Excavation
先ほどまで一緒に映画を見ていたはずのタママが、ケロロのベッドで眠りこけている。
大きな瞳は閉じられ、無防備な寝顔は、何かいい夢でも見ているのか、かすかに微笑んでいた。
残されたケロロが一人、PCで映画を見続けている。タママのために部屋の電気を消したので、PCの画面の光が、ケロロの無表情の上をちらちらと踊る。
ちょうどヒロインが撃たれて病院に運ばれた時、星マークのついた冷蔵庫から、開閉の許可を求められた。ケロロは画面から目を離さず、無表情のまま、手だけを動かしてドアを開ける許可を下す。
ゆっくりと開いた冷蔵庫の奥から現れたのは、クルルだった。
クルルは、口に手を当てたままぐるっと辺りを見回すと、く〜っくっくっく。と彼特有の暗い笑みを漏らす。
「目ざといよねぇ、これでありますな」
ケロロが、部屋に入ってきたクルルを見て、傍らのボトルを指差すと、クルルがにやっと笑った。
グラスに大き目の氷を一つ落とし、そのボトルの中の琥珀色の液体をなみなみと注ぐ。ふわっと地球産のアルコールの香りが鼻腔をくすぐる。
「据え膳。食わないんすか」
グラスを受け取りながら、ケロロにクルルがそう言った。ニヤニヤとからかうような笑みを浮かべているクルルを横目で見て、ケロロも自分のウィスキーの入ったグラスを持ち上げる。
口に運ぶと、からんと綺麗な氷の音がした。
「んー、タママのことでありますか?」
ケロロがわざとらしく聞き返すと、クルルがそれ以外に誰がいるんだという顔をしている。クルルの余計な詮索に、ケロロが言いたくなさそうに口を開いた。
「アレはねぇ……。据え膳って言うよりか、生の食材をごろんと置かれているようなもんだからねぇ」
「食指が動かない?」
「いや、あんまり無邪気で何も知らないからさ。いいのかなって」
ケロロは言うと、口をつぐんだ。
タママの好意は、ケロロにとってはあまりにも幼く思えた。
幼い子供が、大きくなったら結婚しようね! と約束するような純粋さと、清らかさ。
タママが自分の事を好きなのは、いくらなんでも気がついている。
大人の男への憧れ?
恋愛ごっこ?
それとも……。
その「好き」が、どの「好き」なのか判別つけかねているのだ。
タママは、我輩とどうしたいの?
きらきらとした憧れの瞳で見上げられるたび、そう口に出したくなる。
タママは、ケロロと楽しくおしゃべりをしたり、一緒にいるだけで満足らしい。
タママの望むような甘い言葉を適当に囁いて、深入りしなければいいのかもしれない。はしかならそのうち冷めるだろう。
……でも、ソレはできないであります。
かといって、ケロロが深入りした時に、やっぱり軍曹さんに感じたのは恋じゃなくて憧れですぅなどと手痛いしっぺ返しを食らうのもイヤだ。
これまで以上に深く関われば、恋は、ふわふわとした、甘いお菓子のよう。とだけにはいかない。
相手の嫌な部分が見えてしまった時、気持ちが冷めかけた時。
タママは、そん時どうするの?
