我侭な君、大人気ない僕
まだ子供だとばかり思っていた五嶺君の口から、「好きだ」と告げられた時は、驚きもしたし、戸惑いもした。
かたちのよい赤い唇が動くのを、まるでスローモーションのように見ていた。
笑ってくれてもいい。僕はその時、完全に五嶺君に呑まれていた。まだMLSを卒業したばかりの五嶺君に、魔法律家として何十年もキャリアを積んできた僕が。
目元をうっすらと赤く染め、僕の返事を待つ五嶺君。
恥じらいながら、期待と不安の入り混じる目をしながら、それでも五嶺君は俯いたりなんかしない。まるで挑むように臆する事無く僕を見つめていた。
ポニーテイルに付けた白いリボンが窓から入ってきた風に揺れる。
僕は今まで五嶺君の何を見ていたのだろう。
賢くて、冷静で、とても優秀な生徒。いつだって五嶺君はクールで大人びてて、周りの子たちから少し浮いて見えるほどだったのに。
その五嶺君のどこにこんな熱いものが潜んでいたのか!
迸るような激情に身を焦がす五嶺君の姿は、憧れと片付けるには真剣すぎて、かといって受け入れる訳にも行かなかった。
だって僕は教師、君は元生徒。
「五嶺君の気持ちはとても嬉しいけれど、答えてあげられないよ」
と僕は言った。
「アタシが子供だからですか? ペイジ先生」
と五嶺君は聞いた。
「それもある」
僕はあいまいに頷いた。
だけど本当の一番の理由は、五嶺君のこの想いは一時の気の迷いだと思っていたから。
トーマスから五嶺君を助けた恩と憧れを勘違いしているのだろうと思った。
だから、時が過ぎればそんな想いは無くなるだろうと思っていたんだ。
五嶺君は賢いから、僕がそう思っていたのに気がついていたね。
「なら、大人になります」
五嶺君はあっさりとそう言って僕に背を向けた。
戸惑っている割に、もっと食い下がってくるかとちょっとばかり期待した僕は、五嶺君の居なくなった僕の研究室で、胸が空っぽになったような気がしていた。
あの時僕が五嶺君に感じていた愛情は、大切な小さな友達に向けたものだった。
大事な友達を一人無くしたと思ったんだ。
でも五嶺君は、変わらず僕に手紙をくれたね。凄く嬉しかったよ、ありがとう。
あれ以来、ずっと五嶺君のことが気にかかっている。
五嶺君をトーマスの手から救い出した時、君が身じろぎもせずに僕を見上げていたのを良く覚えている。
「大丈夫だよ、もう、怖くない」
僕がそう言うと、赤くなって、ぱっと目を伏せた。
「怖くなんかありません」
五嶺君はそう言って、僕は、「五嶺君は強いんだなぁ」と笑った。
MLSの教師が、よりにもよって禁魔法律家で、自分の教え子を誘拐しようとしたという事件はかろうじて未遂に終わった。
大切な生徒が無事だった安堵が一番、親友が罪を犯した心痛が二番。
トーマスの行方も気になったが、今はとにかく忌まわしい事件に巻き込まれた五嶺君が心配だった。
こんな酷い目にあったにも関わらず、五嶺君は至って冷静で泣きも喚きもしなかった。
それが、かえって僕を心配させた。こんな状況にあって、感情を押し隠すことがまともであるはずがない。
さすがに顔は青ざめ、かすかに震えていたが、「大丈夫です」と手を差し伸べる僕に気丈に振舞って見せた。
でもね五嶺君。
あんな酷い目にあって平気な訳無いよ。
五嶺君が我慢しているのは、そのプライドの高さゆえか、それとも、僕ら大人が信用できないのか。もしくはその両方。
気丈な五嶺君の言葉に、周りの大人たちはころりと騙された。
大丈夫です。という五嶺君の言葉に、「ならよかった」なんてとんでもない事を言い出す奴までいる。
なんてこった。君たちの目は節穴かね?
この子は、長年教えを受けていた教師に裏切られたんだ。どす黒い欲望がずっと自分に向けられていたのを知ってしまったんだ。どれほどショックを受けただろう。どれほど怖くて嫌な思いをしただろう。
それに加え、命の危険にまでさらされて、平気でいられる人間がどこに居る。五嶺君は無理をしているに決まっているじゃないか!
