インソムニア








 ちょうどギロロがテントから顔を出したとき、夏美の部屋の明かりがふっと消えた。

今日も夏美の一日が無事に終ったことを確認し、ほっと一息つく。

 夏美の部屋を見上げた頬にふと冷たいものを感じ、じっと目を凝らすと、細い銀の糸のような小雨が天からいくつもいくつも落ちてくる。

吐く息が白い。

 白い息はやがて夜の闇に解け、また新たな白がギロロから生まれる。

 静寂な真冬の夜はキンと冷え、痛いほどだった。


 夏美が寝たかを確かめるのはもう日課になってしまっている


 辛い目になど何一つあわせたくない。

 心の中で何度も呟いたその言葉をもう一度呟き、テントの中へ戻る。

 入り口を開けたせいで冷たい風が小さなテントの中に吹き込み、たちまち外と変わらぬ寒さになる。少し迷ったが、火をつけていては危険だ。野営用のストーブの火を消し、毛布を引っかぶった。

 寒い……。

 ぶるっと小さな体を震わせ、毛布のなかに縮こまる。

 ぱらぱらと小さい雨の音がした。眠るのに邪魔な音ではなかったが、雨の音はどうしようもなく人を寂しくさせる。

眠ろうと思うが、冷たくて寂しい夜はどうにも眠れない。優しくて暖かい眠りは、なかなかギロロの元に訪れては来ない。

 夏美……。

 眠ろうと目を閉じたまま、心の中でギロロが小さく名を呼んだ。

ぽっと心が温かくなる。

ごそごそと何度も毛布の中で寝返りをうつが、閉じた瞼の裏に浮かぶ夏美の笑顔は消えない。

 

寝ようとしても、お前が紛れ込む。

 

 ギロロはついに諦め、起き上がってストーブに火をつける。

 ぽっと暖かな炎が灯り、優しいぬくもりがギロロを暖めてくれた。

 明日のために寝なければならない。軍人として、体調を整える事も仕事の一つだと判っている。

たまにはこんな夜もあるさ。

炎を見つめながら小さく呟くと、なぜだかかすかに胸が痛んだ。







「まだ起きてるの?」

 不意にテントの外から聞こえた声に、どきんと大きく心臓が脈打った。抑えた声だが、誰のものなのかはすぐに判る。

慌てて立ち上がり、テントの入り口をめくる。

「な、夏美」

 テントの外に立っていた地球人を見て、ギロロの口から思わず声が漏れた。

 夢じゃないか、これは?

 寒くて寂しい夜の想いが届くなんて……。

「寒いんじゃないかな……と思って、ここ」

 いつもは二つに分けて結んでいる赤い髪を下ろした地球人の少女が、ギロロにそう言った。

「あ、いや、平気だ」

 その地球人の少女、夏美の言葉に思わず反射的にそう答えてしまう。言った瞬間にすぐしまったと思うが、上手く言葉が口から出てこない。

「嘘、寒いじゃない。入っていい?」

「は、早く入れ、風邪ひくぞ……」

 小雨が降る中外に立たせていたことに気が付き、慌てて中に迎え入れる。

 初めてギロロのテントに入った夏美が興味深そうにテントの中をぐるりと見回す。

 テントの中は思ったよりも広かったが、整然と並べられた弾薬や武器のせいで、自由になるスペースはかなり狭い。ギロロはあたりにあった荷物をなんとか片付けて、かろうじて夏美の入るスペースを作る。

「はい」

 テントの中に落ち着くと、夏美はそう言ってギロロに暖かそうな毛布を手渡した。

「スススススス、スマンな……」

 夏美、俺のために……。

 思わぬ僥倖にギロロが涙ぐみそうになりながら幸せを噛み締めていると、夏美が小さくくしゃみをする。

「寒っ……」

「い、今あったかい茶を入れてやるから!?」

 ギロロがそう言って慌ててストーブの火力を上げ、チタン製のケトルを上に載せる。

「ねえ」

 ストーブを挟んで反対側に座ったギロロをじっと見つめ、夏美が声をかけた。

「な、なんだ!?」

 心臓が飛び出しそうなほどドキドキしながら、ギロロが必要以上に大きな声で返事をする。

「寒いんだからもっとこっちにくれば?」

 夏美の言葉に、ギロロはしばらく石像のように固まっていたが、やがて頭からピーっとけたたましい音を立てて湯気が噴出した。

夏美が驚いていると、何かが壊れたのか、ゆらっとギロロが立ち上がる。操り人形のようにフラフラと夏美に近づき、その隣にすとんと正座した。

自分の側に来たギロロに夏美は満足そうな顔をしたが、すぐにギロロと自分の間にあるほんの十センチほどの隙間に気が付き、二人の間の隙間を面白く無さそうにじっと見つめる。