二人の考える恋愛というものにギャップがあれば、上手くいきっこなんか無い。それぐらいなら、はじめから期待させないほうが、ケロロにとってもタママにとってもましだ。
「フカヒレとかふぐとか、素人じゃ上手く料理できないでしょ? 台無しにしちゃうのも怖いし」
ケロロが、画面から目を離さずに、まるで独り言のように言った。
最高の素材。しかし、美味しく食べるには技術と手間が伴う。
タママの嫉妬は、情の深さの裏返しだ。これほど深く人を愛する事が出来る子は、早々いない。タママが経験をつみ大人になりさえすれば、これ以上無いほど豊かに愛してくれる最高の恋人になってくれるだろう。
ただ今は、若いだけに、不安定な感情のエネルギーは、マイナスの行動に出がちだ。
上手く導いてやる自身は、正直、ケロロにはない。
それがケロロが迷う理由の一つだった。
ケロロの言葉をふんと鼻で笑い、クルルが口を開く。
「余裕ですねぇ、隊長」
クルルの言葉に、え? とケロロが目を丸くする。
自分は余裕が無い、切羽詰っているとばかり思っていたのだ。だから、クルルの台詞はかなり以外だった。
「あいつが自分以外の奴なんか見ないって確信してるんすネェ」
クルルの言葉に、はっとする。
「いや、そんな事ないでありますよ……。いやあるね、うんある。鋭いでありますなぁ、クルルは」
とっさに違うと言おうとしたが、すぐにケロロは言葉を引っ込めた。
そうだ、確かに……。そうであります。
自分の気がつかぬうちに、そんな気持ちがあった事に驚いた。タママに愛されているという自信がいつの間にか自分の中にあった。
「本人が選んだんだから料理するなら隊長が一番適任だと思うぜぇ。自分好みに料理すればいいんじゃないすか?」
「んもー、簡単に言ってくれちゃってさ」
他人事のクルルは軽くそう言い、当事者のケロロはクルルを目を細めて軽く睨んだ。
「まぁ、普通だったら」
わざとらしく一呼吸置き、クルルは言葉を続けた。
「こんな厄介な奴、適当に遊んでヤり逃げを一番オススメしますけどねェ。ま、隊長には無理だろうけどな。く〜っくっくっく」
「ま〜たそんな事言う」
「どうせやらないんだから何言ってもいいじゃないスか」
くっくっく。と笑うクルルが、本気で言ってるわけではないと判るので、ケロロは怒らずにふうとため息をついた。
「『尻尾付き』と遊びたい奴なんていくらでもいるだろ? もったいないぜぇ、隊長。コイツがこんな性格じゃなかったら、軍のお偉いさんに媚売ってやりたい放題できただろうになぁ。く〜っくっくっく」
「でも、タママがこんな性格じゃなかったら……」
言いかけてケロロは言葉を呑み込んだ。
思わず言ってしまいそうだったのだ。
でも、タママがこんな性格じゃなかったら……、我輩好きにならなかったであります。
そう言いかけた自分自身に慌てた。
事態はもう、後退りできないところまで来ているのではないだろうか?
セーブするとかしないとか、もう手遅れなのではないか?
そう思うと、ケロロの額から冷や汗がついと流れた。
「ほだされるのって悪い事かなぁ?」
一途で、純粋で、不安定な、子供。誰よりも自分を愛してくれる。
そのかわゆい顔で迫って来るのは卑怯であります。
タママが目に涙を浮かべ、好きだと迫られるのは理性がぐらぐら来る。
男だとわかっているが、可愛いものは可愛い。一線を越えるか超えないかまで追い詰められているのが自分でも判る。きっかけさえあれば、自分はタママを受け入れてしまうだろう。
だがそれは、「好き」なのか。と言うと、ケロロの中で疑問が残る。
「可愛い」のは間違いない。自分を一途に求めてくれるタママがいじらしい、可愛い。抱きしめてやりたい。
でも、我輩には、覚悟はあるの?
タママをすべて受け入れる愛はあるの?
そう自問自答すると、後退りしてしまうのだ。
「少なくとも。同情なんかで相手にすると後で後悔する相手だと思うぜぇ」
クルルが二杯目のオン・ザ・ロックを口に運びながら、のんびりとPCに目を向けている。映画のストーリーは、ヒーローと犯人の対決まで進んでいた。
「あの手の奴には、油断してるとこっちが食いつくされるからな」
「そうそう、こっちがその気になった所で、タママの気が変わったら? と思うとぞっとするよね〜。ほら子供って気が変わりやすくて残酷だからさ。のめりこむの怖いんだよね」
「以外だぜぇ……」
指で氷をくるりと回しながら、クルルが呟いた。カランと氷の音が二人の間に響く。
「隊長は誰のものにもならないとばかり思ってたんスけどね」
クルルがケロロに向き直り、なぜかまじめにそう言った。
「タママが可愛いんであります。できるなら泣かせたくないし、我輩のできる範囲で望みをかなえてやりたい」