五嶺君は今日はそのまま帰ると言い張ったけれど、僕は首を振った。
「五嶺君、君の気持をきちんと話してくれるまで、僕は君を返さないよ」
「……っ。大きなお世話です!」
五嶺君は僕を睨みつけたけれど、僕は頑として引かなかった。
ここで五嶺君を見捨てれば、五嶺君は本当に大人を信用しなくなってしまう。
きちんと誰かが癒してやらないと、この忌まわしい出来事は五嶺君の中にしこりとなって残り、いつまでも五嶺君を苦しめるだろう。
それだけはあってはならない。この優秀な僕の生徒の輝かしい未来に、一点のくもりもあってはならないんだ。
結局、五嶺君はしぶしぶ、しばらく僕と話をする時間をくれるという事に同意した。
「保健室は嫌です」
五嶺君がそう言うので、僕は五嶺君を僕の研究室へ連れて行った。五嶺君が落ち着くのなら、そうしようと思ったんだ。
「抱きしめてください」
僕の研究室のソファーの上でそう手を伸ばす五嶺君を、僕は、怖がっているからだとばかり思っていた。五嶺君のその申し出を、とても嬉しく思っていたんだ。
いつも大人びて、我慢しているような五嶺君が、子供らしい素直さで甘えてきてくれたのが嬉しかった。
ようやく五嶺君は僕を信用してくれたのだと思った。
僕の腕の中に五嶺君はすっぽりと収まってしまって、小さな五嶺君のぬくもりを、僕はとても大事に感じ、愛しく思った。本当に、助かってよかった。
そのまま僕たちはいつまでもじっとしていた。
ぬくもりと、安心と、信頼と、愛情と。
僕たちは互いにそれを与えあった。
僕は五嶺君と離れがたく思い、五嶺君もきっとそうだろうと思った。ほんとうに素敵な一時だった。
夕日が沈み、西日が窓から入る。茜色に輝く斜めの光は、柔らかく目を閉じた五嶺君の横顔を照らす。
なんて美しいのだろう、五嶺君は。
触れてはいけない。触れれば壊れてしまう。僕はそう思い、身じろぎもしなかった。
だから、五嶺君が目を開け、僕の胸から顔を上げた時、いささか残念な気持ちが僕の胸を占めた。
「ペイジ先生、煙草のにおいがしますね」
五嶺君がそう呟くので、私が慌てて「不愉快だったかい?」と謝ると、五嶺君は首を振り、かすかにですから嫌じゃないですと言った。満足そうな顔で目を閉じ、再び僕にその小さな身を預ける。
「ペイジ先生の匂い、好きです」
思わず、愛おしさにぎゅうっと力を入れて抱きしめてしまうところだった。
五嶺君はとても不思議な東洋の良い香りがして。僕の心を蕩かす。
やがて五嶺君は、僕の胸から顔を上げ、僕の首に腕を回して、もう大丈夫です。と微笑んでみせた。
「ほんとにほんとに大丈夫?」
僕が聞くと五嶺君が頷く。
「残念だなぁ。僕はもうちょっと五嶺君に甘えて欲しかったのに」
僕が冗談めかして言うと、五嶺君がくすりと笑った。先ほどの優しい笑みとは違う。まるで大人の女のような笑み。
五嶺君はまぁ、なんていろいろな顔をする子だろうね。
冷静な優等生。だなんて思いこんでいた自分が恥ずかしい。
僕はすっかり五嶺君に騙されていた。
「ペイジ先生、アタシにそんな事を言うと後悔しますよ」
五嶺君は妖艶な微笑みを浮かべて僕に言った。
「アタシは根っからの悪人なので。ペイジ先生みたいないい人はアタシに食い尽くされる」
「ん……、僕はそれほど良い人じゃないんだけど。それに僕が知ってる五嶺君はいい子だよ」
「アラ、じゃぁアタシの演技力も捨てたものじゃないという事ですねぃ」
五嶺君はくすくす笑いながら僕の首に手を回して抱きつく。
「油断してると、骨まで……しゃぶられるんですよぅ」
耳元で囁かれ、首筋に口付けられた。耳元にかかる五嶺君の甘い息に頭がくらくらしそうだった。一体全体どこでそんな事を覚えたんだか。
次の瞬間、ぎゅ。と強く抱きしめられる。
「トーマス先生はそれを知っていた。アタシも、トーマス先生と同じだと……。アタシの本性を、トーマス先生は知って……」
うつろな声で呟かれた五嶺君の言葉に、僕ははっとして五嶺君の顔を見た。
恐怖と嫌悪に青ざめる五嶺君の顔。
僕は、トーマスに向けられた嫌悪が、五嶺君自身にも向けられていることを察知し、五嶺君をぎゅっと抱きしめた。
