優しい悪魔






 フロアに医療スタッフが忙しく行き来する中、包帯を巻いたリハビリ中らしき患者が壁に手をつきながらゆっくりと廊下を進んでいる。その脇を、患者には目もくれずにぞろぞろと供を従えた院長が通り過ぎた。

ケロン星でも最新の設備と規模を誇る軍病院、その一室のドアを院長が軽くノックをする。

部屋の中からゆるい返答が返って来たのを確認して、院長はドアを開けて中の人物に声をかけた。

「クルル少佐」

 部屋の中の黄色いケロン人は返事をしない。振り向きさえしない。

 取り巻きの一人が、慌てて院長の耳元に囁く。「今は降格されて曹長です」と。

「失礼」

 こほんと一つ咳をして、改めて口を開く。

「クルル殿、閣下のオペの準備がそろそろ整いますが、クルル殿のご準備は?」

「あ〜、いつでもいいぜぇ」

 目の前にある機械の最終チェックをしながら、いかにもやる気が無さそうにクルルはそう答えた。

 実際やる気が無いのだ。

 音楽を聴いているらしく、銀色のヘッドフォンからはシャカシャカと軽快な音が漏れている。側に置いたPCで怪しげな画像を編集しながら、片手間にチェックを済ませているクルルの姿に、院長の額に青筋が浮かんだ。 

 難病を患った軍の高官のために、それを治療する新しい術式とそれに使用する機械の発明を短期間で行えという命令は、全くクルルの興味を刺激するものではなかった。

むしろ、押し付けられた命令に嫌々ながら従ったのだが、それにも関わらず、いまだかつでどの医療機関でもできなかった抜本的な治療方法を確立したのはさすがという所だった。

「クルル殿の発明したこの装置と術式、まさに画期的ですな。完治不能とされた病がまたひとつ克服され、ケロン星の繁栄に多大なる貢献をしてきた偉大なお方をお救いするこの歴史的瞬間がわが病院でもたらされる事は真に喜ばしい。名実ともにわが病院がケロン星一である事を内外に知らしめることができますな。天才科学者にして天才発明家、そして天才医師、いや、まさに天才の名に相応しい方ですぞ、クルル殿は。感服いたします」

 ぺらぺらと歯の浮くようなセリフを、クルルのほうは見ようともせずに院長はまくし立てた。部屋に入りきれず、ドアを空けたまま廊下にはみ出すほどいる取り巻きが追従の薄ら笑いを浮かべながら聞いている

クルルが関わった今回のオペが成功すれば、病院の知名度や実績が高まり、次年度の研究費アップも期待できる。それだけでなく、命を救われた高官とのパイプも期待できるし、ひいては院長個人のその後の身の振り方も有利になるだろう。

まさにクルル様様といったところだろうが、院長の声からはクルルに対する感謝などこれっぽっちも感じられなかった。適当に煽てておけばいいという舐めた態度に、クルルの危険度が上がる。

誉められる事は大好きだが、心にも無いおべんちゃらを言われるのは、黄色は人気が無いと言われる事よりも腹が立つ。

この黄色いケロン人が、どれほど危険なのか、その「天才」が、なぜ少佐から曹長に降格されたのか、院長はいずれたっぷりと理由を知る事となるだろう。

「俺もアンタのよく回る舌に感心してたところだぜぇ……」

 クルルが面白くなさそうにそう言って、くちゃくちゃと噛んでいたガムをぷうっと膨らませた。

 やりたくもない研究開発をやらされ、それでも研究者の性で開発中はそれなりに没頭していたのだが、こういった人付き合いやその他は本当に苛々させられる。宮仕えの煩わしさにうんざりしていたクルルがちくりとそう言うが、誰一人としてその言葉に反応するものはいない。

 その人を食った態度とセリフの傲岸不遜さに、しん……と一瞬気まずい沈黙がおりた。

 静かになった室内とは逆に、開けっ放しのドアの向こうが急に騒がしくなる。

 通路を通るストレッチャーのガラガラという音と、スタッフが走るバタバタという音がひっきりなしに続いた。

「急患かい……? ずいぶん多いな」

 通路の様子に、クルルがそう独り言のように呟いた。

「なんでも、軍の演習場で大規模な事故があったとかで」

 一触即発の空気が変わったことにホッとし、話題を変えるべく誰かがそう言った。

「災難な事だねェ〜。ま、俺にゃ関係ないがな、ク〜ックックック」

 そう言いながら人ごみをじゃまくさそうにぐいと掻き分け、クルルが通路に出る。

 ストレッチャーに乗せられ、運ばれていく患者をまるで見物するかのように不謹慎に眺めていたが、次々と目の前を通るストレッチャーの一つに見知った赤い人影を確認したとき、クルルの動きが一瞬止まった。

