Delight Slight Light KISS










 病院の面会終了時刻が近づくと、憂鬱になる。

 ため息をつき、側で書類を見ている五嶺様と時計をちらちら見比べ、またため息をつく。

「ああ、もうこんな時間かぃ?」

 ふと顔を上げた五嶺様が壁にかかった時計を見てそう仰った。

 ついに五嶺様が時間に気がついてしまった。

 ああ……。

 俺は絶望のため息を漏らし、天井を見上げる。

 五嶺様は手にしていた書類を丁寧に仕舞い、「また明日来る」と俺に声をかけて椅子から立ち上がる。

「はい」

 俺は笑顔を無理に作り、聞き分けよく返事をした。これから明日、五嶺様が来るまで、一時間を千年にも感じられる時を我慢しなければならないのだ。

「じゃあ、帰るとしようかねぃ」

 五嶺様は無情にも立ち上がり、俺に背を向ける。

 毎日ここへ来て下さるのもありがたいのだ。あと五分、いや、三分だけ一緒にいてください。なんて言えるものか。

 五嶺様の背を、俺はすがるように見つめた。

 寂しい。行かないでください。

 背中になら、いくらだって言える。


 予期せぬ五嶺様の行動に心臓が止まりそうになる。

 俺の必死な思いを感じてしまったのか、五嶺様が俺を振り返ったのだ。


 五嶺様は俺を見て、一瞬ぎょっとしたお顔をされた。

 そりゃそうだろう。俺は多分凄い必死な形相をしていた。

 やべぇ、欲望百パーセントでむちゃくちゃ見てたのばれた。

「エビス、お前、そんな……」

 やっちまった……。

 五嶺様の口から漏れた驚いたような言葉に、赤面して俯く。

「そんな顔されると、心を鬼にしてるってのに。帰れなくなるだろぃ、馬鹿」

 五嶺様は笑って、俺の枕元に戻ってきてくださった。

 き、奇跡が起きた……。

 俺は突然降ってわいた幸運にぼうぜんと五嶺様を見上げた。

 五嶺様は微笑んで、ふざけて俺の鼻先を扇の先でぺしっと叩いた。

「で? なにかアタシにして欲しい事はあるか?」

 えっ!?

 五嶺様のお言葉に、俺は一瞬固まった。して欲しい事は沢山あるけど、それは五嶺様にはとても言えない俺の妄想内でのことなので、今五嶺様のお手を煩わせるような事は何も無い。

 あんな事こんな事して欲しい妄想と、用も無いのに呼び止めてしまい申し訳ないと思っている現実の狭間で何も言えず口をぱくぱくしている俺に、五嶺様が不思議そうな顔をして仰った。

「なんぞ用でもあったんじゃないのかぃ?」

「いえ……特には。ただ」

「ただ?」

 眉をひそめ、かすかに首をかしげた五嶺様に、俺は赤くなりながら口を開く。

「もうちょっとだけ側にいて欲しかっただけで」

 ……ああ、こんな子供じみたことを五嶺様に言う羽目になろうとは。

「あの、理由とか用事とか、そんなのありません。五嶺様が一秒でも側にいてくださるんだったら、それでいいんで。あの、どうぞお忙しかったらお帰りください」

 死ぬほど忙しい五嶺様に無駄な時間を使わせてしまったお叱りを覚悟して俺がしょんぼりと俯くと、五嶺様が扇を口にあて、ばかだねぃと機嫌よさそうに笑った。

 はぁ、笑われた……。

 いや、叱られなかっただけました。


「欲のない男だねぃ。それじゃあアタシの気が治まらないよ」

 一通り笑いが収まると、五嶺様はそう仰った。

 五嶺様のお言葉に、今度は俺が「?」となる。

「なにかしてやろうって気でいっぱいなのにさ」

 色っぽい流し目で五嶺様がそんな事を仰るものだから、俺の心臓は急激に脈打ちだし、いたたまれなくて俺は目を伏せた。

 動悸、息切れ、不整脈。

 五嶺様は俺の生きる糧だが、過度に色っぽい五嶺様はまったく心臓に悪い。

「五嶺様」

 俺が情けなく口ごもると、五嶺様のお顔が近づいてきた。

 綺麗な笑顔が目の前にある事に俺が固まっていると、五嶺様はすっと目を閉じた。

 五嶺様の形の良い唇が、俺の唇にとても優しく触れる。

 優しくて暖かい口付け。

 いつもの俺ならぶっ倒れてそのまま心臓発作をおこす所だが、五嶺様のキスがあまりにも優しかったので、俺は暖かさと優しさと安らぎに満たされ、思わずぼーっとしてしまっていた。

 魔法だ。これは魔法だ。最強の魔法だ。

 唇が触れただけなのに、すごくきもちのいいキスだった。

 キスって、こんなにきもちいいんだなぁ……。

「アタシだって帰りたくないよ。だから、早く良くなるんだよ」

 キスの余韻に浸って、身動き一つしない俺に向かって五嶺様はそう仰った。はっと意識が引き戻され、あわてて五嶺様を見上げる。

「続きは家に帰ってから。とでも言えば、お前の傷の治りがちょっとは早くなるかねぃ?」

 かすかに頬を染めた五嶺様が、照れ隠しか冗談めかしてそう仰る。

 五嶺様のお言葉に、俺は口から心臓が飛び出しそうになった。

 そそそそ、そんな。つつつつ、続きって。続きって、なぁ?

 俺は動揺のあまり、誰かに問いかけたが返事があるはずが無い。

 やはり五嶺様は体に悪い。体に良いけど体に悪い。

「我慢できなくなって怪我人のお前に跨っちまう前にアタシは帰るよ」

 帰り際、一瞬俺を振り返って悪戯っぽく笑い、五嶺様はそう仰った。

 俺は、張り付いたような変な笑顔で五嶺様を見送る。

 気が遠くなる。心臓が破裂しそうなほど脈打ってる。息が出来ない、胸が苦しい。だめだ、まだ倒れてはダメだ。


 五嶺様の背が、ドアの向こうに消えたとき、俺は我慢できなくなってばったりとベッドに倒れこんだ。


 一瞬の後。


「キキッ、キキキッ。ぎぃ〜〜〜〜、やぁ〜〜あイテッ!!」

 嬉しさのあまり奇声を上げて病院のベッドの上を転げまわる俺は、真剣にヤバイ人間だった。思わず怪我を忘れて転げまわってしまい、脂汗流して痛みを必死で堪えるが、それでも、多分自分でも見れば殺したくなるほど気持悪い笑顔をしているはずだ。

 こんなところ五嶺様に見られたら死ぬ!!! と判ってるが、嬉しくて嬉しくてたまらない。


 その幸せは、翌日「帰り際お前の部屋からとてつもなく変な声が聞こえてきたんだが、エビスお前頭でも打ったのかぃ? 本当に具合は大丈夫なのかぃ?」と聞かれるまで続くのだった。



                                               終

 

20060702 UP

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