部品。

 自惚れてたんだ。

 もしかしたら、五嶺様も俺のうぬぼれを不快に思われたのかもしれねェな。

 その結果がこの有様。きっとだから切られたんだ。

 自業自得って奴だ。

 目が覚めた時にゃ手遅れ。クビ。


 クビになった俺は、とりあえず、魔法律協会に行く事にした。俺に残されたものは、五嶺様に叩き込まれた魔法律しかない。五嶺様が俺に魔法律を厳しく教えてくださったおかげで、首になった今もこうしてなんとか生きる道があるのだ。と思うと本当にありがたかった。

 しばらく何もせずに生きていけるだけの金はあったけど、なにかして、空っぽな自分を埋めないと不安で苦しくてしょうがなかったのだ。

 ヒマだと、俺はすぐ五嶺様の事を考えてしまう。それは今の俺にとってとても辛い事だ。

 今頃なにをなさっているだろう。お食事はきちんととられているだろうか。頭の中は五嶺様のことで一杯。面影を振り払おうと慌てて目を閉じれば、瞼の裏にも五嶺様が浮かぶ。

 一瞬だけ幸せになって、そしてすぐ、俺は首になった事を思い出して死ぬほど落ち込む。その繰り返し。

 信号待ちのわずかな時間でさえもそうなんだから、一日中する事なんて無かったら、どうなるのか考えるだけでも恐ろしい。酒に逃避しようにも、俺は飲めねェ。


 まるで恋をしているみたいに、俺は一日中五嶺様の事を考えている。昔もそうだったし、首になった今もそうだ。

 いや、この期に及んで、なに自分にまで嘘ついてるんだ?

 恋をしているみたい。じゃなくて、俺は、五嶺様に恋をしていた。そして今もしている。

 五嶺様は男だ。そんな事知ってる。だからなんだ?

