決戦は誕生日
「若っ、ゴリョー様ッ!」
俺は泣きそうな思いでお名を呼びながら、広い五嶺邸内を駈けずり回っていた。
新米の側近の俺に下された、いなくなった五嶺様を連れて来い。という絶対命令。もし五嶺様を連れてくる事が出来なかったら、俺は手ひどい酷い罰をうける。
五嶺様の気まぐれで、一の側近となった俺を快く思わないものは多い。慣れぬ仕事に加え、五嶺様はとても難しいお方。俺は毎日失敗続きで皆に迷惑をかけ、先輩らから殴られっぱなしだった。今度へまをすれば五嶺様の側近を降ろされるどころか、五嶺家から追い出す。と俺は言われ、半泣きで五嶺様をお探しする。
豪華なシャンデリアに、高価な贈り物の山。口に入れた瞬間、貧乏舌の俺が感動で固まってしまったほどの美味しい料理。きらびやかに着飾った人々。グラスの触れる音。楽しそうな談笑に、幸せそうな微笑み。その輪の中心で、一層光り輝き、人々から雨あられと注がれる「お誕生日おめでとうございます」の言葉を受けるのは五嶺様。人の輪の中で機嫌よく笑ってたと思ってたのに。ふいといなくなってしまった。
五嶺様はあれで結構目立ちたがりだから、ちやほやされて悪い気はしなかったはずだ。聞いてる俺まで引くような、媚び媚びのお世辞を言われたって、内心でケーベツしながら微笑む位の腹芸は朝飯前。その五嶺様の機嫌が悪くなった理由を探ると、あれだろうな。と思う。
五嶺様への挨拶もそこそこに、幾人かの招待客が、五嶺様のお父上と話し込んでしまったのだ。
五嶺様の誕生日会を隠れ蓑に悪巧か。と思って目線を五嶺様に戻すと、五嶺様が恐ろしい顔をしてお父上達を見ているのに気がつき、ぎょっとした。
多分、五嶺様のそのお顔を見たのは俺だけ。五嶺様はすぐに先ほどの怖い顔なんて嘘のようなお可愛らしい微笑を浮かべ、お客様とのご歓談を続けられたのだから。その余りの表情の変化に俺はぞっと肝が冷えた。あの親にしてこの子有だぜ。
「ゴリョー様っ!!」
「うるさいねぃ。がなるな豚。聞こえてる」
怪しいと目星を付けた離れの茶室の周りで声を張り上げると、案の定茶室の中から不機嫌な声が聞こえる。
茶室の戸を開け、中に入ると、そこは外と変わらないほど寒くて、俺はぶるっと身震いする。
若はそこで灯りも無いまま座り込んでいた。俺が戸を開けたので、庭からの微かな灯りが入り、五嶺様の着物と、肌の白さを際立たせる。
その色はとても冷たく蒼白く、悲しい感じがしてなぜか俺は見てはいけないような気がして慌てて顔を伏せた。
「若、皆様お待ちです。お戻り下さい」
「嫌だねぃ」
若は即答し、ぷいと向こうを向く。こんな時、若は小さく見える。
まだ子供なのに、大人よりも大人で、なんでもそつなくこなす若が年相応の子供に戻る。
俺なんかがこんなことを言うのはおこがましいのだが、その、若は時々すごく儚く見える時がある。
こんな底辺の俺が上から見ているようで本当にずうずうしいと思うのだが、俺はそんな若を見るたび、守って差し上げたいと思う。
「若、どこか具合でもよくないのですか?」
「いいや」
俺が心配して尋ねると、若は首を振った。
「ただ、あそこに居たく無いだけだよ」
「どうしてですか? 皆様、若のお誕生日のお祝いに来て下さっているのに」
「どうだかねぃ……」
唇の端を皮肉げに吊り上げ、若は笑った。自虐の色が浮かぶその笑みに、俺の胸が締め付けられる。
「一度も会った事の無い奴らに、おめでとう。なんて言われる筋合い無いんだけどねぃ」
そう……だよな、たしかに。
俺なんかまともに誕生日を祝ってくれるどころか、誰にも誕生日を覚えてもらってない惨めっぷりなのだが、五嶺様みたいに、うわべだけのお祝いの言葉を言われるのも確かに嫌だろうと思う。
「あいつらの目当は、アタシじゃなくて父様だろぅ。アタシをダシに父様に媚売りたいだけだ」
五嶺様のお誕生日に招かれたのは、魔法律界、政界、経済界の大物やその家族に取り巻き。
あちこちで名刺交換の行われる誕生日会。
「心にもないおべっか言われて、体よく利用される」
五嶺様の言葉に含まれる自虐の色が増し、俺は気の効いた言葉も言えずに俯いた。
俺は、俺の誕生日が五嶺様の次の日だった。という事実だけでお腹一杯に嬉しいので、明日の俺の誕生日には何があろうと幸せだ。お誕生日なのにあまり嬉しくない思いをしている五嶺様に何を言って良いのかわからない。
「アタシはそれが我慢ならねェんだよ」
