After夢中人








「アタシに頼るなと言ったはずだろぃ」

 子供の緩んだ帯を直してやりながら、五嶺様は仰った。あ、これは脈がなさそうだな。と思いちらっと様子を盗み見る。五嶺様をすがるように見ているのは、現在の五嶺家頭首をなさっているお方だ。

「ですが五嶺の一大事なんですよぅ」

 泣きそうな声がまだ幼い。お年はまだ十三になったばかりと聞いた。

 お顔も、幼くして頭首になった境遇も、五嶺様によく似ていらっしゃるので、俺はこのお方にかなり好意を抱いている。なんとか力になってやりたいのだが、勝手なことも出来ず悶々とするばかり。

「アタシは五嶺家を離れて、もう人ですらないんだよぅ。お前はかわいいが手は貸さないからねぃ。それがひいてはお前のため、五嶺のためだ。五嶺の頭首が禁魔法律家と繋がってるとでも思われたら大事だろぃ」

 そう言われて、しゅんと肩を落とされた。ああお可愛そうに。

 帯を直している隣で、山の怪が二匹キーキーと言いあいをしている。揉め事があったらしく、五嶺様に向かって、あっちが悪い、こっちは悪くないと主張しあい、ついにとっくみあいをしだした山の怪に向かって、びっと指差して五嶺様が一喝した。

「それはお前が悪い!」

 とたん、一匹がしゅんとし、一匹が勝ち誇った。

 ああ、なんとかお力になってやりたいが、俺も約束があるので行かなきゃいけない。

「五嶺様、行って参ります」

 俺が声をかけると、五嶺様が頷いた。

「エビス! めったにない大口の商談だ、判ってるねぃ、必ずまとめて来くるんだよぅ!!」

 はい。と返事をして、部屋を出て行く瞬間に、またちらりと五嶺様のほうを見る。

「アタシはこれから東の天狗と西の天狗の領空争いの調停をしなきゃいけないから、済むまで待っておいで。手は貸さないが知恵は貸してやる」

「ありがとうございます!!」

 五嶺様がそう仰ってる声が聞こえて、俺はほっと安堵した。

「お前たちはさっきアタシが教えた踊りを復習しておく事、いいねぃ」

 続いてそう言うと、「はい、五嶺様」と何人かの可愛らしい子供の声がした。五嶺様の毎日は相変わらずお忙しい。

 部屋を出て縁側を歩いていると、庭に立っていたイサビ殿が俺を手招きする。

「陀羅尼丸はなんと言うておった? きーきー怒っとったが?」

 急いでお側に行くと、イサビ殿も気になっていたらしく俺にそう尋ねられた。あのお方は、昔の五嶺様を思い出すと、イサビ殿もお気に入りなのだ。

「いつまでもアタシに頼らずに自分たちでなんとかしろと……」

「頭の固い女じゃのー。よいよい、陀羅尼丸には内緒でわしがなんとかしてやる」

「ですがそれでは、イサビ様が叱られますよ?」

 そう言うと、うっとイサビ殿が言葉に詰まった。

「この間も大喧嘩したばかりではありませんか」

「生娘百人がばれた時はさすがのわしも終わったと思ったの」

 イサビ殿が遠い目をして呟く。

 ……本当に大変だったんだぜ?

 五嶺様が家出したり、他の男に騙されて妾にされそうになったり……。

 五嶺様が踊りを教えていたのは、その時の生娘たちだ。イサビ殿の「生娘百人連れて来い」という言葉を鵜呑みにした妖怪からイサビ殿に献上された、年のころ十から十五位の生娘百人のうち、ほとんどは返したが、帰る所の無い娘は不憫だからと五嶺様が面倒を見ている。礼儀作法を教え、教養をつけさせて、いいところへ嫁に出してやるつもりらしい。イサビ殿曰く「陀羅尼丸は、女子供と物の怪には優しい」と言うが、その代わり、俺たちには容赦ない。

 いちおうイサビ殿の名誉のために言っておくと、生娘たちの誰にも手を出していない。らしい。

「あれでも、わしの妻になったばかりのころはそれはそれは可愛らしかったんじゃがのー。ちょっとからかうとすぐ赤くなったり青くなったり。それが今は角まで生えて正真正銘の鬼女じゃ」

 しみじみとイサビ殿が仰る。怒られた時の事を思い出しでもしているのだろうか?

