20minutes
夕方の駅前というのは、こんなにも人が多いものなのだねぃ。
駅に電車が到着するたびどっと吐き出される人の群れを見ながら、アタシはそう思った。
金属同士がこすれあう音は、まるで雷のように人を脅す。警笛の音はヒステリーを起こしてるようだ。おまけに殺人的に人は多いし、汚いし、電車というものはやたら暴力的だと思う。あんな品の無いものに近づくなんて真っ平ごめんだよ。
アタシの他にも、待ち合わせだろう、腰掛けている噴水の周りには、人待ち顔の男や女が、夕暮れの中で駅の出入り口を眺めている。
「車停めてきますから待っててください」とエビスが言ってからもう二十分も過ぎたのに、まだ待たせるつもりかぃ?
アタシは腹を立てながら、暮れ行く空を見上げた。
すでに日は落ちて、高層ビルの看板に、ぱぱっとネオンが点される。
チラシ配りの若い女、寝転がる宿無しの老人、家路を急ぐ背広の群れ、街へ繰り出す若者達。
アタシは、普段見ることの無いその景色を眺めながら、その中の一部に自分が含まれているのをなんだか不思議に思った。
今日は、着慣れた着物と袴ではなく、エビスの選んだ洋服を着ているから、きっと周りに馴染んでいることだろう。
大勢の中の一人になるのをちょっと楽しく思った。この中の誰もアタシを知らない。別人になったような開放感に、すこしだけ心が弾む。
若に絶対お似合いだと思います。ブリティッシュな乗馬スタイルです! と言われて渡された、ジョッパーズに似たパンツに、形の綺麗なシャツ、細身の赤い乗馬風コート、かかとが低い黒い乗馬風ブーツ。
なんでもエビスが新聞記事で見て、絶対若に似合う。と買い求めたらしい。
なにゆえエビスがアタシの服を。しかも洋服を買うのか。
アタシが洋服を着る事なんざ、年に数回しかないのに。着るかどうかも判らない高価な服をなぜ買ったのかと聞くと、いつか着て下さるかも……と思って。とエビスははにかみながら答えた。
「なんだかちょっとお前気持ち悪いねぃ」と言うとしょぼんとしていた。
結局その夢を叶えてやったんだから、アタシはいい主人だろう。
あいつはまだ「アタシに着せたい服」とやらを隠し持ってそうなので、後で問い詰めてみようと思う。
そんなエビスの気持ち悪い思いが報われたのは、エビスが、左近と「えいりあんVSやくざ」という映画を見に行く。とぽろりとこぼしたからだった。
なんでもこいつら、たまに男二人で映画見て、食事したりしているらしいってんで「なんかだちょっとお前ら気持ち悪いねぃ」と言うと、「男同士で映画見たっていいじゃないですか!」とエビスはムキになった。
なんとなく口には出せなかったのだが、実はアタシも見たかったのだ、その映画を。
言っておくが、いつもそんな訳のわからん映画を見たいわけじゃないんだよ。
火向が……。火向の阿呆が面白いとあまり熱く語るからだ。
アタシもちょっとだけ見たいと言うと、エビスが洋服を着ていけば誰も五嶺様と判りませんから、映画館に見に行きましょう。と言い出したのだ。
エビスの勢いに押されるように思わず頷くと、エビスはその場で左近に電話して、「人生で二度来るチャンスの一度目が来たので今日は一緒に映画を見に行けない」と伝えていた。左近のはその言葉で納得したのだろうか。
しかし映画館で映画を見るのも久しぶりだねぃ。
たしか、まだMLSに通ってる頃、毒島や今井に強引に連れられて、レイトショーを見に行ったのが最後。深夜まで遊んでしまい、毒島のバカの提案で、歩いて帰ったのを思い出す。
最初は、絶対嫌だとアタシは文句ばかり言ってたが、女三人でくっだらない事を喋りながら、二時間もかけて家に帰ったのは実は結構楽しかった。
そんな事を思いながらぼんやりと流れる人を眺めていたら、ふとその中の一人と目が合った。
そいつは、アタシの方をじぃーっと見ながら通り過ぎる。通り過ぎてからも限界まで後ろを振り返ってアタシを見る。なんだってんだ?