五嶺様は吐き捨てるように仰った。
五嶺様は、ご自分の誕生日会が開かれた意味も、ご自分の役割も判っている。
でも、我慢の限界に来てしまったのだろう。
一年で一番嬉しいはずの日に、こんな思いをするのは悲しい。
「あそこにはお戻りになりたくないのですね?」
五嶺様のために俺が出来る唯一の事を見つけ出して、俺はゆっくり言った。俺自身の決意を確かめるために。
「戻りたくなんかないねぃ」
あたりまえだろ。という顔をして五嶺様は仰った。
えーい、しょうがねぇ。俺には五嶺様が喜んでくださるようなことはこれしか思いつかない。
「本当に、戻りたくないんですね?」
「くどい」
しつこい俺に、五嶺様が怒りまじりの返事を返す。俺は息を大きく吸って、吐いた。
殴られてるのは慣れてる。追い出されそうになったら、土下座でもなんでもして謝ろう。
「なら、エビスめがなんとかいたします」
俺が意を決して、でもさりげなさを装ってなるべくさらっと言うと、不機嫌そうにそっぽを向いていた五嶺様が思わず俺を見た。
「なんだと?」
「若が戻りたくないと仰るなら、エビスが何とかいたします」
「お前が?」
「はい」
頷くと、五嶺様が馬鹿にしたように笑った。お前に何が出来る? というお顔。確かに、俺はこんな小さな事しかできない。
「そりゃ結構だねぃ。そうしとくれよ。うるさく言う奴には適当に言いくるめておいてくれ。気分が悪くなったとか何とか言ってさ」
「はい、では」
俺は頭を下げ、決意の鈍らぬうちに足早にその場を去ろうとした。くそ、明日のこの時間、俺はこの家にいられるかな?
くるっと背を向け、茶室の戸から出て行こうとした瞬間に、五嶺様の不機嫌そうな声が耳に入る。
「おい」
「何か?」
振り返ると、五嶺様はじっと俺を見つめていた。いつも、無視されるか、見下されるかのどっちかで、そんな風に正面からじっと見られた事が無かったので、ドキマギしてしまう。
「お前は、アタシを連れて来いと言われてるはずだ。判ってるのかぃ? そんな事をすればお前はタダじゃおかれないよ」
五嶺様のお顔には、先ほどまでの馬鹿にしたような表情は無かった。冷たい無表情。でも、その声には微かに戸惑いが含まれている。
まさか、俺が五嶺様に戻らなくて良い。と言うとは思わなかったのだろう。連れ戻そうと必死になるはずだと思っていたはずだ。そりゃそうだろう。俺だってさっきまでそうするつもりだった。
「もとより承知です」
俺が言うと、五嶺様はぼそりと呟いた。
「将棋のコマ……」
一瞬なんの事か判らずに、俺は首をかしげた。
「口ン中一杯詰め込まれて殴られるんだろぅ?」
五嶺様の低い声で呟かれた言葉に、俺ははっとする。
五嶺様、俺が周りの奴らに良く思われてねェ事知ってたのか。いや、当然か。
でもまさか、そんな事まで知ってるとは。
恥かしさと情けなさでいっぱいになる。
将棋のコマを口いっぱい詰め込まれ、ガムテープで口をふさがれて、殴られる。そん時痛いのはもちろんだが、しばらく飯が食えなくなる、地味に辛ェ虐めだ。しかも、外からは何されたのか判らない。
「アタシは、お前がそのうち逃げ出すんじゃないかと思っていた」
五嶺様が仰るので俺は首を振った。
「いえ。そんな事無いです。追い出されることはあっても、俺が自分から逃げるなんて、それは無ぇです」
「どうしてだぃ? 辛い目にあっちゃ逃げ出す。お前は今までそうしてきたんだろ?」
「いえ、俺はここにいたいんで」
正確に言うと、五嶺様のお側にいたい。
俺がきっぱりと言うと、五嶺様は理解できないといったように首をかしげた。
「ここにいて辛くは無いのかぃ?」
「辛く無いといえば嘘になりますけど。五嶺様がいらっしゃるので」
「アタシ?」
思わず俺は本音をぽろっと言ってしまい、五嶺様の首をかしげる角度が深まった。ヤバイ。なんか変な発言だ。
「ああ、あのえーっと、こっ、この間、五嶺様が俺のことちょっとだけ褒めてくださって、あの、些細な事だったので覚えてらっしゃらないと思うんですけど、俺、それが凄く嬉しくて、そういうのあまりなかったので。あっでも、他の誰でもない五嶺様に褒めていただいたから、凄く嬉しかったんだと思います。辛い事とか、それで全部帳消しになっておつりが来るんです。だから俺は出て行きません」
「酔っ払ってんのかぃ? お前の言ってることはさっぱり意味が判らん」
俺の意味不明な言葉に、五嶺様は眉根を寄せ、ちょっと不機嫌な声を出した。