「あ、そうだ」

 夏美が何か思いついたように声を上げた。顔を輝かせ、ギロロにふふっと笑いかける。

「こうしたらいいんだわ」

 そう言って、ギロロの毛布と自分が持ってきた毛布を重ねてふわっと広げ、二人でくるまる。

「もうちょっとくっつかないと寒いでしょ」

 言葉と共にギロロを引き寄せ、ぴったりと体を密着させる

「あったかーい」

 毛布の中で、まるでぬいぐるみのようなギロロをぎゅっと抱きしめ、夏美が嬉しそうにそう言う。

 実際、ギロロの体はポカポカと暖かかった。

「あ、あったかいな」

 自分が何を言っているのか判らないほど緊張し混乱しながら、夏美の言葉を鸚鵡返しする。ふと見ると自分の頭のすぐ上にある夏美の笑顔に、ギロロの熱が上がる。

「すごく、ウン」

 ただでさえ赤い体が真っ赤になり、どっくんどっくんと激しく脈打つ心臓の音が夏美に聞こえないか心配だった。

「熱いくらいだ」

 夏美と、夜に、二人っきり。

 しかも、こんな近くで。

「それは言い過ぎ……」

 呆れたように夏美は言うが、ギロロは熱くて熱くて湯気が出そうだ。のぼせて意識を失いそうになった頃、お湯が沸いた事に気がつき、逃げるように毛布から出た。

 無骨な金属製のマグカップにティーバッグを入れ、ケトルからお湯を注ぎ夏美に手渡す。

「ティーバッグだが……。熱いから気をつけろ」

「うふふ、キャンプみたいで楽しい」

 カップを手にして、夏美が幸せそうに笑った。寒い夜に小さなテントの中で飲む熱いお茶は、何よりのご馳走に思える。

 二人でゆっくりとお茶を飲んで、他愛の無い事を話す。心までぽかぽか温かくなるのは、ストーブとお茶のせいだけではあるまい。

 この時間が少しでも長くなるように、お茶を少しづつ大事に飲んでいたが、ついに飲み干してしまい、ギロロが名残惜しそうにカップの底を見つめた。

 お茶を飲んだら、夏美は行ってしまう。

 お代わりはどうかと声をかけようとしたとき、夏美が口を開いた。

「あたし、ここ気に入っちゃった」

「い、いつでも、き、きていいぞ」

 どもりながらそう言うギロロをじっと見ながら、夏美が手を伸ばす。ギロロの手を引き、自分がくるまっている毛布の中へ導く。

 優しく、でも強引に夏美のいる毛布の中へ引き入れられながら、ギロロが慌ててストーブの火を消す。

「ここで寝ていい? 部屋帰るのめんどくさくて……」

 ギロロと一緒に毛布にくるまり、ころんと寝転がる。気持ち良さそうにうとうととしながら夏美がそう言った。

「一人より、二人の方が暖かくて良いでしょ?」

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおう」

 再び夏美と一緒に毛布に包まる、しかもぎゅっと抱きしめられながら。

 幸せに頭がパンクしないのが不思議だった。

「狭狭狭狭狭狭狭狭狭狭狭狭狭狭、狭くてスマン」

 オーバーヒート気味で言語能力が怪しくなったギロロが、目の前が真っ白になりながらそう言う。

「何言ってるの」

 ほんの少しだけ咎めるような口調になった夏美に、ギロロが慌てる。

「あ……」

 夏美が不機嫌になった理由は判らないが、慌てて言い訳しようとしたギロロが何か言う前に夏美が言葉を続ける。慌てたギロロがおかしかったのか、クスクス笑いながら。

「狭いからいいんじゃない……」

 そう囁くように言って夏美はギロロをぎゅっと抱きしめた。

 顔を暖かくて柔らかい胸に押し付けられ、ギロロの気が遠くなる。

 トクン、トクンと夏美の心臓の音が聞こえる。

 暖かくて、気持ちがいい。

 ギロロが幸福感でいっぱいになりながらそっと目を閉じた。

 目を閉じてもとうてい眠れそうに無い。

 だが、同じ眠れないのでも、先ほどと今とは全く違う。

幸せなインソムニア。

 この幸福に比べれば、明日のケロロ達のからかいも今はどうでもよかった。




ENDE




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