なんだか、やたら他人と目が合うよねぃ。
あからさまなやつなんか、立ち止まってぽかんとしている。
変じゃないとエビスは言ってたけど、アタシの洋装はやっぱり変なのだろうか。とアタシらしくもなく不安になった。
早くエビスが来れば良いのに。
エビスの野郎、アタシがエビスが買った服に着替えたのを見て、目をうるうるさせてやがった。
あの阿呆は、アタシの周りをぐるぐる回り、あちこちの角度からじろじろ見た挙句、「もったいないからみんなにも見てもらいましょう」とのたまったのだ。
アタシが止めるまもなく、だっと駆け出したエビスの背を見ながら、あっけに取られていた。
「若が可愛いから見て」というエビスの言葉に、使用人達が、わらわらと集まってくる。
かわいい、綺麗、かっこいい。という、嘘か本当か判らない褒め言葉を浴びせられ、アタシは逃げ出したくなった。小さい頃から面倒見てもらってる女中に「若、モデルさんみたいですねぇ」とにこにこ笑って言われると、変なうすら笑いを浮かべるしかない。
モデルじゃなくて珍獣の間違いだろうに。
「恥ずかしいだろぃ、この馬鹿!」とエビスを殴ってやったが、エビスはそれでもニヤニヤしていた。
エビスはまだ来ない。
人の波に、だんだん目が回る。
さっきから感じる鬱陶しい視線。
にやけた顔をした若い男が、アタシの隣に腰掛ける。
「僕と逢った事、ありますよね?」
お軽いおどけた口調、自分で自分を指差しながらそいつは言った。
さっきからアタシの事を見ていたそいつに、ついに話しかけられたのを面倒に思いながら、アタシは無視した。
こんな奴知らないねぃ。
完全に拒否の姿勢のアタシに構わず、そいつはめげずにアタシに話しかけてくる。「絶対会ったことありますって」「覚えてない? 酷いなぁ」
そんな事を言って、なんとそいつはアタシの肩に手をかけやがった。
アタシはスキだらけなのだろうかねぃ、それともどこか目立つのだろうか?
だんだん悲しくなってきたが、それよりも、うるさく話しかけられ、なれなれしく肩に手をかけられたことに関しての怒りがこみ上げてくる。
何時ものアタシなら、こんな奴に話しかけられるようなヘマはしない。
肩に手をかけようとした瞬間に、なれなれしいその手を扇で払っていただろう。
それもこれも、エビスが来ないからだ!
あの阿呆のせいだ。
しつこくしたって無駄だ。とそいつをぐっと睨みつけると、「やっとこっち向いてくれたァ」と空気を読めて無い発言をしやがった。手を振り払い、怒鳴りつけようとすると、そいつが思いがけない事を口にする。
「五嶺さんでしょ?」
思わず動きが止まる。
なぜアタシの名前を知っている?
そういえば、改めてちゃんと見ると、なんだかこいつ、確かに見覚えがあるじゃないか。
「洋服だったから最初違うかなと思って見てたけど。やっぱり五嶺さんだ。MLS以来だよね」
その言葉に、はっと記憶が蘇る。
「あっ!」
思わず声を上げた。
「思い出してくれた? 久しぶり〜」
「まて、今思い出すから」
アタシはそう言って、こめかみを押さえた。
たしか同じクラス……。
それならそうと、早く言えばよいだろうに。
早く現れろ。エビスあのアホどこにいるんだぃ?
アタシは、相手の話に適当に答えながら、心の中でエビスを罵った。
これじゃアタシは自惚れてる馬鹿な女じゃないか!
モノ欲しそうなただの女じゃないか。
夕方の駅前にアタシを一人にしたまま、まだエビスは来ない。
元ネタ Yuming 「20minutes」
終
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