「す、すいません」
「アタシにおべっか使うんなら、もっと判りやすく言え。まぁ、お前が自分の言葉で言ったところは評価してやるよ」
「あっ、ハイ、がんばります」
馬鹿正直に言うと、俺と五嶺様の間に沈黙が下りた。
どうしよう。と思っていると、やれやれ。といった風に五嶺様が肩をすくめ、大きなため息をつく。
「馬鹿だねぃ。要領が悪いんだよ、お前ィさん」
心当たりのありすぎる俺が黙り込んでると、五嶺様は言葉を続けた。
「お前も他の奴らみたいに、アタシをなだめすかしてさ、適当に機嫌をとって言う事聞かせなくていいのかぃ?」
五嶺様のお言葉に、俺は顔を上げた。五嶺様と目が合う。顔を伏せてしまいそうになるのを必死に堪え、俺は口を開いた。
「だって、若はお嫌なんでしょう?」
口の中が乾いて、声が少しかすれた。五嶺様は俺をじっと見てる。
「なら、我慢しなくていいです」
生意気な。とお叱りを受ける覚悟で俺は言った。
「だって、今日は若の誕生日じゃないですか」
震えそうになりながら、でもはっきりと俺は言った。切羽詰ったなさけない顔の俺を見て、五嶺様がふっとお笑いになる。
嘘の笑顔じゃなくて、ほんとうに、俺に向かって笑ってくださった。
「……お前からアタシへの誕生日プレゼントって訳かぃ?」
「あっ、いえ、そんな大それたものではねェです。若が嫌な思いするほうが……、あの、その、ぶん殴られるより、嫌、なんです。ただそれだけなんで」
しどろもどろになって言う。五嶺様が俺に笑ってくださっただけで、急に俺は泣きそうになってしまったのだ。この家に来て以来、今まで俺が受けた全ての酷い事も、辛い事も、全てはあの笑顔で報われた。
「ふん……」
若はしばらくそんな俺を見ていたが、やがてすっくと立ち上がった。
「あ、若」
「気が変わった。戻ってやるよ」
「えっ」
若はそう仰って、ぽかんとしている俺の側を通り過ぎる瞬間、ちらと俺を見た。
「明日はお前の誕生日だろぅ」
その言葉に、心臓が止まりそうになる。
「えええええええ、お、覚えてらっしゃったのですか!! 俺ごときの誕生日を!?」
「あのな、アタシの誕生日の次の日なんてねぃ、忘れようとするほうが難しいだろぃ」
五嶺様が俺の誕生日を覚えてらっしゃった。という望外の喜びに顔を真っ赤にして舞い上がってると、呆れた顔をした五嶺様は俺に背を向け、小さく呟かれた。
「一つくらいは言う事聞いてやる」
五嶺様のポニーテイルと白い髪紐が涙でにじみ、俺は慌ててこぶしで拭った。
「あ〜あ、お前命拾いしたねぃ。こんな覚えやすい日じゃなけりゃお前なんぞどうなったっていいんだが、これから誕生日が来るたびに、次の日お前がブチのめされて家おん出された。なんて事思い出すの気分悪ィから行ってやる」
「ご無理なさらないで下さい。ほんとうに俺はどうなったって良いんです!」
「誰がこんな豚のために我慢なんぞするか」
俺が慌てて茶室を出て歩き出した五嶺様を追うと、なに自惚れてるんだぃこの豚めが。という冷たい目で見られ、ぐっさりと傷ついた。
「今日の主役は誰だぃ?」
「五嶺様です」
問われ答えると、五嶺様は深く頷いた。
「そうだ、その通りだ。父様でも、父様の悪巧みの相手でもない。このアタシが誕生日に惨めな思いをしたまま、このままおめおめ引き下がるなんて冗談じゃねぇ」
なんか、燃えてらっしゃる……?
「せっかく丸々太った美味しそうな獲物どもがアタシのためにお集まりなんだ。これは父様からの誕生日プレゼントだと思おうじゃねぇか。五嶺家とアタシをエサに、利用できそうな奴は片っ端から顔繋いでおくとするかねぃ」
腹黒い台詞を仰いながら、うっすらと笑顔を浮かべた五嶺様に思わず寒気がしてぶるっと震える。
誕生日ってそんな事する日だっけ?
俺のイメージでは、もっとアットホームな……。俺夢見すぎ? 祝ってもらった事ねェから想像なんだが。
「アタシは主役の座を取り戻しに行くんだからねぃ。ついて来い」
「へいっ!」
五嶺様は目をキラキラと輝かせ、好戦的な顔でにやりと笑った。思わず俺も嬉しくなって、テンションが上がる。戦うゴリョーさまほど綺麗でカッコイイものは無い。
力強い足取りの五嶺様の一歩後ろを俺はついてゆく。
誕生日はまだこれからなのだ。
終
20061221 UP
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