「おっさんっ!?」

 いつもは人を馬鹿にしたようなゆるい動きをするクルルがそう言って飛び出し、手術室へ急ぐストレッチャーと併走する。

 そこに呼吸器を付けられ力なく横たわっていたのは、紛れもなくギロロだった。

 この、馬鹿野郎がッ!

 心の中でそう毒づき、運んでいる看護士に慌てて声をかける。

「お、おい、こいつの容態は?」

「重態です。出血が多く危険な状態です。今から緊急手術を!」

 部外者の問いに警戒して、看護士がそれだけ答える。

「ちっ、世話の焼けるおっさんだぜ。ソレよこしな!」

 運ばれて来る途中に集められたデータを強引に奪い取り、走りながら容態を頭に叩き込む。

「あ、クルル殿! クルル曹長殿〜〜!」

 後ろから慌てた声と足音が追いかけてきたが、クルルの耳にはそんな雑音は全く入ってこなかった。







 手術台の上でギロロがうっすらと目を開けたとき、目に飛び込んできたのは強い光だった。慌てて目を閉じると、きびきびと指示を出すクルルの声が聞こえた。

 なぜこんな所に、いや、それより俺はいまどうなっている……?

 頭上のライトが目に入ってこないように少し顔を傾け、そっと目を開けると、薄い水色の手術服を着たクルルの姿が目に入った。

 やはり、クルルか……。

 局所麻酔をされているのか、痛みは無いが、頭がぼおっとする。考えが上手くまとまらぬ頭でぼんやりとしていると、ギロロが意識を取り戻した事に気がついたクルルが人が悪そうに笑った。

「おっさんよ、少しは大人しくできないのかねぇ……」

「ク、ルルじゃ、ねえ……か。み、みっともない……と、こ、見られ、ち、まったな」

 クルルの相変わらずの憎まれ口に、かえってギロロは落ち着いた。演習中に事故があったこと、新兵を助けようとして自分もそれに巻きこまれた事を思い出す。

「奴は……。俺が、助けた、あいつは大丈夫……か?」

「先輩以外のことは知らないしどうでもいいねぇ」

「お、おまえ、なんで、病院、な、んか。いる……? どっか、悪いのか? お、俺は良いか、ら、早くいけ」

 クルルが自分の手術をしようとしていることを察し、かすれた声でギロロがそう言った。

 今ここで誰が一番頼りになるか、それはギロロもよく知っている。だが、ギロロはそこで自分を優先しろという男ではない。こんな時でも相手の事情を推し量り、心配をしている。

「喋るなよ。内臓はみ出してるんだぜ、先輩。俺がたまたまここにいる時にわざわざ運ばれて来るなんて、先輩もよっぽど運がいいネェ」

 クルルは揶揄するようにそう言ったが、それが本当に運がいいのか、それとも悪いのか、クルルの性格を考えるとまだ判らない。それがクルルという男なのだ。

「ク〜ックックック。勘違いしてもらっちゃぁ困るぜぇ。先輩のためにしてんじゃねえよ。俺がやりたいからやってるんだぜ」

 まるで、クルルを心配しているギロロを嘲るかのように、心底嬉しそうにクルルが声を震わせて笑う。そんなクルルを非難するような目で周りのスタッフが見ている。

「やりたくない事やらされてんだ。先輩の体いじくる位の楽しみが無いとやってられねえよ」

 急に真剣な声でそう言い、手際よく手を動かす。

「俺は、大丈夫だか……ら。他にもっと重傷の……やつ、を」

「黙りな」

 短く言うと、まだ余計な心配をしているギロロに呼吸器を押し付ける。麻酔ガスを吸うたび、ギロロの意識が急激に薄れてゆく。

「お前、なら……」

 薄れていく意識の中で、ギロロが何かを伝えようと口を動かした……つもりだったが、そう思ったのは本人だけで、もしかしたら何も言えてなかったかもしれない。

 俺なら安心だろぉ?