「五嶺君、それは違う。絶対に違う。君はトーマスとは違うよ。君はとてもいい子だ。優秀だし、頑張りやさんだ。君が本当は優しくて強い子だということを僕は知ってる」
五嶺君はかすかに震えていた。僕は、やっと五嶺君が本当の不安を口にし、素直に感情を表してくれた事に安堵し、また、それを癒してあげなければいけない。と使命感に燃えた。
「その証拠に、僕は五嶺君が大好きだからね!」
僕は、両肩に手をかけ、五嶺君の顔をじっと見ながらそう言って微笑んだ。
五嶺君は、すがるように僕を見ている。
「君は、大事なものを守ろうとして、毛を逆立てる猫みたいだね」
人に甘える事に慣れていないのか、こんな時どうして良いのかわからないのだろう。途方にくれたような顔して目を伏せた五嶺君の艶やかな黒髪を撫でながら、僕は優しく言った。
「必死に背伸びをして、高いところにあるものが欲しくて、たまーに他人を踏み台にしちゃうみたいだけど」
冗談めかした僕の口調に、五嶺君は僕の目を見た。にやっと悪戯っぽく笑ってみせると、冗談が通じたのだろう。五嶺君も微笑を浮かべた。
「悪い事をするのはよくないよ。なによりも五嶺君の心が磨り減るのがよくない。でもね、常に上を見て、腕を広げて、君を慕う沢山の人を守ろうとする五嶺君の志を僕は尊いと思う。五嶺君はきっともっと強くなれる。そうしたらきっと、悪いと思うこともしなくてよくなるよ」
僕の言葉に、五嶺君はかすかに頷いた。
怖かったですと呟いて、また僕に強く抱きついた。もしかしたら、五嶺君は少し泣いてたかもしれないね。僕には絶対そんな顔を見せてはくれなかったけど。
五分もすると、五嶺君は、取り乱してすいませんでした。といつもの冷静な口調で言う。
二人で暖かいお茶を飲んで、さよならを言う頃は外は真っ暗になっていた。
帰り際に「手紙を書きます」と五嶺君は言って、数日後、丁寧に助けられたお礼が記された手紙が素晴らしく素敵な蒔絵の時計と共に僕の元に届いた。
僕も丁寧に時計のお礼と返事を書く。
あれから五嶺君が送ってくれる手紙が、僕の楽しみになった。
時が経つにつれて、五嶺君に関するよくない噂は増えるばかりだったけど、細くて綺麗な五嶺君の字で綴られた手紙を読むたびに、僕は五嶺君がまだあの頃のままだと嬉しく思った。
忙しい五嶺君と、たまに魔法律協会ですれ違う事もあったね。
いつも大勢の人に囲まれ、よそいきの微笑みを浮かべて会釈してくれる五嶺君に、なぜだか胸が苦しくなる。
手紙の中の五嶺君はあんなに近いのに。と、ギャップに戸惑う。
どちらが本当の五嶺君だろう。あの時はぐらかさずに話をしていれば、こんな迷いは無かったろうに。
五嶺君が僕に好きだと言ってくれた時。
僕は五嶺君にきちんと答えを返さなかった。
それを今頃後悔している。
「あ、五嶺君」
魔法律協会でたまたま五嶺君を見かけたある日、僕は、思い切って五嶺君に話しかけた。
相変わらず大勢の人に囲まれた五嶺君が、「なにか?」と細い眉を上げて問いかける。
他人行儀な五嶺君に、僕は声をかけたのを少し後悔した。
「もうすぐ誕生日だよね?」
小声で僕が言うと、一瞬五嶺君は驚いた顔をした。ポーカーフェイスが崩れると、五嶺君はとても幼く見える。
「覚えていてくださったんですねぃ?」
「もちろん」
僕は頷き、駄目でもともと。と五嶺君にお願いをする。
「時間があれば、渡したいものがあるので研究室に来てくれるかな?」
「少しの間なら」と五嶺君は即答した。五嶺君の取り巻きは、「時間などありません」と言いたげな嫌な顔をしている。どうやら恨みを買ってしまったようだ。
五嶺君の顔がほころび、嬉しそうな微笑を浮かべる。僕はほっと安堵のため息を心の中で漏らした。五嶺君の笑顔があまりにも可愛くて、僕はどぎまぎしてしまった。いい年して。
こんな顔、ヨイチ君には絶対見せられないなぁ……。
それからの一時間は、百年に感じるほど長かった。
そわそわと落ち着かず、一分ごとに時計を見る。
手紙はやり取りしていたけれど、五嶺君とこうやって会うのなんて久しぶりだ。僕はそれを凄く楽しみにしている。まるで十代の少年のようにドキドキしながら五嶺君を待っている。なんてこった!