「朝も早うから金儲けの算段、昼はそれに加えて子供の世話と物の怪の相談役、息つく暇も無く働いとる。ご苦労な事じゃ」

「とか言いながら」

 まるでひとごとのような顔をしているイサビ殿に、俺は意地悪く言った。

「五嶺様を取られて悔しいんでしょう?」

 俺の言葉に、イサビ殿が図星をつかれて顔をゆがめる。

「五嶺家を出れば独り占めできるという算段が狂ったんじゃねぇですか?」

「……わしと陀羅尼丸にとって時は無限じゃ。これくらい距離をとったほうが上手くいくんじゃ」

 強がってんな〜〜。ばればれだってのに。五嶺様がイサビ殿の事を「可愛い」と仰る気持ちがわかるぜ。

「……嘘でしょう?」

 俺がニヤニヤしながら言うと、しつこいの〜という顔をされたが、返事を聞くまで離れないと判ったらしくしぶしぶ口を開く。

「嘘じゃ。腹たつわい」

 ついにイサビ殿は本心を表して、悔しそうに俺に言った。

「笑うな馬鹿者!」

 イサビ殿は俺を小突き、俺はそれでも笑うのを止めなかったが、小声でイサビ殿に囁いた。

「あのですね、内緒にしておけと言われたので秘密にしてくださいよ?」

 「秘密」という単語に、イサビ殿の顔が興味を示し、なんじゃなんじゃと顔を輝かせて耳を傾ける。

「生娘事件の時、絶対に許さないと思ったけど、イサビ殿が夢に出てきて凄かったので許そうと思ったそうです」

 俺が言うと、あからさまにイサビ殿は不愉快そうな顔をした。

「夢ぇ〜?」

「えっちな夢。強くって優しくって、おまけに二日も離して下さらなかったとか」

 なんじゃとぉ〜〜。とイサビ殿がますます顔をしかめる。

 あれ? 機嫌が直るかと思ったがおかしな方向に行ってしまいそうだ。

「夢の中といえどわし以外の男と……!」

「いや、イサビ殿ですよ?」

「わしはやってない!!! なんか損した気分じゃ」

 損などこれっぽっちもしていない!!

 第一、仲直りした時に、皆が呆れるくらいさんざん睦みあったじゃないですか……。と思ったが、もちろん口には出さなかった。

「なぜわしがいるのに夢の中でなどー! 現実のわしとすれば良いじゃろ!!」

「いや俺に言われても。それに喧嘩中に見た夢の事ですから……」

「いいや絶対に許さん。仕置きしてくれるぞ! 夢のわしが二日なら、わしは七日じゃ!」

 なんだその計算方法!? と思ったが、はっと俺は目を見開いた。

 五嶺様に殺される!!!

「だ、ダメですよ、ばらした俺が殺されるじゃないですか〜〜」

 俺は泣きながら縋ったが、イサビ殿は巨大化せんばかりの勢いで憤っている。

 後悔に泣き叫んでも後の祭りだ。

 百年経とうが、二百年経とうが、俺はこのお方たちに振り回されるんだろうなぁ……。

「ぬしは今のうちに逃げておれ。なに心配するな。戻って来る頃には、陀羅尼丸はぬしどころでないほど弱っておるじゃろうからのう……」

 イサビ殿は不穏な顔をして低く呟く。

 もっ、申し訳ございませんゴリョー様っ!!!

 ……と思いながら俺は逃げ出した。



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