誕生日








 綺麗な布が庭の木に引っかかっている。と思ったらそれは五嶺様だった。


「なっ、何をなさっているのですか!」

 俺は慌てて庭に下り、五嶺様の居る木の下に立って言う。

 太い木の枝に座っている五嶺様が、無表情のままちらりと冷たい目で俺を見下ろした。

 あ。

 ドキン。と心臓が大きく脈打つ。

 五嶺様のお顔はいつにもまして艶めかしく、俺はその理由にすぐ気がつく。

 五嶺様、口紅を……。

 はじめて見た。

 振袖姿もだ。

 五嶺様は、深青の絹地に、見事な染と刺繍を施された振袖を身に付けられていた。いや、振袖は着付けているものの、裾の部分は大きく着崩れ、襦袢やなまめかしい素足が露になっている。帯は、腰に巻いて結んだ時点で逃げ出したらしく、まるで舞妓のだらりの帯のように垂れ下がっていた。

 朝からお姿を見ないと思っていたら、振袖を着付けてらっしゃったのか。

 それに、綺麗にお化粧もされている。髪は、きちんと結い上げた後ぐしゃぐしゃにしてしまったらしく、ほつれた髪の束が白い頬に幾筋も落ちている。

 そんなみっともない姿が、いや、そんな姿だからこそか、五嶺様は妙に退廃的で淫靡な雰囲気を纏い、木の上から俺を見下ろす。

 俺は少なからず驚いた。五嶺様が振袖を身に付けられたり、お化粧するなど、そんな事は今までに一度も無かったから。

 女として生を受けたにも関わらず、若は五嶺の当主になるために男として育てられた。

 女らしい遊びとも、可愛らしい小物とも縁なく、変わりに宛がわれたのは、帝王学と権力。

 俺は内心ではおかしいのではないかと思っていたけれど、そんな疑問を口に出す事は許されない。周りの皆全員が、五嶺様が男として扱われるのは当然といった態度を取っていた。五嶺様ご自身もだ。本心はわからないけれど、周りの期待を背負い、ご自分でも男として振舞われ、女であることを強調するような事はなさらなかった。

 それでも、年を重ねるごとに、五嶺様のお美しさはますます磨きがかかり、匂いたつような色気が否応なく周りの目をひきつける。

 いや、女を隠しているからこそ、細いうなじや、ふとしたお優しさ、柔らかい手など、時折零れ落ちる五嶺様の女らしさにたまらなく惹かれるのだ。

 どんな女よりもお美しい。

 俺は普段から五嶺様の事をひそかにそう思っていたけれど、お化粧をされた五嶺様は本当になまめかしくお美しくて、誰がなんと言おうと五嶺様は女である事を否応なく意識させられた。直視できないほどドキドキしている。

「エビスの……」

「はっ、はい!!」

 俺は話しかけられて、飛び上がらんばかりになりながら返事をした。急に五嶺様が遠い存在になったような気がして、訳も無く不安になる。

「気狂いに見えるかぃ?」

 赤い唇が動くのに見とれ、俺は一瞬五嶺様が仰っている事が右から左に抜けそうになった。このままずっと見とれていたいという誘惑から慌てて思考を呼び戻す。

「はっ、反社会的でカッコイイと思います! で、ですがそのお姿は一体……?」

 俺は、卑屈な上目遣いで五嶺様を見上げた。着物の裾からチラリとのぞく白いふくらはぎにちらちらと目をやっては俯いたりして、落ち着かなく視線を彷徨わせた。五嶺様の足が、ただ細いだけではなく、綺麗に筋肉がついていて、足首に向かってきゅっと締まっているのを目に焼き付ける。

 ああ、でも今は十二月なんだぞ。お風邪を召してしまったら大変だ。

 邪な思いと心配の波間で漂う俺の頭上から声が降る。

「見合いだとさ」

 えっ!

 俺は、思ってもみなかった言葉に驚いて五嶺様を見上げた。

 五嶺様は、ふてくされた表情で、まるで子供のように足をぶらぶらと前後に揺らす。白い足が目の前を行ったり来たりするのを見ながら、俺の思考が止まる。どす黒い思いが胸を浸してゆく。

「あの襖の向こうで、アタシの将来の夫とやらがアタシが来るのを待ってる」

 五嶺家の庭にしつらえた茶室を指差して五嶺様が続けた。その言葉の意味を察したとたん、ぎりぎりと俺の心臓が締め付けられる。激しい痛みに気が遠くなりかける。

 五嶺様は少女から大人になる。ますますお綺麗になる。男装して男として振舞ってもその女としての魅力は隠しきれるものではない。

 わずかにほころび始めたつぼみから甘い香りがする。男たちは、そのつぼみが咲き誇ればどれほど美しいかを想像する。むせ返るようなその香りに溺れ、その蜜を味わいたいと熱烈に願う。