やがてノックの音がして、その相手が五嶺君だとわかるや否や、僕は急いで「入って」と声をかけた。
ドアの向こうには、微笑みを浮かべる五嶺君。そばにいるお付の人に、外でしばらく待っているように言うと、ゆっくりドアを閉めた。
五嶺君が行儀がよかったのはそこまで。
「ペイジ先生!」
「う……わっ、五嶺君っ!!」
五嶺君は獲物に飛びかかる猫のように僕に飛びついた。僕はソファーに押し倒される。
まさかそんな事をするとは! 僕は五嶺君の先制攻撃に完全にしてやられた。
それまではね、五嶺君。
僕にも分別くらいあったんだ。
なのにそんな事をして!
五嶺君は、性急に僕にキスをした。
激しい激しいキス。こんな激しいキス、いままでした事無いってほどのね。
アタシは貴方の事が好きだと激しく五嶺君が僕に伝えてくる。問答無用に、強引に、無理やりにでも。僕の心に自分の想いをねじ込んでくる。
ああ、でも怒れない。
五嶺君が僕の舌を求める、思わず五嶺君のキスに答え、舌を絡めかけた。
だめだ、このままでは、なし崩し的に五嶺君を受け入れてしまう。
「あっ、駄目だ。いけないよ。こんな事いけない」
僕は急いで五嶺君の肩を掴み、キスを中断した。まだ戻れる。今なら戻れる。と呪文のように呟く。
「どうしてです? アタシはずっと待ってた」
ダダをこねる子供のような顔で、五嶺君は不満を口にする。
かすかに乱れた髪が頬にかかり、キスの余韻で、頬を上気させ、目は艶っぽく濡れている。ああ、なんて綺麗なんだろう。
「君はまだ子供だ」
「まだ、そう仰るんですね。アタシはMSLをとっくの昔に卒業しましたし、もうすぐ一つ年をとります。それならいいでしょう?」
「まだその年なんだよ、五嶺君」
僕が告げると、五嶺君は辛そうに目を伏せた。
「口付けが駄目なら、抱いて、ペイジ先生。アタシを抱きしめてください」
五嶺君の必死な言葉。
「あの時みたいに」
僕は頷き、そっと腕を伸ばして五嶺君を抱きしめた。友達としてなら、許される。自分にそう言い聞かせながら。
「……少し疲れてるので、しばらくこうしてください」
五嶺君はそう言って、僕に身を預けた。
普通の子なら、まだ親に庇護されている年だ。五嶺魔法律事務所を束ねる長として、いつでも神経を張り詰め、重圧を背負っている五嶺君を少しでも支えてやりたいと思った。
美しい孤独。なんて馬鹿なことを、トーマス。
僕は心から思った。
確かに一人立つ五嶺君は美しい。でも、一人で何もかも背負うのは辛いに決まっている。
五嶺君に負担を強いるそんな美しさなどくそくらえだ。美しくなど無くても、僕は五嶺君が好きだし、楽にしてやりたい。
「君の活躍は僕も聞いてるよ。でも無理はしないで」
抱きしめると、僕と五嶺君の距離は一気に縮まった。あの頃と同じように僕は安らぎを感じ、五嶺君も大人しく僕に身を任せている。
でも、あの頃と違うのは、僕だ。
僕は、五嶺君を愛している。こうしてみてはっきりと判った。あの頃感じたものとは違う愛おしさが溢れる。
僕は我慢しなければいけない。年長者として。五嶺君には、もっと相応しい人が待っている。僕は自分に言い聞かせた。
「良く無い噂もでしょう?」
「……うん、まあね。それも聞いてる」
「ペイジ先生は、今のアタシも、あの時みたいに『良い子』だって仰ってくださいますか」
五嶺君は顔を上げ、ソファーに押し倒された僕を見ながら言った。
「アタシは、ペイジ先生にこうしてもらえれば、いつでもあの時みたいに素直になれるんです」
