Fool on the planet
もうどうなっても良いから、五嶺さんと二人きりになりたかったんだよ。と言った火向の顔があまりにも真剣だったので、拒む事が出来なかった。
火向はいきなりアタシの手を掴んで歩き出し、慌てるエビスに、後で戻ると言って火向のなすがままにされてしまったのは、どうしてだろうか。
手を引かれて、暗い公園の中を歩く。
前を行く火向の背をじっと見つめる。いつか火向がアタシをさらいに来る日が来るんじゃないかと思っていた。
この日が来てしまったという想いと、ようやく来たかという想いが交差する。
ただ、繋いだ火向の手が熱い。二度と離さないとでも言いたげに時折火向が強く手をぎゅっと握る。
少し急な階段を上ると、星空が広がっていた。
天の真中には、満月。眼下には美しい夜景。
火向が、手を繋いだままどすんと芝生の上に座り込む。つられてアタシもその隣に腰を下ろした。
星の見える小高い丘で二人並んで腰を下ろし、月明かりだけを頼りにお互いの顔を見る。
「夢を見たんだよ、あんたの」
月光の下で、火向は見ているほうが胸が痛くなるような顔で口を開いた。そんな顔をさせたのは、火向の気持をはぐらかしてきたアタシだ。
アタシの胸も痛いのはなぜだろう?
「それでもうずっと会って無いって気がついた。夢の中でしか会えないなんてって思ったら、我慢できなくて」
「ちょっとの辛抱だって言ったろ?」
子供をあやす大人の口調でアタシは言った。大人が子供に言うそれは大抵嘘だ。
「ちょっとってどれくらい? 待ってたって、あんたは手に入んない」
ずるい大人のアタシに、案の定火向は怒った顔で言い、握った手に力を込める。痛いほどに。
「お願い教えてよ五嶺さん」
いつものふざけた口調からは想像もつかないほど切羽つまった火向の声。
「好きだ」なんて、この男から何回言われたか判らない。
アタシの顔を見れば、馬鹿の一つ覚えのように好きだと囁く男。
信じれば馬鹿を見るのはアタシの方だと自分に言い聞かせてきた。
「俺、五嶺さんのこと全然わかんない」
火向はアタシの瞳を覗き込んで、アタシの心の中から必死で何かを探している。
生憎お前と違って、アタシの心はそんなに簡単にはさらせない。お前が欲しがっているものは、簡単には渡さない。
アタシは疑り深い蛇。他の女にもそんな事囁いているのなら、アタシはお前を一生許さない。
はっきり答えを出さないこれはアタシの慈悲なんだ。生半可な気持なら、アタシが本気になる前に逃げれば良い。今なら半殺しで許してやるよ。
「俺のこと好きなのか嫌いなのか、どうでもいいのか。好きになればなるほど、全然わかんなくなるよ」
途方にくれた火向の目。
愛していると囁くその気持ちが本物なのか、アタシは見極めようと火向をじっと見る。
抱きしめて、耳元でアタシの気持を囁いてやれば、こいつはどんな顔をするだろうか? そう思うと、なんだかぞくぞくした加虐心すら感じる。
ああ。駄目だ。
火向の気持ちを確かめる前に、きっとアタシが我慢できなくなる。
「俺がこんなに一生懸命なのに、いつも笑ってはぐらかしてばっかりじゃん!」
「アタシをこんなところに引っ張りまわして、あげく拗ねるってのはどういう了見なんだぃ」
わざと冷たくアタシが言うと、火向がはっとした表情を作った。
「ゴメン」
とたんに、唇をかみ締め、泣きそうな顔をしている。心からすまないと思っている顔だ。
アタシの言葉一つで、ころころと表情を変える。
すなおで、まっすぐな男。
「自分に自信が無いからって焦ってた。ダメだぁ。俺ホントに馬鹿だぁ。すんません。俺ホントどうかしてた」
律儀にぺこりと頭を下げ、そのまま上目遣いでアタシを見る。
「でも、返事聞かせてくれませんか?」
おずおずとそう言った火向に、アタシは扇子を突きつけてやる。
「アタシがお前のことを好きじゃないって言ったら、お前はアタシを諦めるのかぃ?」
「ううん。諦めないです」
首を振りながら、当然だとばかりにきっぱりと言ったコイツは、ずぶといのかなんなのか……。
「……なら聞いても聞かなくても一緒だろぃ?」
アタシはからかい半分と呆れ半分でそう言うと、火向はぶすっとした顔をした。
「でも知りたい……」
唇を尖らせて言った火向の顔があまりにも子供っぽくて、アタシは思わず笑ってしまった。さっき自分の子供っぽいところ反省したんじゃ無いのか、お前は。
「お前、アタシに深入りする覚悟はあるのかぃ?」
「えっ?」
アタシの言葉に、火向は目を丸くした。
「アタシの心が欲しいのなら、アタシの闇に手を突っ込んで引きずり出せば良い」
わざと顔をぐいと近づけ、火向の目を見ながら挑発する。
「その覚悟があるならねぃ」
かかって来いよ。というアタシの挑発に、火向はみるみる顔を強張らせる。男のプライドを刺激されたのだろう。
だが、一瞬好戦的に燃えた顔が、ふっと悲しい表情に変わった。
「覚悟ならあるよ。でも自信ないんだ、俺」
ポツリと呟き、じっとあたしの顔を見つめる。
無いものねだりをする子供の顔。
「五嶺さんの事想うと幸せなんだけどさ、押しつぶされそうになる。だって俺が五嶺さんに好かれる要素って一つも無いじゃん」
おやまぁ。存外殊勝な所もあったんだねぃ、火向。
そう言ってやろうかと思ったが、アタシは別の言葉を口に出した。
「そうでもないよ、火向」
