今日のエビス 第三条
「五嶺様、そこ鼻! 鼻です鼻!!」
病室に俺の悲鳴が響く。
調子に乗ったのが悪かった。バチがあたったのだ。
綺麗に飾り切りされた林檎を前に、点滴を打った腕が痛いんです。と言ってちらっと五嶺様を見た俺。
調子に乗るなこの豚。
と罵られるかと思いきや、「ああそうかい。気がつかなくて悪かったねぃ」とにっこり笑った五嶺様にすっかり油断していた。
ここのところずっとお優しかったから、この俺ともあろうものが五嶺陀羅尼丸様の本性をすっかり忘れていた。いや、覚えてはいたが、あえて忘れたふりをしていたというのが正しい。
憧れてたのだ、こういうシチュエーションに。
本で、雑誌で、TVで。こんなシーンを見るたび、心の中で唾を吐き、俺には関係ねえと背を向けていた。
でも本当は憧れてたんだっ!!
そのチャンスが目の前にある。
断言できる。これを逃せば、俺の人生でこんな事する機会なんて一生無いんだ!
ああ、なんて大それた夢を見てしまったんだろう!
ならアタシが食べさせてやるよ。と五嶺様はにっこりお笑いになり、爪楊枝に差した林檎をお手に取った。
「はい、あ〜ん」
笑顔の五嶺様の優しいお言葉。とろけるように甘い。
もう、死んでもいい。
そう思いながら俺は口をあけた。
その時までが俺の人生の絶頂期だった。
極楽は一転して地獄へ。
笑顔の五嶺様の手のある林檎は、馬鹿のように空けられた俺の口ではなく、鼻にぐいぐいと押し付けられたのだ。
「五嶺様、そこ鼻! 鼻です鼻!!」
「うるさいねぃ」
俺の抗議に、俺の鼻にぐりぐりと林檎を突きつける五嶺様の冷たい目が「死んでも食え」と言っている。
やばい、俺。このままでは、鼻から林檎を食わないと死ぬ。
ほんとに俺のような豚が調子に乗ってすいませんでした。と百万回土下座して謝ろう。それしか生きる道は無い。
俺が怪我の身を押してジャンピング土下座を決めようとしたその時、コンコンとノックの音が聞こえる。
誰だ? この場を救ってくれる神か、それとも俺にとどめさす悪魔か?
「こんにちは〜」
夢見がちな大輪の花束をもって、ひょっこりとドアから顔を出したのは、草野だった。
草野の笑顔が、俺達を見て一瞬固まる。
そうだ、この場はおかしい。なんとか言ってやってくれ草野!!
「かわいそうですよエビスさんが」とか、「鼻から林檎は無理ですよ」とかそういう台詞を俺はお前に期待している。
「何してるんですか?」
戸惑った様子の草野の口から、不審そうな言葉が漏れた。そうだその調子だ! そのまま突っ込んでくれ。五嶺様を止めてくれ! 俺を救ってくれ!
「見ての通り、エビスに林檎を食わせてるよ」
五嶺様は表情一つ変えず仰い、相変わらずぐりぐりと俺の鼻に林檎を突っ込んでいる。それ食わせてるって言わないです五嶺様!
今だ草野言え! 俺は必死で目配せした。
「判ったよエビスさん」そう草野が頷いたような気がした。後から思えば完璧に気のせいだった。
「エビスさん凄い! 鼻から林檎食べられるんですか!?」
なんと草野は、キラキラした笑顔でそう言ったのだ!
「んなわけねぇだろ!!」
俺は草野に渾身の突っ込みを入れた。
終
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