 男だと知ったときにはもう俺は五嶺様にどうしようもなく恋焦がれていたし、たとえ最初から男だと判っていても、きっと恋をしたに違いない。

 五嶺様は、それくらい引力のあるお人。

 ま、出会った時ゃ俺もガキだったから、男とか女とかあまり関係なかった。恋と言うより、崇拝に近かったしな。


 あの日、連れて行かれた壇上で、俺は五嶺様に全てを捧げると誓ったのに。


 死ぬところだった俺を拾って、煉を与えてくれた。

 俺を必要としてくれた。

 俺に生きる意味を与えてくれた。俺は初めて、生きていても良いのだと思った。

 俺にやりがいのある仕事を与えてくれた。

 俺に夢を見させてくれた。


 五嶺様と同じ夢を……。


 それがどれだけ幸せだったか。

 もう、ご恩も返せないのだと思うと、無性に悲しくなった。

 五嶺様はお強い方だ。自分の成すべきビジョンと危機管理能力をしっかりとお持ちになり、大局を見すえ、強力なリーダーシップをお取りになる。

 だが、五嶺魔法律事務所はけして一枚岩ではない。

 不安が胸をよぎる。もっと、お役に立ちたかったぜ。

 もう、その事を考えるのはよそう。と俺は頭を振った。

 きっと、他の、俺よりも有能な誰かが五嶺様を支えてくれる。

 他の誰かが。と思った瞬間に、俺の胸が焼け付くように苦しくなった。

 嫉妬だ。

 他の誰かが五嶺様のお側に。と思うだけで、息も出来ないほどの嫉妬を感じる。

 俺以上に、五嶺様の事を理解できる奴なんていない。と叫び出したかった。


 崇拝はいつから恋に変わったのだろう。

 まぶしく見上げるだけで満足だったのに、いつから触れたいと思うようになったのだろう。

 五嶺様のお役に立てて嬉しい。という純粋な思いが、いつから良く思われたいという邪な気持ちに変わったのだろう。

 少しでも良いから、俺を見て欲しいだなんて、いつからそんな大それた望みを抱くようになったんだろうな。

 十年という月日の長さを俺は感じた。


 五嶺様のうっとりするほど綺麗なお顔も、しっとりとしたお声も、優雅な仕草も、自らをも焼き尽くしてしまうような苛烈なご気性も。

 みんな、愛している。


 運命というものが人の形をとるのなら、俺にとって運命とは、五嶺様そのもの。

 俺の喜びも、恐怖も、幸せも、生きがいも何もかも、五嶺様から与えてもらったものだ。


 五嶺様のお側に居られなくなった今の俺には何も無い。



 魔法律協会につき、何のためだかわからねぇ測定を受けている間も、俺は上の空だった。挙句、別室に連れてかれて、今度は合宿と来た。

 俺は誰ともなじまず、一人でいた。一人ぼっちで惨めな感じ、久しぶりだ。昔施設にいた頃、よくこんな思いをしたっけ。惨めさは俺の長い友達。懐かしくさえ感じる。

 なんなんだ一体。と思ったが、思ったより忙しくて、俺はあまり五嶺様の事を考えずに済んだのでちょっとほっとしていた。


 そしてその夜。

 部屋でシーツに包まりながら、俺は周りの奴らが上げる悲鳴を聞いていた。

 馬鹿め。霊に踊らされやがって。自ら餌になって混乱させてどうする?

 俺は同室の奴らにはきちんと忠告してやった。それなのに出て行ったのは奴らだ。

 ここでじっと執行人の来るのを待つほうが安全で確実なのに。まぁ、やつらが時間稼ぎをしてくれて俺が助かるんならどうでも良いが。

 俺だって、必要ならば出て行くつもりだ。と言い訳のように呟いた。

 補佐系の俺が今出て行くのは得策ではない。俺の得意なフィールドじゃないんだから。執行人さえ来れば、その時こそ俺の出番。その時にならサポートに出ても良い。


 五嶺様さえ居れば。と俺は無意識のうちに思った。

 こんな所で惨めにシーツに包まったりせずに、自信を持って飛び出していくのに。

 五嶺様が居ないと、俺は何も出来ない。役立たずで、惨めだ。

 

 はっと気がついた。

 俺は、五嶺様がいないと何も出来ない。俺は、五嶺様がいないと何も無い、からっぽな男だ。

 俺がどんなに五嶺様に頼り切っていたのか、初めて気がついた。

 五嶺様のために、五嶺様のためにと口では言いながら、俺は、根本的な部分で五嶺様に頼りきりだった。

 俺はいつでも指示を与えて下さるのを待つだけ、指示に従うだけ。

 不安でぐらつく時には、うろたえる俺を五嶺様は叱咤し、いつでも正しい道へ導いてくれた。


 もしかして……と俺は思った。五嶺様はそれがご不満だったのではないだろうか? 五嶺様に従うだけの人形じゃなくて、もう一つ上のレベルを俺に求められているのではないだろうか。

