東方美人
湯で茶壷を暖め、無造作に茶杓ですくった五色の茶葉を入れる。
湯を注ぎ、さらに茶壷の上から湯をかけ、しばし待つ。
ころあいを見て、茶壷の中の茶をガラスの茶海に注ぐと、ふわっといい香りがクルルの鼻腔を擽った。
その香りに、クルルの口元にかすかに微笑が浮かぶ。
「よい香りでござるな」
気配も感じさせず背後に忍び寄り、そう呟いた声にクルルは驚きもせず振り返った。
「ずいぶん来るのが早いじゃないすか……、ドロロ先輩」
「クルル殿が茶をご馳走してくれると言うのでいてもたってもいられず飛んで来たでござるよ」
ドロロの言葉にクルルは口元だけで笑い、聞香杯という茶の香りを楽しむ専用の杯からのぼる香りを楽しんだ。
確かめるように香りを嗅ぎ、満足そうに頷くと、ドロロの聞香杯にも茶を注ぐ。
「トンファンメイレン」
「ふむ」
ドロロが、自分の聞香杯に注がれた血の色をした茶をまじまじと見る。クルルが言った東方美人という茶は、烏龍茶といっても紅茶に近い。
「く〜っくっくっく」
聞香杯から飲杯に移した茶を口に含み、味わっていたクルルが口元に手を当てて機嫌よさそうに笑った。茶葉といい、抽出のタイミングといい、今日は格別に美味い茶が淹れられたようだ。
「では拙者も」
クルルにつられ、ドロロが飲杯を手にした。
一口、口に含む。
口の中から全身に広がる清香。熟した果物や蜂蜜を思わせ、シャンパンのようだと評された香りがさわやかにドロロの中をかけぬける、
「良い香りでござる」
うっとりとした顔でそう言い、ことんと軽い音を立て、飲杯を置いた。
「ククッ、美人に目の前で喪裾をひらひらされてる気分だぜぇ」
「同感でござる」
クルルの軽口に珍しくドロロが頷き、二口目を口にする。
「ああ、本当に美味でござる」
目を閉じて、余韻に浸る。
中国風の衣装を着たつり目の美人が、ドロロに妖艶に微笑みかけている。
二煎、三煎と淹れるたびに、美人は少女から女へ変わり、ドロロを誘うのだ。
「そろそろ茶畑にウンカが発生している頃でござろうか? 美味しいお茶になるといいでござる」
ドロロがなにげなく呟いた言葉に、クルルがにやっと笑った。
ウンカは梅雨の頃茶の葉を食う。もともとは害虫だが、ウンカに食われないと東方美人は作れない。
「く〜っくっく、茶の木は、小緑葉蝉、つまりウンカに苛めぬかれて初めて薫り高い東方美人になる」
エメラルドグリーンの透き通った色をしたウンカが、どこかのだれかを思い出させる。
人が悪そうに笑いながら、クルルがからかうように言葉を続けた。
「心当たり、あるんじゃないすか?」
言われて、ドロロがかすかに眉をひそめた。
「今の先輩があるのも、隊長のおかげかもしれねぇなぁ。く〜っくっくっく」
笑いながら干したサンザシを口に放り込むクルルを見て、人が悪いでござる。とドロロが小さく呟く。
「ま、そう思ったのもあったてね、俺がなぜこの茶を選んだのか……」
あっというまに一煎目を二人で飲んでしまったので、二煎目をドロロの飲杯に注ぎながら、クルルがぐいとドロロに近づいた。
「なにゆえでござる?」
「ドロロ先輩、先輩見てると、美人って言葉が浮かぶんすけどね」
顔を近づけ、正面からクルルにそう言われ、ドロロが戸惑った。
クルルが何の意図で自分の事を美人だといったのかが判らない。
第一その言葉は自分に向けられるような言葉ではない。普通ならば。
「それは……」
「メイレンって言葉の通常の使い道なんてわかってるぜぇ……。でも、あえて、な」
戸惑った顔をするドロロをおかしそうに見て、クルルが近づけていた体を引いた。
「先輩、結構いい家で育てられたんじゃないすか?」
ドロロにも茶菓子を薦めながら、クルルがさりげなくドロロを探る。
ケロロやギロロは幼馴染だからドロロのことをよく知っているが、クルルはドロロの過去をよく知らない。
第一、二人は特別仲がいいとも言いがたい。
元から茶が好きなドロロと、クルルが茶に興味を持った事で、まったくと言っていいほど接点の無かった二人が向かい合って飲杯を傾ける事になったのだ。
他のみなが見れば、なぜこの二人が? と首をかしげる取り合わせだった。
「立ち振る舞いが綺麗だぜぇ」
どこまで砕けていいのかわからず、お互い距離を測りあっているクルルとドロロだったが、クルルが一歩踏み出す。
あまりそのような事を言われなれていないドロロが、明らかに戸惑う。
間が持たず、なにか上手い言葉を探して、黙々と茶を口に運んでいる。
クルルは、ケロロやギロロとはまったく違う。そのクルルが自分を探っている事が妙に怖く感じた。
すべてを見透かすようなクルルが怖い。
だが、同時に惹かれる。
「俺にゃ到底真似できないししたくもネェが、先輩の背筋が定規を当てたみたいにまっすぐなのには感心するぜぇ」
何ゆえにクルル殿は拙者の事を探るのでござるか?