 アンタの体、知りつくしてるしな。

 クルルが内心でだけそう呟き、処置を施す。

「クルル殿、閣下の手術の時間が過ぎております……」

 咎めるような声が、外部との連絡用に設置されたスピーカーから聞こえてきた。勝手に部屋を飛び出し、部外者の癖に相談もなしに手術に参加しているクルルの勝手な行動は、咎められて当然だ。

「待たせときな……」

「ですが!」

「聞こえねえのか? それとも言葉の意味がわからんアホなのかい……? 待たせとけって言ってるんだぜぇ」

「お言葉ですが、その患者のオペはどの医者でも出来ます」

 クルルが本来行うはずの手術は、お偉方を大勢呼んだ公開手術になっている。何か不手際があれば、病院の評判が地に落ちるのは間違いない。それを恐れ、強い口調でクルルを説得しようとする。

「何度も言わせるな。俺が、今、こいつのオペをしたいんだ……。こいつは俺の大事な実験体でねぇ。この体は俺のモンだ。俺以外の藪医者にあちこち触られるのは我慢ならねえんだよ……」

 だが、そんな事でクルルが大人しく従う訳が無い。病院側としては、ふざけているとしか取れないことを言いながら手を動かす。

 その鮮やかな手つきに、周りのスタッフが目を見張る。

 クルルはギロロの手術をするにあたって院長の許可を得ていると大嘘を押し通し、それが嘘だとばれてからも強引に執刀している。

 その強引かつ尊大な態度と越権行為にかなり良い印象をもっていなかったが、無理を押し通すだけの腕があるということは認めざるを得なかった。

「独占欲強いんでねぇ」

 一瞬手を止め、カメラに向かってそう言ったクルルがにやっと笑った。分厚いメガネで表情も伺えず、マスクをしているので顔の下半分も見えないのだが、それでも笑っているというのが判る。

 院長達がいる部屋のモニターには、不敵に笑うクルルのアップが映し出されているだろう。

「なっ、何をふざけた事を言っている! 伍長ごときの手術に閣下をお待たせするなど! これはゆゆしき問題ですぞ。厳重な処罰を……」

「やれるもんならやってみなぁ」

 神経を逆なでするようなクルルの態度に、怒りに我を忘れた院長が怒鳴り散らす。何が何でもこの生意気で腹立たしい人物を酷い目にあわせてやろうと言いかけた言葉が、途中で遮られた。

「処分なんか怖くないねェ……。やりたきゃやりゃあいい。降格でも今度は除籍でもなんでも。俺様のココが惜しくなかったらな」

 血まみれになった手袋をした手を上げ、人さし指でクイクイっと自分のこめかみの辺りをさす。

「あんたらが泣きついてきたあのオペには、俺の才能がいるんだろ? 俺抜きじゃどうしようもねぇもんなぁ。ク〜ックックック」

 図星だった。脅しは効果的で、ぎゃあぎゃあ煩かったのが、一瞬にして静かになる。だが、内心では怒りで煮え繰り返っているだろう。

 こんな男に頼ってしまったのが、そもそもの間違いだったのだ。

「いいんだぜ、俺はどっちでも。大人しくこいつを俺に任せて俺の機嫌を取るか、オペをすっぽかされるか。どっちが得かよ〜っく考えてみるんだな。ク〜ックックック」

 クルルの言葉にモニターの前がざわついた。

「悪魔か、あの男は!」

 院長がそう吐き捨てる。

 クルルの言葉に、もう返事は返ってこなかった。







「目ぇ覚めたかい、先輩。相変わらずタフだねぇ……」

 麻酔からかなり早く目を覚ましたギロロを見て、クルルが呆れたようにそう声をかけた。顔色はだいぶ良くなっている。この様子なら、回復もかなり早いだろう。

「無茶しやがる……」

「ん……?」

「お前だよ。はったりかましやがって……」

「なんだ、聞こえてたのかよ。もっと麻酔をぶちこんでやりゃあよかったなぁ。ク〜ックックック」

 クルルと病院側のやりとりの一部始終を聞いていたらしきギロロが呆れたような感心したような複雑な口調で言うと、クルルが反省など何一つしていない顔でおかしそうに笑った。

 いつもなら、クルルのしたことに怒鳴り散らす所だが、さすがに手術直後にその元気は無い。過程はどうあれ結果的には命を救ってもらったのだし、クルルがあまりにも悪びれていないので、怒る気力も失せる。