 その花を手に入れたいと思わない男はいない。

 花の意思に関係なく、無理に手折ろうとする男もいるだろう。足元に跪き、その目線を、その香りを、乞食のように請う男もいるだろう。

 いずれは、柔らかい体を任せ、わが身を求められむさぼられる喜びを花は知ることだろう。

 五嶺様が誰かのものになる。そう考えただけで、絶望に目の前が真っ暗になった。

 いつかこんな日が来るかもしれないとは思っていたけれど。思っていたからといって胸の痛みが減る訳ではない。

「昨日、アタシの誕生会だったろ? 妙に熱心に男に紹介されたと思ったら、あれはアタシの見合い相手だったらしい。しかも五人もだよ?」

 あ〜あ、こんな事ならあんなに愛想良くするんじゃ無かったよ。向こうはアタシをさんざ値踏みしてたんだろうねぃ。と五嶺様は愚痴を言う。

 たぶん五嶺様は、ご自分がどんな目で見られているのか、まだお分かりじゃないだろう。こんな事を言いたくは無いが、どれほどご自分が男の劣情と征服欲をそそるのか判ってらっしゃらないと思う。

 自分が美しい事に自信を持ってはいるが、ご自分の女としての価値を五嶺様はほとんど認めてらっしゃらない。どれほど綺麗だと褒められても、五嶺様はそんな言葉を聴かされるなんて時間の無駄だと思っている。

 恋をしたり、娘らしく着飾るより、上手く部下を使ったり、一秒でも早く執行ができる方がはるかに大事なのだ。

 そんな五嶺様が、見知らぬ男どもに下心の有る目で見られていたのかと思うと、怒りがこみ上げるが、俺は怒りを感じるより前に反射的に口を開いた。

「えっ、でも、若は」

 俺は、五嶺様のお見合いが嫌で、でも若は男として五嶺家を継ぐのでしょう? と口にしようとした。馬鹿だ。五嶺家を継いだって婿はとるだろう。どうあがいたって若はいずれ他の誰かのものになってしまうのだ。

「父上は仰ったよ」

 ふうとため息をつき、五嶺様は続けた。

「五人のうち、一番五嶺家に役に立つと思われる男を、アタシの婿にして、五嶺魔法律事務所の経営を任せるおつもりだとさ」

 皮肉げな口調で五嶺様は仰る。旦那様は、五嶺様と五嶺魔法律事務所をエサに、有能な男を競わせ、釣り上げようとしているのだ。

 せめて、五嶺様が本当にお好きな殿方と一緒になって、お幸せになるのなら俺はまだ我慢できる。だけど、五嶺様がモノのように扱われるのは絶対に納得できない!!

 俺の目の前で揺れてた白い足が、ぴたっと止まる。

「今更、女として生きろなどと……。なら今までアタシはなんのために」

 空を強く睨みつけ、五嶺様は呟いた。

 五嶺様は、自由奔放のわがまま放題に振舞っているようで、一方でお心細やかな方だ。

 不手際を注意される口調は厳しいが、その言葉はいつも的を得ていて、よくそんなによく見てくださるなといつも驚く。厳しさの中に五嶺様のお優しさを感じるのだ。だから、どんなに厳しくされても皆五嶺様についてゆくのだと思う。(俺は理不尽に苛められる事も多いけどな……。でも好きだけどな)

 そのお優しいお方が、いろいろなものを我慢なさって、ご無理をして、回りの期待に答えようと精一杯頑張っていらっしゃったのに、急にそれを否定され、生きる意味を奪われて、どれほど傷ついただろうかと思う。

 そういう俺自身も、五嶺様を誰かに取られるのが嫌で、五嶺様に男を押し付けていたのだと気がついて嫌になった。

「気に入らないねぃ」

 五嶺様は、低い声で呟いた。うすい唇を、まるで三日月のように吊り上げ、目が好戦的に輝く。この顔は、何かとんでもない事をたくらんでいる時の顔だ。

 それでこそ五嶺様! と思わず言いそうになった。このお方をただの女と侮れば酷い目にあう。

「だから、反抗してやる事にした」

 楽しい悪戯を思いついた子供のような無邪気な表情で、にっこりと笑う。先ほどの邪悪さはかけらも感じない。

「こんな気狂いの娘、誰も妻に欲しいなんて思わないだろぃ」

「いえ、そんな事は無いと思います。五嶺様なら、誰だって欲しいと思うに決まってます」

 その考えは甘いと思うなぁ……。と思ったが、口には出さず俺はそう言った。

「お前も?」

「えっ」

 俺は、これまで綺麗さっぱり自分の事を除外してものを考えていたので、五嶺様に不意を突かれてうろたえた。五嶺様が選択肢に俺を入れない自信だけはあったので、まさか自分に話を振られるとは思ってもみなかった。そもそもそんな事を思ってはいけないと俺は頑なに思いこんでいた。