五嶺君の綺麗な顔が近づいてくる。僕は拒めない。
またキスをされた。
唇を離しながら、悪戯っぽく下唇を軽く噛まれ、引っ張られる。
「こんな悪戯覚えてしまいましたけれど」
にっこりと微笑む五嶺君。僕が怒らない、いや、怒れないと確信している顔。
「ほんとはね、あの時も、ずっとこうしたいと思ってたんですよぅ」
甘えるように囁いて、僕の目を覗き込む。無邪気さゆえの残酷。僕の我慢や苦しみなんてお構いなし。
「ペイジ先生」
可愛らしく甘えていた五嶺君が、急に真剣な顔をして僕に言った。
「昔っから、アタシの中に黒い塊があって、そいつのおかげでアタシは大抵の事はやれます。汚い、人でなしの事も。地獄に落ちる覚悟は出来てますけど、でも時々アタシはそれが凄く嫌になる。先生に抱いてもらったあの時、アタシの黒い塊が溶けて無くなっちまって、アタシは本当に良い子でいられたんですよぅ」
アタシが素直になれるのは、ペイジ先生の前だけ。
五嶺君は、そう言って安心したように僕の胸に顔を寄せる。僕は五嶺君の髪を無言で撫でる。
五嶺君の抱える孤独のなんと深い事だろうか。
それを、僕が受け入れる事で癒されるというのなら、僕はそうしてやりたい。
僕はそう思い始めていた。
「ペイジ先生がアタシを受け入れてくださらなかったの……。ショックでした」
五嶺君は拗ねた口調で言って、僕をキッと睨みつけた。
「アタシをお疑いになった」
思わずうろたえて「ごめん」と口に出して謝る。
「お立場は判ります。先生がアタシでも生徒にあんな事言われりゃ困りますからねぃ」
僕がみっともない言い訳を口にする前に五嶺君は言って、辛そうに顔をゆがめた。
「……でも悔しかった」
思わず、ぎゅっと五嶺君を抱きしめる。「ごめんね」とまた無力に呟く。
この先、五嶺君が別の人を選ぶまで、それまで僕が側に居てあげよう。五嶺君が望むのならば。
僕はそう思った。
それが、僕の願いだ。
おそらく、それは僕にとってとても辛いだろう。五嶺君を他の人に渡すなど。でも僕はそうするとも。その時がくれば、笑って君の本当の相手に君を渡すよ。
僕が君を必要としなくなるその時まで、側に居てあげる。
「あれから恋もしましたし、つまんない女抱いて後悔もしました。せっかくのペイジ先生のご忠告も無視して、今やアタシの手は真っ黒になりました。でもアタシの気持ちは、あの時のまま」
五嶺君の美しい瞳が、僕を見つめている。吸い込まれそうだ。吸い込まれてしまいたい。
「ねぇペイジ先生、そろそろ信じてくださっても良いと思うんですけどねぃ」
僕の気も知らないで、五嶺君は僕に言う。
あーもう、知らないからね。
僕はこれでも大人気ないってヨイチ君にいつも言われてるんだ。
「君を助けたのは、僕だ。なんだかこれじゃ、僕に下心があったみたいじゃないか?」
「いいじゃないですか、あったって。アタシのために駄目な人間になってください」
「元生徒に手を出すような教師に? そりゃムヒョやエンチューに相当嫌われそうだなあ……」
僕が諦めたような口調で言うと、五嶺君が拗ねる。
「アタシはそれ以上の価値がある……と思ってはくださらないのですか?」
「まったく、五嶺君には呆れるよ」
でも、そんな君が好きだよ。と面と向かって言うと、五嶺君が顔を赤くした。どうやら攻めるのは得意だが、言われるのは恥ずかしいらしい。うーん意外な弱点を発見した。
「五嶺君はまだ、大事なものを守るために毛を逆立ててるのかい?」
「そう、いつまでたっても虚勢を張る猫ですよぅ、アタシは」
すっかり安心して、僕に甘える五嶺君。