「先輩、けっこう危なかったんだぜぇ? まあ天才の俺様にかかりゃ大したこと無いけどなぁ……。少しは感謝して欲しいねェ」

「スマン……」

 自分がやりたいからやった。と言った事は綺麗さっぱり忘れ、恩を着せるようにクルルがそう言った。いろいろ言いたいことはあるが、命を救ってもらった事は本当だ。今は音なしくギロロは礼を言う。

「新兵庇って大怪我か、先輩らしいねぇ。だがな、俺だっていつもいつも助けてやれるわけじゃないんだぜ? そのはねっかえりな性格、なんとかしな」

「努力する……」

「先輩は俺のモンなんだから、俺の知らねえとこで勝手にくたばってんじゃねえぞ……。ク〜ックックック」

 今はあまりにも形勢が悪すぎる。珍しく一方的に言われっぱなしで、素直なギロロに、クルルが心から満足そうに笑った。

「超気持ちイイ〜〜ねェ、クックック。先輩に説教できるなんて。素直な先輩は気持ち悪いが、悪くないぜぇ……」

 もしかして、こいつ、オペ後俺にこんな事言うためにやったんじゃないだろうな?

 そんな疑惑が湧いてきたが、恐らくその疑惑は正しいだろう。

「さて、俺はもう寝るよ。先輩のオペとじじいのオペでもうくたくただ」

 そう言って、クルルが億劫そうにドアに向かって歩き出す。

 手術の時に見せた俊敏さとてきぱきした口調はすっかり百万光年のかなたへ消え去っている。

「あ、クルル……」

 思わず声が出て、引き止めた自分にギロロが戸惑った。

 何だ? という顔をしているクルルを見て数瞬迷ったが、普段言い馴れないことを言おうとして顔を赤くしながら口を開く。

「その、すまん、あ、ありがとう」

 ギロロがそう言うと、予想外だったのか、ほんの一瞬だけ、クルルの顔からふざけた笑みが消えた。

 だがすぐに手を口元に当て、体を震わせてくっくっくと笑う。

「やめろよ、鳥肌立っちまう。この借りは後でたっぷり返してもらうぜぇ、先輩が礼を言った事後悔するぐらいになぁ。ク〜ックックック」

 手をひらひらさせながら、ギロロに背を向け、クルルがドアの向こうに消えた。



「………………」

 一人病室に残ったギロロが複雑な気持ちでいると、閉められたドアがまたがちゃっと開いた。

「び、びっくりさせるな!」

「先輩が助けた奴な、かすり傷だけでぴんぴんしてるぜぇ」

「わざわざ伝えに戻って来てくれたのか。スマンな」

 ギロロがずっと気にかけていた事をクルルは教えてくれた。

 わざわざそれを伝えに戻って来たクルルの事を、一瞬実はいい奴なんじゃないか……? とギロロが見直す。

「ク〜ックックック、いやね、先輩が助けた奴に神みたいに崇められて今サイコーに気分がいいからなぁ……。先輩にゃ説教できるし、いつでもまた事故ってくれよ。心臓止まってても俺が助けてやるぜぇ……、いや、肉片一つでも残ってりゃなんとかしてやるから安心して死にかけてくれていいぜぇ」

「き、貴様という奴はっ!」

本当に死にかけた自分に、またいつでも死にかけていいと言うクルルにギロロが激昂した。

「なぜ貴様のために死にかけねばならんのだ!」

「くくっ、やっぱダメかい?」

「当たり前だ!」

「俺は先輩に恩売る機会狙ってるから、いつでも待ってるぜぇ。先輩のために飛んで来てやるから安心してくれよ」

「なにが安心してくれだ。誰がお前の為に死にかけるか! 第一あんなヘマは二度とせん!」

やはりこいつはそういう奴だとギロロは先ほどの思いを撤回するのだった。

ク〜ックックック……と笑い声を残し、クルルは言うだけ言ってまたドアを閉めて行ってしまった。

「全く……。素直に礼を言わせん奴だ」

 クルルの天邪鬼な性格を知っているギロロが、クルルの消えたドアを見ながらそう言った。

 クルルがその場にいたら嫌な顔をしたかもしれない。



「優しい俺様なんて気持ち悪いだろうがよ……」

 ギロロの病室を出た後、白衣姿でよろよろと歩きながら、クルルがぽつりとそう呟いた。




ENDE


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