「なら、エビスのもアタシが欲しいのかぃ?」

 俺のポジションはここ、五嶺様の側近で何でもわがままを言える下僕。

 五嶺様もきっとそうだと思っていた。俺なんかに好かれても迷惑だろうと。

「いえっ、俺なんか滅相も無い。そんなずうずうしい事……!」

 欲しいけれど、きっと俺は大事に思いすぎて触れられない。それに、どんなに望んだって手に入れられない事ぐらい判ってる。それなら最初から望まぬほうがいい。

 ずうずうしいと嫌われるよりは、自分の心を隠してでもお側にいたい。五嶺様の言う事を聞く下僕としてなら俺の存在意義があると俺は妙な言い訳をして、卑屈に振舞う。実際俺は、五嶺様の側近としてお役に立つ事にかなり自信と誇りを持っているから半分は嘘じゃない。半分は。

「アタシはそんな事聞いてるんじゃない。お前はアタシが欲しいのかって聞いてんだ」

「あ、あの」

 問い詰められて俺はうろたえた。

 五嶺様は、俺のそんな卑屈な言い訳など、簡単に打ち破る。俺の心を守るための嘘も許しては下さらない。俺はしどろもどろになり、許していただこうと上目遣いで五嶺様を見るが、俺のそんな態度を五嶺様は気に食わないらしく、その目の光がどんどんきつくなっていく。

「質問には正確に答えろ、この豚が」

 逆らう事を許さない五嶺様の声。五嶺様の苛立ちを感じて、俺は泣きたいくらいに恐怖を感じ、口をひらく。

「ほ、欲しいです」

 俺は、俺の本心を言わされ、恥かしさと申し訳なさに真っ赤になって俯いた。

 豚の癖にずうずうしいと罵られるのを覚悟していると、五嶺様はぷいと俺から顔を背けた。

「ふん。そんな事言うのはお前くらいだよ、馬鹿」

 そっぽをむきながら、五嶺様はそう仰る。

「こんなかわいくない女、誰も欲しがるもんかぃ」

 やっぱり五嶺様は判って無いよ。と、俺は心の中で恨み言を言う。

 ゆっくりと、五嶺様がそっぽを向いていた顔を正面に向ける。まるで俺を伺うような恐る恐るとした仕草に、俺は「?」と首をかしげた。

 俺のマヌケ面を見て、五嶺様はなんだかほっとしたような顔になり、次に意地悪い顔になってくすっと笑う。

「そういや、昨日はアタシの誕生日だったから、今日はお前の誕生日だねぃ」

 不思議な事に、五嶺様はすっかりご機嫌になり、くすくすと笑いながら、そう仰った。まるでチェシャ猫のように枝に腹ばいになって、ぶらんと手を下に伸ばした。

 俺の目の前に、五嶺様の綺麗な手が揺れている。二の腕まで露な、真っ白でしなやかな少女の腕が目の前にあるのにドキドキする。

「口付けをゆるす」

 からかうように五嶺様が仰った。俺を試すように、色っぽい流し目で。

「えっ」

 俺は戸惑って素っ頓狂な声をあげ、目を真ん丸くしてぽかんと五嶺様を見上げた。いくら誕生日だからって、そんな嬉しい事が許されて良いのか。

 五嶺様はそんな俺の顔を見て、ますますおかしそうにくすくすと笑う。さあほら。と甘い声が囁く。風が吹き、ふわっと五嶺様の香りが俺の鼻腔をくすぐる。

 ふらふらと吸い寄せられるようにそのお手を取った。肉付きの薄い綺麗な手。触れると柔らかくて、俺は緊張で震えながら、そのお手を両手でささげ持ち、そっと手の甲へ口付ける。