そう聞いてみたいが、なぜか口に出せない。答えを聞くのが、怖いような、わくわくするような不思議な気分だ。ケロロやギロロには感じた事の無い感情にドロロが度惑い、新鮮なその感情を楽しんでいる。
「それに先輩の戦っている姿、まるで舞でも舞ってるみたいだぜぇ。アレは意識してるんすか?」
「いや……。しかし、機能的に動くという事は、美しさに通じるでござる。まぁ、拙者の母が好きだったゆえ、踊りの稽古は幼い頃やっていたでござるが……」
美人だとか、綺麗だとか。わざとその言葉を選んでいるとしか思えないクルルの言葉に、ドロロの返事もしどろもどろになる。
「へぇ、そりゃまた……」
筋金入りって事かい。
予想通りのドロロに、クルルがク〜ックックック。と笑った。
「おまけにこの水色……。血の色をした美人なんて、まさに先輩の事じゃないですか?」
美しい白磁の飲杯に、血を思わせる水色が映える。
俯いて杯を眺めるドロロに、クルルの言葉が続けられる。
「下世話な好奇心すけど、アサシンという汚れ仕事をしながら、それでも綺麗な先輩に興味がありますね。ク〜ックックック」
クルルがそう言うと、ドロロがゆっくりと伏せていた顔を上げた。
「拙者、自分の事を綺麗だと思ったことは一度もござらぬ」
まるで乙女のようにもじもじとしていた先ほどの姿が嘘のように、その声は硬く冷め切っていた。
研ぎ澄まされた刃物のように青白いオーラが立ち上る。
これが先輩の本性かい?
余裕の仮面を外さないクルルが、内心でドロロの変化にぞくっとしながら、興味を引かれる。
「汚泥にあがき、返り血に濡れた姿こそがわが真」
感情を写さぬ、どこまでも透明な水色の瞳。
綺麗なその瞳は、どれだけ血なまぐさい惨劇を見てきたのか?
それでも、ドロロの目の淡い水色は澄み切っている。
急に、手を伸ばしてドロロに触れたくなるのをクルルはぐっと堪えた。
まるで子供のように、綺麗なものに素直な気持ちで触れたくなってしまったのだ。
「クルル殿も、拙者とともにあればいずれ知るでござろうよ」
クルルの内心を知らず、苦い声でドロロはそう言った。
できれば誰にも見せたくない。修羅の姿。
だが、それこそが自分の本性なのだ。隠し通せる事などできぬほど、自分の体からは血の匂いがする。
クルルのことを怖いと思ったのは、知られるのが怖かったからなのだ。とドロロは気がついた。
クルルの鋭い目が、自分の隠しておきたい本性を探り、暴き、落胆されるのが怖かったのだ。
何を今更……。
ドロロは苦笑した。
まだそんな虚栄心があったとは。と自分に呆れる。
クルル殿は、拙者の本性などすでに見通しているだろうに。
「先輩の戦いぶりは聞いてるぜぇ」
ドロロの考えている事に気がついているようにクルルは言った。クルルの言葉に、ドロロの体がぴくりと動く。
「命を粗末にする事と、命を奪う事は違う。先輩見てるとつくづく思うぜぇ……」
クルルの言葉に、ドロロがじっとクルルの顔を見た。
「優しい先輩が、必要であれば、躊躇しない……んだろうな」
探るように言ったクルルの言葉に、ドロロが目を閉じる。
クルル殿は、判っているけど判らないのでござる。
知っているけれど、理解できないのでござる。
それも当然の事。
言葉では聞いていても、想像できないだろう。
積み上げた屍の上で、血にまみれたまま見る月の色など。
クルル殿は、いや他の誰も知る必要の無い事でござる。
あの色を知るのは、拙者たちだけでいい。
ふと、同じ月を見た仲間のアサシン達のことを思い出した。
「できれば、敵に回したくはねぇな」
場の雰囲気を変えようとしたのか、クルルが冗談めいた口調でそう言った。だが、その言葉には本気の色が混じっている。
「拙者もそう望むでござる、敵になれば、容赦はできぬ……ゆえ」
ドロロが多少口ごもりながら言うと、クルルがなぜか嬉しそうに体を震わせて笑った。
「く〜っくっくっく。ソレだよ。ソレ」
再びぐいとドロロに顔を近づけ、クルルが囁く。
「血に濡れた先輩もさぞ美人なんでしょうねぇ」
ク〜ックックックと機嫌よく笑い続けるクルルに、ドロロがポツリと呟いた。
「いささか喋りすぎたでござる」
「珍しい事もあるもんだぜぇ」
ドロロを茶化すようにクルルが言うと、ドロロが目を伏せた。
「茶酔いでござる」
伏せたドロロの目に映る飲杯の中の美人は、あの時見た月のように透き通った血の色をしていた。
ENDE.
20090905 UP
初出 20060219発行 Keron Attack! Z
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||