迦陵頻迦
五嶺様のお支度を、俺は瞬きをするのも惜しいと思うほどにじっと見つめていた。
五嶺様は、目に染みるような赤い袍と、対照的な白い袴を身に付け終わったところだった。
いつものポニーテイルではなく、髪を結い上げ、桜の花を挿した金色の天冠を被る。
なによりも特徴的なのは、背に色鮮やかな鳥の羽を背負っていることだ。
五嶺様は、迦陵頻という童舞を舞われる。
迦陵頻迦とは、極楽に住まう鳥。
妙なる声を持ち、上半身が有翼の美しい天女、下半身は鳥、という、半身半獣の美しい鳥なのだ。
五嶺様は、とてもお綺麗な方だ。
普段もとても綺麗なのだけれど、このような衣服を身に付けられると、本当に、天上の天女と見まごうばかりに美しい。
迦陵頻迦は、優雅に俺に微笑んだ。
あまりにも美しくて、目が離せない。
「エビスっ、なに間抜け面してる!」
迦陵頻迦に、手にした扇でびしっと叩かれ、俺はわれに返った。
「あっ、若、す、すいません」
なんで夏休みなのに、こんなめんどくさい事をアタシが……。と五嶺さまはぶつぶつ不満を仰ってたけれど、俺は、こんな綺麗な五嶺様を見られたので嬉しかった。
「で、でも、とても綺麗です」
俺が言うと、五嶺様はちょっと驚いた顔をされた。もしかして、自分が綺麗だって自覚が無いのだろうか?
「莫迦」
そっぽを向いて言った五嶺様の頬がかすかに赤い。照れてらっしゃるのだ。
五嶺様は、大人びているかと思えば、こんなおかわいらしい面もある。俺はなんだか嬉しくなって、「写真を撮りましょう!」と張り切って言った。
でも、五嶺様のご機嫌は直らず、俺が撮ったのは、五嶺様の、拗ねたようなふくれっつら。
やがて時間になり、五嶺様は迦陵頻迦になった。
笙や竜笛にあわせ、極楽の鳥となった舞人が、輪になって、銅拍子をうちながら舞う。
五嶺様がいるだけで、そこは本当の極楽になった。
俺には、美しい蓮の池に舞い、妙なる声で歌う五嶺様の顔をした迦陵頻迦が確かに見えたのだ。
「本当に綺麗だね」
うっとりと舞台を見つめている俺の耳元で、誰かが囁いた。
はっと声をかけられた方向を見ると、見覚えのある男がカメラを構えている、
なんでこの人がここにいるのだろう……。
「五嶺君を、私だけの鳥にしてしまえたらなぁ」
写真を撮りながら呟いたのは、トーマスとかいうMLSの教師だ。
「籠に入れて、どこへも行けなくするんだ。私の手からしか餌を与えず、私のために鳴いてもらう」
カメラのフィルムを取り替えながら、早口でその男は言った。
「綺麗なものを独り占めにして、私しか見えないようにするんだ。君もそうしたいと思ってるんだろ?」
ちらりと俺のほうを見てそう言い、再びカメラを構える。
「俺はそうは思いません」
俺は、その男の言葉に反発して、ちょっときつい口調で言った。
「五嶺様が、俺達を捨てて、どこかへ飛んで行ってしまうのではないか。とは思います」
「なら自分だけのものにしてしまえばいいじゃないか?」
カシャカシャ不愉快な音を立て、ファインダー越しに五嶺様を覗くその男の視線を俺は嫌悪した。五嶺様が汚されるような気がしたのだ。
「できません」
俺はきっぱりと言った。俺は、この自分勝手で身勝手な男とは違う。こんな奴にはなりたくない。
「俺は、どこまでも高く飛ぶ五嶺様を見たいんです」
羽があれば、五嶺様は俺達の手の届かないところへ飛んで行ってしまうだろうか?
「五嶺様が自由に歌う歌声を聴きたいんです」
「君を置いて遠くへ飛び去っても?」
俺が頷くと、莫迦にしたように笑った。
「奇麗事だね」
言い切られて思わずむっとする。
「五嶺君を鳥籠に閉じ込めているのは、君たちじゃないか」
その言葉に、ドクンと心臓が大きく脈打った。
「五嶺君の優しさに付け込んで、五嶺家という名の鳥かごにがんじがらめにしているのに気がつかないのか?」
密かに感じ、考えないようにしていた事を指摘され、俺は俯いた。閉じている翼を広げ、どこまでも高く飛んで欲しい。
という気持ちと、俺達を残していかないで欲しいと思う矛盾。
「どうせきみも、五嶺君を自由に出来るんなら、汚い欲望をぶつけるんだろう? そんな目をしてたよ」
俺は、恥かしさと怒りにかっと頬を赤くした。自分の中に有る薄汚い欲望を指摘されて、逆切れしたのだ。
「だけど気にする事じゃない。男なら、五嶺君を見れば誰でもそう思う。澄ました顔をゆがませて、ヒィヒィ言わせてやりたい。綺麗な顔にぶっ掛けてやりたい。きれいなものを汚してやりたいと思うのは、自然な感情だよ」
トーマスとかいう教師は、真顔で俺が絶句するほど下品な事を言って、俺に微笑んだ。
「醜い君に犯される美しい五嶺君も絵になりそうだ。君に犯されて、淫乱な表情で歓んでいる五嶺君も、屈辱に涙を流す五嶺君もどちらもイイ。その時はぜひ撮らせて欲しいな」
「五嶺様を侮辱するな!」
俺は、思わずそいつに掴みかかり睨みつけた。
「俺はそんな事しない」
「君は弱虫なだけだ」
そいつは怒りもせず、俺のせいで落としかけたカメラを持ち直し、「壊れなくてよかった」と言った。「もし壊れてたら、君も壊すところだよ」
「私は違うよ」
再び、執拗に五嶺様を撮りながら、そいつは言う。
「君たちから、五嶺君を私が自由にしてあげる」
「俺が奇麗事を言うのなら、あなたなんなんですか?」
俺は怒りに身を任せ、言葉をぶちまけた。
「自分の欲望のために、他人を平気で踏みにじり、思考をゆがめて自分を正当化するあなたは!」
「なんだっていいよ。私は五嶺君が欲しいんだ。君と同じくね」
そいつは動じもせず、つまらなさそうに言ったかと思うと、俺に向かって微笑んだ。
「ああ、撮った写真、君にもあげるよ」
数日後、俺宛にそいつの撮った五嶺様の写真が本当に送られてきた。
完璧な写真。俺が憧れた五嶺様の美しさの一瞬を切り取り、永遠にする。
なぜ、あんな男が、こんなにも五嶺様を美しく撮れるのだろう。ひょっとしてあの男は、あの男なりに真剣に五嶺様を愛しているのではないか。と思って慌てて頭を振った。
五嶺様の美しさを完璧に引き出した写真を見て、俺はここまで五嶺様の美しさを表現できない。とかすかな敗北感を覚えた。
だけど。と俺は思う。
俺の撮った、唇を尖らせて、ふくれっつらをした五嶺様の写真。
俺だけに見せてくれたその顔。
俺は、こっちの方が良い。
たしかに、あんたは俺と同じく、五嶺様を愛しているのだろう。
だけど、俺とお前はこんなに遠い。
終
20090227 UP
初出 200609発行 迦陵頻迦
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