 だからきっと、俺を突き放したんだ。

 俺が一人で立てるように。一人でも考えられるように。


 余りにも楽観的過ぎる俺の希望が多大に混じる想像だが、そんな風に考えると胸がドキドキした。

 オニコマイヌにブイヨセン。災難の塊だった夜を、草野や例の兄妹と乗り越え、生きて迎える朝日を見ながら、生きる希望が少しだけわいてきた。


 あのとんでもねー合宿の後も、俺は魔法律協会の側に宿を取ってそこに滞在していた。

 電話がひっきりなしにかかってくるのを無視する。

 俺に戻ってきて欲しいという、五嶺魔法律事務所からの電話だ。

 なんだよ、やっぱり俺が居なきゃダメなんじゃないか。と顔がにやつく。

 そりゃ、皆俺が居なくなって困れば良い。それで帰ってきて欲しいとか言って欲しい。なんて心の奥底でどろどろと思ってたけどよ。まさか現実になるとは。

 でもまだ、五嶺様の元へは戻れない。俺自身の中で、俺は五嶺様のお側にいてもいいんだ。と思えるまでは。

 五嶺様に、一度首にした俺を再びお側へ置いて頂けるだけの、強い理由がなければ。

 今までの不甲斐ない俺では駄目だ。


 俺は、わざと五嶺様と少し離れることにしていたのだ。頭を冷やして、ずっと俺はどうすれば良いのか考えたかった。

 俺は、五嶺様にクビにされて、俺の中で何かが決定的に変わってしまったのを感じていた。

 五嶺様と少し離れてみよう。なんて思う事が出来たのがその証拠だ。以前の俺は、母親と繋がった胎児のように、五嶺様の近くにいないと駄目だった。

 五嶺様が居なければ生きていけないと思いこんでいたけれど、五嶺様がお側に居なくても俺は死なないし、太陽は西から昇る事もない。

 五嶺様は俺がいないと駄目だって思ってたけれど、さっさと新しい側近を作っておしまいになった。

 このまま俺が帰らなくても、五嶺魔法律事務所だって、まぁしばらくは俺が居なくて混乱するだろうけど、しばらくすれば皆俺が居たことなんて忘れるだろう。

 そんなもんだ。それが現実。

 確かに、五嶺様のお側にいられなくて、寂しい。憂鬱で胸が痛くて死んでしまいそうだ。

 でもきっと、この痛みさえも月日が経てば薄れてしまう。俺が五嶺様を忘れる事なんざ永久に無いけれど、これ以上深く愛する事のできる人はいないと断言できるけど。俺はそれなりに生きていけてしまう。今みたいに。

 ずいぶんと狭くて、独りよがりな世界で悩んでいたんだなと思う。

 少し離れたおかげで、俺が抱えていた問題なんて、そんな独りよがりなもんなんだ。と気がついてしまった。

 もう、あんな愛しかたは出来ないな。と俺は思った。そうするには決定的に何かが欠けてしまった。

 五嶺様への想いが無くなったわけではない。だけど、変わった。

 以前の俺は、熱病のように五嶺様を求めていた。何をするかわからないほど追い詰められていた。ほとんどビョーキだ。

 でも、これでいいのだ。あんな愛し方が長続きするはずがない。求められる方も迷惑だしな。

 五嶺様に対する愛は変わらない。ただその愛の質が変わった。

 自分が変わってしまったことに、一抹の寂しさのようものを感じたが、あのまま俺が変わることが出来なかったら、間違いなくもっと酷い破滅が待ち受けていたと思うとぞっとした。