 唇に、しっとりときめ細やかな肌の感触が伝わる。甘美な痺れが俺の腰から背へ這い上がってくる。

 ああ、とため息をつきそうになった瞬間、俺の手の中にあったその素晴らしいものは、すでに俺の手の届かないところにあった。

「ば、ばか、本当にする奴があるか!!」

 俺のした事に驚き、さっと手を引っ込めた五嶺様が真っ赤になって俺をお叱りになる。

「すっ、すいません!!!」

 我に返った俺は、慌てて大声を出した。

 ほんとうに、なんであんな大それた大胆な事をしてしまったのだろう。自分が自分でなく、誰かに操られているような気さえした。魅入られたとしか言いようが無い。俺は土下座せんばかりの勢いで、真っ青になってお許しを請う。

「本当にお前はばかだねぃ」

 五嶺様は座りなおし、ふかぶかと下げた俺の頭に足袋を履いた足を置いてぐりぐりと踏みつける。その行為はともかく、五嶺様のお言葉には怒りは無く、むしろ俺をからかっている響きがあったので、ひとまずはほっとした。

「若、ひどい……」

 頭を下げたままの格好でなすがままの俺が情け無い声で呟くと、くすくすとご機嫌な五嶺様の笑い声が聞こえてくる。

「アタシが良いといえば、お前はアタシの足にも口付けるのかぃ?」

 五嶺様は、足で俺の鼻を弄びながら仰った。

 これくらいなら、よくある悪ふざけだと、困りながらも俺は何とか切り抜けられただろう。

 だけど、五嶺様は、くいと足で俺の顎を持ち上げた。

 嫌々ながら、俺は五嶺様を見上げる。

 瞳をキラキラと輝かせ、唇を吊り上げている。そのお顔はまるで小悪魔。魅力的で酷い事この上ない。

 五嶺様は、俺をじっと見つめながら、首をかしげて笑みを浮かべた。

「口付けろぃ、エビスの」

 甘えるような五嶺様の声。

「アタシにお前の忠誠心を見せて」

 赤い唇が動く。からだに電流が走る。

 欲しい。

 残酷で、しびれるように甘い。その声は俺の理性を麻痺させた。

 ご命令に従わないと。五嶺様に喜んでいただくのだ。

 俺は自分に何度も言い訳をして五嶺様のおみ足に手を触れ、足袋のこはぜを外した。

 五嶺様は嫌がらない。

 ごくんと唾を飲み込む。口付けしたくてたまらない。欲望がはちきれんばかりに膨らむ。

 五嶺様のくすくすと笑う声が俺の頭の中でこだまする。俺は五嶺様の足に口付ける事しか考えられなくなる。

 頭の中にもやがかかったようにぼんやりとしていた。俺は、五嶺様の足袋を脱せてキスする事が、この世で一番大事な俺のしなくちゃいけないことだと思った。

 きっとこの時、五嶺様が甘い声で死ねと仰れば、俺は喜んで死んだに違いない。そのくらい、その時の五嶺様は蠱惑的で、完璧に俺を支配していたのだ。

 そっと足袋を脱がせると、五嶺様のおみ足が現れた。

 日の当たった事の無い五嶺様のつま先は青白く感じるほど白かった。両手で、まるで壊れ物を扱うようにそっと五嶺様の足を持つ。

 ほんのりと赤い指先は見た目とは裏腹に冷え切り、俺は暖めるように手の中で足を包み、次の瞬間には、夢中でその冷たいつま先に口付けた。

 支配される事がこれほど甘美だとは。

 俺のただ一人の支配者に命令され、服従の証を立てる喜びに涙が出そうなほど俺は感激していた。

 まるで夢の中にいるようだった。うっとりと俺は幸せに浸り、このまま時が止まっても良いと思うほどの幸福感を味わっていた。

 その幸福な時は、五嶺様の嘲るような笑い声で不意に終わりを告げた。

「くくっ。あの男の顔ったら! 傑作だねぃ」

「あっ」

 五嶺様の目線を追って、思わず俺は声を上げた。

 意地の悪い顔で笑う五嶺様の目線の先には、スーツ姿の男がぽかんとした顔で俺と五嶺様を見ていた。五嶺様が自分を見ていることに気がつくと、まるで見てはいけないものを見てしまった。といった風に男は顔を伏せ、そそくさと茶室の中へと戻る。