腕の中に居るこの子を、どんどん好きになっていく。もう何を言っても信じてもらえないだろうけれど、五嶺君が部屋に入ってくるまではまだ友達としてやっていけると思ってたんだよ。
「五嶺君が、とても愛しいよ」
愛しくてたまらない。腕の中でどこまでも甘やかしたい。
「大人になれば、こんな老いぼれの事など忘れるだろうと思ってたよ」
僕が言うと、五嶺君は不満そうに眉をひそめた。
「だって君は綺麗で、魅力的だからね。誰も彼も欲しがる」
「その魅力がペイジ先生にも通じれば良いのですけどねぃ」
「僕の手などもう必要無いだろうと思っていたんだけれど、まだ必要とされていると自惚れてもいいのかな?」
「アタシが欲しいのは……。今も昔もペイジ先生の手だけ」
「僕はもう我慢しなくて良いのかな?」
その言葉を言い終わるや否や、五嶺君が返事代わりに僕の唇を塞いだ。
その日、君があんまり傍若無人で、しかもそれを許してしまうくらい可愛かったから、ちょっぴり意地悪して泣かせてしまった。
それから、魔法律協会に来るたび、五嶺君は僕の研究室に遊びに来てくれる様になった。
自作の詩を聞いてもらっているうちに、五嶺君の顔がだんだんなにか言いたそうになる。
「次の詩は自信作なんだよ。えーっとたしかここにしまった詩集に……」
五嶺君に背を向け、本棚にしまった自作の詩集を探していると、後ろからやんわりと抱きしめられた。
「ねぇペイジせんせい」
我慢できなくなって、五嶺君が艶っぽい声で甘えてくる。
焦らしているのは、わざとだ。僕もたいがい大人気ない。
五嶺君に欲しいと言わせたいのだ。
「詩はもういいですから、アタシを……」
背中に感じるとけるような熱さ。五嶺君の体が熱い。
「欲しいの、五嶺君?」
僕が問いかけると、五嶺君が頷き、早く。とおねだりしてくる。
僕がこんな意地悪をするのも理由がある。
「でも、しちゃったら君は行ってしまうだろう? だから引き止めてたんだよ、意地悪してごめんね」
僕は、五嶺君を抱き上げ、僕の大きな執務机に座らせる。
五嶺君が僕の首に腕を回し、僕の顔を引き寄せる。
「僕は君が思ってるほど大人じゃないんだ」
「そんな事とっくに知ってますよぅ」
唇がふさがれる瞬間、五嶺君はそう言って笑った。
知ってる。なんて簡単に言って欲しくないね。
僕が君に意地悪するのはこれからなんだから。
「ペイジ先生、アタシがちゃんと先生の詩を聞かなかったの、怒ってるでしょう?」
「別にー。五嶺君忙しいからしょうがないしー。次いつ来てくれるのか約束もしてくれないしー」
案の定、目を真っ赤にして、叫びすぎて声がかすれた五嶺君が着物を着ながら僕をにらみつけるのを、僕は知らん振りした。
「次来たときはちゃんと聞きますから。ゆっくり、時間をとって」
「嘘ついたら、足腰立たなるまで意地悪するよ、五嶺君」
「…………」
五嶺君は黙って目をそらした。
「あれ、もしや嘘つく気まんまんだったんじゃないだろうねぇ?」
「ペイジ先生、次アタシが来るまでにもっと大人になっててくださいねぃ」
何人たりとも逆らう事を許さぬ綺麗な顔でにっこりと微笑み、五嶺君はドアノブに手をかける。
「保障できないけど」
僕はそう言って、五嶺君にさよならのキスをした。
我侭な五嶺君と、大人気ない僕。
今しばらくは、このままで。
終
初出 200609発行「玉響」 20081122 UP
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