 俺は、五嶺様に精神的に近すぎたんだ。依存しすぎていたと思う。

 自分に自信がなかったから、五嶺様に自分を重ね、五嶺様を愛することで、自分を愛するような、そんな愛し方をしていた。

 それじゃだめだ。

 五嶺様が倒れれば、つられて俺も倒れる。それじゃだめなんだ。

 パートナーってのは、何のために二人居るのか。

 まず、自分をしっかり持つこと。そして相手を認めること。

 五嶺様が誰かの支えを必要としている時に、俺が支えて差し上げるのだ。

 俺は自分に言い聞かせる。

 パートナーってのは、同じ地に足を揃えてこそ。

 俺は俺で、五嶺様に相応しい(あくまでも心意気だから! 心意気!)人間になって、その上で、五嶺様の事を好きになろう。と思った。

 まずは、俺が、自分というものをしっかり持たねば。五嶺様に頼りきりな自分を変えるんだ。

 辛くて苦しかったけど、このショック療法のおかげで、俺の欲望をぶつけるだけの、求める事しか知らない愛から、脱皮できたのだと思う。

 俺にとって、こう、なんてんだろ? 人間的に成長できるような愛し方をしよう。なーんて思った。

 恥ずかしい奴と言いたきゃ言え。ちなみに、五嶺様を想うのを止めるという選択肢は無い。


 俺は、今回の事を、良い機会だったな。とまで思えるようになってきた。


 俺は、五嶺魔法律事務所から届いた大量の泣きの手紙を、丁寧に風呂敷に包んだ。

 五嶺家を出てきた時より荷物が多い。

 気持ち悪いと言われそうだが、意外と俺は、五嶺家や五嶺魔法律事務所の皆に愛されてて、頼られていた。嬉しくてにやける。

 そして皆、俺が思ったよりずっと、五嶺様と、五嶺魔法律事務所の事を親身に思っていた。これは純粋に嬉しい。

 よっこら。と風呂敷を背負って、宿から出て行く。

 どこへ行くって?

 帰るんだよ。五嶺様のお側に。

 罵られても、蹴られても、五嶺様のお側に帰る。

 俺は初めて、五嶺様に逆らうつもりだ。俺にしちゃ凄い進化だ。

 でもちょっと、いや、すごく怖い。

 

 五嶺様、俺は、五嶺様のお側を離れて、少しは成長したつもりです。

 もう一度、チャンスをお与え下さい。

 もう一度五嶺様のお側へ戻ることをお許し下さい。

 今度こそ、俺は、五嶺様の本当のパートナーになれると思うんです。執行だけではなく、五嶺グループを世界一の魔法律家集団にする。という夢を叶えるための、もっと大きな意味でのパートナーに。

 

 俺は、五嶺家の近くへワープする出張所への道を歩きながら何度も心の中で呟いた。

 五嶺様にどうお願いしようと頭を悩ませながら、途中で草野を冷やかし、俺は上機嫌で道を歩く。

 絶望と無力感に満ちてこの道を来たが、戻る時は、希望と、ほんのちょっとの自信を得ることが出来た。来たときの俺とは、別人のようだと自分でも思う。

「おおっとぉ」

 携帯が鳴ってることに気がつき、俺は大げさに声を上げた。戻ると決めたので、もう俺が五嶺家からの電話を無視する必要は無い。

「ごっ、五嶺様だ!」

 思わず声が弾む。緊張と嬉しさがごちゃ混ぜになる。液晶画面に出るのは、五嶺様のプライベートな携帯の番号。

 早く逢いたい。怒鳴り声でもなんだって良いからお声が聞きたい。

 はやる気持ちを抑え、通話ボタンを押す。


 まだ俺は知らなかったんだ。

 俺の居ない間、五嶺様に何が起きていたかを。


「エビスさんでしょうか? 現在五嶺様の側近を勤めさせていただいている、左近と申します。騙すような真似をして申し訳ございません。この番号よりおかけすれば取っていただけるかと思いまして……」


 五嶺様ではない切羽詰った男の声。

 なぜ、この携帯を五嶺様以外が持っている? 

 俺は嫌な予感がした。

 案の定、その声は不吉を俺に伝える。

 本部が焼き討ちにあい、五嶺様が浚われたと。

 目の前が暗くなり、口の中が乾く。

 携帯の向こうの声が遠く聞こえた。


 浮かれた気持ちは消え去り、体の震えが止まらない。

 激しい後悔が俺を襲う。不安にぶっ倒れそうになる。


 俺は、五嶺様のお側を離れるべきじゃなかったのだ。

 俺さえしっかりしていれば、五嶺様のお側を離れる事も無かったのに。


 俺さえしっかりしていれば!

 俺さえしっかりしていれば!


 後悔がぐるぐる回る。自分の不甲斐なさに腹が立つ。 


 なんとしてでも俺は五嶺様をお救いする。

 命に代えても。

 俺は五嶺様のお側に戻っても良いのだと、自分で自分を許せるように。

 電話を切った俺は、一秒でも早く五嶺様をお救いするためにたまらず走り出した。

 





                                                終




20080314 UP

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