「父様の選んだ見合い相手の一人だよ。今頃大騒ぎで父様に文句言ってるんじゃないかぃ?」

「俺をあてつけに使ったんですね」

 声に怒気が篭るのを止められなかった。

 俺を利用したのだ、五嶺様は。

 俺があれほど幸せに思い、大事に思った一時は、俺のしたことをあの男に見せ付け、見合いをぶち壊すために五嶺様が仕組んだ事だったのだ。

 俺の気持ち利用した。俺の幸せを踏みにじった。

「使ったら悪いのかぃ? 豚め」

 恐ろしく残酷な響きで、五嶺様は言葉を吐き捨てた。俺を人と思っていない声に、怒りがさぁっと冷め、悲しみがひたひたと俺の心を満たす。

「お前は望み通りアタシに口付けられたんじゃないか。それ以上に何を望む?」

 五嶺様の言葉が、ぐさりと俺に突き刺さった。

「まさか、アタシの心だなんて言うんじゃないだろうねぃ」

 俺のような豚の気持ちなぞ、五嶺様が気にかけてくださるわけが無いじゃないか。利用されて怒る権利など俺には無い。

 ぎり……と唇を血が出そうなほど噛みしめる。自分の増長が恥かしくて、情けなくて、悲しい。

「お前ごときにはまだあげられないねぃ」

 五嶺様のお声が遠く聞こえる。俺が俯いていると、もう片一方の足袋が土の上に落ち、続いてざっと青い布が動いた。

「欲しけりゃ死ぬほど頑張りな」

 木から飛び降りた五嶺様は、うなだれる俺をちらりと見て仰った。

 五嶺様、裸足……。

 あれだけ酷い事をされたにもかかわらず、俺は、素足では寒かろうと心配していた。結局、何をされようが俺は五嶺様の事を大事に思うのを止められないのだ。

「いりもしないのに男五人とは、とんだ誕生日プレゼントじゃねぇか」

 俺を振り返らずに仰りながら、わざと綺麗に整えられた玉砂利の上を五嶺様は歩く。着物の裾から覗くかかとのほんのりとした赤さを俺は目で追う。

「一番腹が立つのは、父上がアタシに五嶺の当主の資格を認めてくださらなかった事だ」

 本当に悔しいらしく、五嶺様のお声が荒くなる。ついてこい。とも言われていないのに俺は五嶺様の後を追い、五嶺様も俺がついてくるのが当然といった風で、振り返りもせずに俺に話しかける。

「あんな男どもに頼らずとも、アタシは一人でうまくやってみせるのに……! なぜ父様は」

 じゃり。と玉砂利が擦れる音がして、五嶺様は立ち止まった。

「父様がアタシをあの男どもに売り飛ばすつもりなら、アタシにも考えがある」

 くるりと振り返り、俺を睨みつけながら五嶺様が仰る。俺は困惑しながら口を開いた。

「どう……なさるのですか?」

「決まってるだろぃ。自分で自分を買い戻すのさ」

 ふん。と俺を鼻で笑い、五嶺様は再び歩き出した。

 見合いの席に俺がついて行くのは不自然だと思いながらも、俺は五嶺様の後をついてゆく。五嶺様は俺がついていく事をどう思ってらっしゃるんだろう……。

「レースにアタシも加わるんだよ。アタシが一番、五嶺家の頭首に相応しいと認めさせてやる。豚、お前もキリキリ働いてアタシの役に立つんだよぅ」

「判りました……」

 俺なんかが一緒にいたって、大したことなどできないと判っている。でも、俺は思うのだ。五嶺様を守ってやりたいって。その一心で、俺は五嶺様の後ろに控える。

「陀羅尼丸です。失礼しますよぅ」

 茶室の前に来ると、五嶺様は躊躇せず中に声をかけた。自分のした事、これから起こる事、怖くないんだろうか、五嶺様は……。

 すっと襖が開けられる。五嶺様は乱れた振袖姿のまま、臆せず茶室に入る。正座して畳に手をつき、深々と頭を下げた。着崩れた振袖姿と、その堂々とした美しい仕草があまりにもちぐはぐで戸惑う。それはその場に居た全員がそうだったらしく、誰も何も言わない。誰も動かない。いや動けない。

「戦線布告をしに参りました」

 顔を上げた五嶺様が笑みを浮かべながら仰る。

 なんてこった。と俺は思った。

 五嶺様はこの状況を間違いなく楽しんでいる。

 十二の瞳が、五嶺様を凝視する。怒り、驚愕、とまどい。さまざまな感情と思惑が渦巻くなかで、五嶺様は、今まで見たことが無いほど美しい微笑を浮かべた。

 誰も、五嶺様には敵わないだろう。

 俺は、すでに勝負の結末を見分けていた。それくらい圧倒的に五嶺様はその場を支配していたのだ。

 格が違いすぎる。


 次の俺の誕生日が来る頃、五嶺様の婿候補に。と選ばれた男たちは五嶺魔法律事務所にいた。

 ただし、五嶺様の熱烈な崇拝者として。というのは言うまでも無い。





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