「ね、ちょっとは好き?」
首をかしげ、火向があたしの顔を覗き込む。その不安半分、期待半分の顔に、ちょっとした悪戯を仕掛けてやりたくなる。
「そうだねぃ」
考え込んでるふりをして、火向をじっと見つめる。
アタシに見つめられていることを意識して、火向がごくりと唾を飲んだ。
腕を伸ばし、火向の首を引き寄せる。
ごりょうさんと小さく呟いた言葉ごと、アタシは火向の唇を塞ぐ。
「……へこんでるお前を、こうやって励ますくらいには好きかねぃ?」
唇を離すと、火向が「信じられねぇ」と少し非難交じりの言葉を漏らした。
「……ち、ちょっとこの人、俺にキスした」
さっきまで散々冷たかったのに。酷い、不意打ち、心の準備とかしてなかったのに。ていうかもう一回して。
ごちゃごちゃと火向は言うけれど、アタシは聞いてやらない。
「好きな男に口付けして何が悪いかねぃ?」
唇を押さえ、真っ赤になってる火向を扇の後ろからちらっと流し見る。
「確かにお前は馬鹿だ。救いようの無い大馬鹿だ。いつも必死で、人のために大損こいて、みっともなくじたばた足掻いてる」
「……その通りです」
肩をすくめ、小さくなって火向は呟いた。自覚はあるらしい。ほんと馬鹿だねぃ。
「でもねぃ」
ぴしっと火向の肩を扇で叩き、アタシを見上げた火向の目を覗き込む。
「地球を回すのは、澄ました天才なんかじゃなくて、いつだってお前みたいな馬鹿なんだよ」
火向の瞳が、じっとアタシを見つめている。コイツはアタシの事しか考えていないんだとすぐ判るほどに。
「お前はいつだって出し惜しみしない。そこは、好きだねぃ」
「はぁ〜、もーかなわねぇなぁ」
アタシの言葉に、火向はそう言ってごろんと寝転んだ。
「なんでさぁ、五嶺さんは、俺のことそんなによく知ってんの?」
アタシに背を向け、火向は拗ねたような声を出す。
アタシは、火向の体を引っ張ってごろんと転がし、アタシの方へ向けさせる。火向は素直に体を動かし、アタシの顔をじっと見る。
「何で俺が一番言って欲しい言葉知ってんの?」
火向が手を伸ばし、囁きながらアタシの顔にそっと触れる。まるで壊れ物に触るようにそっと。
「俺、ずっと前から誰かにそんな風に言って欲しかった。いや、俺が勝手にやってるんだけどさ。ちょっとだけ、認めて欲しかった」
火向の触れた手から、火向の感情が流れ込んでくるようだった。
優しくて、暖かくて、そして、アタシを好きだと言っている。
「俺、馬鹿でよかった」
目を閉じて、火向がポツリと呟く。アタシの顔に触れる手が力尽きたようにぱたりと落ちた。
「五嶺さん好きでよかった」
うっとりと、心から幸せそうな顔して言う。
アタシがどんなに性悪かよく知ってるだろうに、アタシの前でそんな無防備な顔する奴があるか、馬鹿。
そっと火向の頬を撫でると、火向は片目だけ開けてアタシに笑った。手を伸ばしてアタシの手を取り、そっと唇へもっていく。
アタシの手に何度もキスをしながら、火向が悪戯っぽくにやっと笑った。まるで悪ガキの顔だ。
「あ、でも、俺があんまり馬鹿だったら叱ってね、五嶺さん」
そう言いながら火向は上半身を起こし、なんとアタシの膝の上に頭を乗せた。
「おい、火向」
「ちょっとだけ、ちょっとだけ」
何がちょっとだけなんだか判らないが、火向はそう言ってにかっと幸せそうに笑う。その顔があまりにも無邪気で、アタシは怒る気も失せる。
「凄い好きだからね、五嶺さん」
よく言うよ……。
そう思おうとするが、火向の顔があまりにも自信に満ちていて幸せそうだったので、言わせておいてやった。
「知ってるよそんな事」
軽く流したつもりだが、火向の言葉を嬉しいと思う気持ちが湧き上がって大変だ。
「あ、今照れたでしょ?」
「うるさいねぃ!」
無駄なところでするどいこの男の頭を扇でぴしりと引っぱたいてやると、いって〜と大げさに火向が痛がる。
「今度いやらしい事もさせてください」
「そういうところが駄目なんだよ、阿呆!」
「あっ、さっそく教育的指導」
アタシに叩かれて嬉しそうなこいつは変態なのか?
「一晩中好きだよって囁いて、五嶺さんの好きなところにたくさんキスしてあげる。一晩中ずーっと愛してあげるよ」
懲りずに火向はそんなことを言って、心から嬉しそうに笑う。
「五嶺さん俺にそんな事されちゃうんだよ〜」
「妄想もいい加減にしろぃ!」
アタシは、膝の上にある火向の頭をごろんと転がして立ち上がった。
「ああっ、もうちょっと位いいじゃん〜〜」
後ろで、火向が悲しそうな声を出す。知るか阿呆めぃ。
「帰るよ!」
アタシがわざと冷たい態度をとったのは、近い将来、火向の妄想が本当になると判っていたからだ。
火向はきっとアタシを落とすだろう。マヌケな方法でか、アタシをうっとりさせるようにかっこよくかはその時になってみないとわからないけれど。
きっと近いうちに。
そういう予感がする。
アタシは一晩中、火向に愛されて、身も心も熔かされてしまう。
でもなんだか癪だ。火向の癖に。
だから今のうち、うんと意地悪しておく。
お前はそのうちアタシを手に入れるんだから、それくらいいいだろう?
終
20080807 UP
初出 20060812発行 世に五嶺の花が咲くなり
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