無表情で言うケロロの顔に、PCの映画が反射して微妙な陰影をつける。ケロロの心は、その表情からは伺えない。
「でも、我輩がそう思うのは恋なのかなぁ〜?」
フゥーと盛大にため息を付きながら、ケロロは天井を見上げた。
疲れるからこの事を考えるのは嫌いだった。だが、クルルがきっかけで、自分でも良く判らない自分の心を追求する気になったのだ。
いつかはちゃんとしないといけない事であります。
自分の心を深く掘り起こして、何が出るのか……。
大体は予想しているけれど、面倒だという気持ちがぬぐえない。できたら、確かめずにずるずると行きたいが、そろそろ発掘作業を始めなければいけない。
「人の気持ちは移ろいやすいもの。だからさ、その瞬間って大事だと思うんであります。タママだってきっと何れは他の誰かへ気持ちを移ろわせる」
一言一言、よく考えて、ゆっくりとケロロは口にする。
言葉にする事で、気持ちを確かめる。
「だからこそ、せめて今は強く抱きしめてやりたいって思うんであります」
口に出して、ああそうかと思った。
タママを抱きしめたい。それは真実。
分からない事や考えなきゃいけないことは沢山あるけど、それだけはケロロの中で揺るぎ無い本当のこと。
「俺には理解できないね」
不満そうなクルルの声に、ケロロは思考の海から現実へ引き戻された。
「隊長は、よっぽど人を信じていないのか、それとも、欲しいって奴には誰にでも与える博愛主義者なのかい?」
人を信じる。なんて台詞がクルルの口から出た事に驚いたが、クルルの不機嫌な口調に、それを追求するのはやめた。
「う〜ん、どっちかな? でも。誰にでもって訳じゃないでありますよ。我輩メンドクサイの嫌いでありますから、基本的には逃げるであります」
ケロロが腕組みをして首をひねる。
「クルルが我輩は誰のものにもならないって言ったの、それ当たってるよ。どんなに誰かにのめりこんだって、結局我輩は一人だと思ってるからね」
自分の心の中にはいくつものドアがあって、そこを開けて受け入れる人は限られている。
どこの誰にも、たとえタママやギロロにでも開けられないドアがあることをケロロは自覚していた。
「でも、さっきも言ったけどさ、だからこそ誰かと重なる瞬間を大事にしたいじゃん。我輩の場合のめり込んで痛い目見るんだけどね〜」
気持ちと気持ちが重なる、キラキラとした瞬間。一緒にいられる今を大切にしたいと思う相手を、宝物のように大事にしたい。
……覚悟は決まったとはっきり言えないけど、我輩、自分の気持ち判ったであります。
タママと共に生きる時間を共有したいよ。
それだけは、ほんとであります。
ソレに伴うトラブルは、まぁ、そん時どうするか考えるって事で、保留。
でもきっと、我輩、何があっても、めんどくさくても、文句言っても、きっとタママと一緒にいるであります。
……タママのこと、好きでありますから。
ケロロが心の中でそう呟き、ベッドですやすやと寝息を立てるタママをじっと見つめた。
「なんだ、のろけかよ」
その言葉にケロロがクルルの方を振り向くと、 けっと言葉を吐き捨て、クルルがゆるゆると立ち上がるところだった。付き合ってられるか。というところだろう。
「隊長、結局心決まってるんだからなぁ……」
いつものごとく面倒から逃げ出して、タママへの対応に四苦八苦するケロロを肴に酒を飲もうと思っていたのに、これでは面白くもなんとも無い。
「誰かに言って欲しいなら言ってあげますぜぇ。『隊長はタママが好きだ』これで満足かよ?」
「ゲ〜ロ〜。聞いててそう思った? 我輩も思った」
んだそりゃ。とクルルがこめかみに青筋を浮かべ、怒りを込めて呟いた。
「何の事は無い。隊長、何もったいぶってるのかと思ったら、自分追っかける二等みてニヤニヤしたいだけじゃないスか」
「あ、やっぱわかるぅ? だってこんなタママ今だけだよ〜。もったいないじゃん」
「いい趣味してるぜ」
クルルは吐き捨てるようにそう言い、ぐいとグラスの中の酒をすべて飲み干した。
付き合ってるだけ無駄だ。馬鹿馬鹿しい。そんなオーラを全身から出している。
「あんなさ、一途で、純粋で、嫉妬深くて、お調子乗りのかわいいこ、誰かが受け止めてあげなきゃいけないでしょ」
すでに冷蔵庫に向け、歩き出しているクルルの背にケロロが駄目押しのようにそう言う。
「ごちそーさん」
クルルはケロロを振り返りもせずに冷たくそう言い、冷蔵庫の奥へ消えて行った。
クルルの背を見送り、ゆっくりとケロロがPCの画面へ視線を移す。
すっかり上の空で見ていた映画は、ヒーローとヒロインが抱き合う、ハッピーエンドで幕を閉じていた。
ENDE
20060306 UP
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