「……久しぶりにあの夢を見たのぅ」

 くわっと大あくびをしながら伸びをする。飲みすぎたせいか、目が覚めたときには日はすでに高く上りっていた。破れた襖から入る光が顔に当たり、目を覚ましたのだ。

 夕日を見ていたと思っていたのだが、顔に当たっていたのは朝日だった。夢のことはそれしか覚えていない。

「覚えておらんが」

 頭をぼりぼりとかきながら呟く。この数百年の間、何度も同じ夢を見ているらしいとだけ判るが、夢の詳しい内容は朝目が覚めると覚えていない。

 自分がそう仕向けたのだ。

 時折夢に見る。自分が心の奥に沈めた記憶。

 目が覚めると悲しい感情だけが残る。

 普段なら、頭を二度三度振り、迎え酒でもかっ食らえばすぐに忘れてしまうのだが、今日は違った。

 心が騒ぐ。

「なんじゃ。騒がしい」

 キーキーと盛んに声を出し、袖を引っ張る山の怪に気がつく。イサビの体をよじ登り、耳元でごにょごにょと囁く声を聞くと、イサビが顔をしかめた。

「……また嫁の話か。別に女に不自由してはおらん。おせっかいも大概にしろ。山の怪どもめ」

 乗り気では無いイサビの気持ちをなんとか向けさせようと、山の怪が盛んに手を振りまわし、再びごにょごにょと囁く。

「次は絶対気に入る。と言いながら、前は雌鹿だったではないか。たしかに綺麗な鹿だったが」

 それでも諦めない山の怪に、ついにイサビが重い腰を上げた。

「判った判った」

 すっかり遅くなった身支度を整えると、ぐいぐいと裾を引っ張る山の怪に先導され、棲家としている庵の裏にある川へと連れて行かれる。


 ぱしゃ……。と水がはねる音がまず耳に入った。

 ほどなくして、水浴びをする姿が目に入る。

 ざっと身を水に沈めていた人影が立ち上がり、半身を水に浸したままの後姿が露になった。キラキラと輝く木漏れ日が水面に反射し、白いからだの上をちらちらと踊る。黒髪が濡れて白い肌に張り付いているのが妙に色っぽい。

 女……か。

 ぬけるような色の白さ、ほっそりとした腕、まろみを帯びた腰つき。その柔らかい体のラインからそう判断する。

 それにしても、糸杉のように背の高い女じゃな。

 綺麗な背中に、長い足、細く締まった腰や、きゅっと上がった尻。

 水から上がると、しなやかな体つきを見られているとは知らず、女が木にかけた着物へ手を伸ばす。

 びくっとその手が震えた。

 大きな白蛇が自分の着物の上に這っているのに気がついたのだ。

「あの女か?」

 目線を女から外さずに聞くと、山の怪が頷く。

「たしかに後姿は絶品じゃが。ここに生身の女を連れてくるなんて面倒な事をしてくれたのう。現世に帰すのはちと手間がかかるぞ。……だから嫁はいらぬと言っておる。あの女は帰すぞ」

 イサビは言い、蛇に戸惑い、手を出せぬ女の元へと歩みを進める。

「痛ッ!」

 不意に、ずきんと頭の奥が痛んだ。続いてちりちりと焼けるような痛みがイサビを襲う。女に近づけば近づくほど増す痛みに耐えながら、イサビがいるのに気がついていない女の後ろから手を伸ばす。白蛇に向かって軽く手を振って追いはらい、着物を取り上げる。

「ほれ」

 着物を差し出すと、まさか自分以外に人がいるとは思ってもみなかった女がはっと後ろを振り返る。

 これは美しいのう。

 ほう。と思わず内心で感嘆を漏らした。切れ長の二重は艶めかしく、イサビを見て驚いたように長いまつげを二三度上下した。形の良い唇がかすかに開き、色気を感じさせる口元の黒子に思わず気をとられると「あ……」と声を上げる。

 記憶のかけらが頭の中で弾ける。

 女の怒った顔、優しく微笑む顔、涙を流し、自分を見上げる表情、暗闇の中で組み敷かれ、喜びに喘ぐ顔まで。

 くらりと眩暈がして、封じ込めていた記憶が、断片的に次々と蘇る。喜びと悲しみと怒りが混ざり合い、嵐のようにイサビを襲う。

 思わず、手を伸ばして女の頬へ触れようとした。女が怯えた表情で身を引き、はっと我に帰る。

「ああ、すまぬ。つい……」

 反射的に言葉を口にしながら、イサビはこめかみを押さえた。思わず目をつぶる。

 ひどい頭痛とめまいの中、イサビは確信していた。


 わしはこの女を知っている。






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