吉祥神狐


 コーヒーの香りが漂う店内からぼんやりと外を眺めていると、ガラスの向こうで目のあった隼人が笑った。
 白い襟巻きをなびかせて、軽く手を上げる。
 行きかう人の群れの中で隼人の黒だけが鮮やかに視界に飛び込み、まさかこんなところでという戸惑いに我を忘れて思わず見入った。
 ヤッセンボーをとらえた隼人は横文字のコーヒーショップへ臆する事無く足を踏み込み、数分後には首尾よくコーヒーを手にいれ隣に座る。
「ふん、そなたがオロオロするところでも見物してやろうかと思っておったのに」
 不意打ちで現れた隼人に目線も気持ちも持っていかれ、その上当たり前のように隣を占めるのを許している自分に気がつき、ヤッセンボーは思わず減らず口をたたいた。



炎昼、鬼一口


 夏の日差しを大木が遮って、気持ちのよい影をつくる。
 涼をもとめて縁側へ腰掛け、はらりと開いたヤッセンスで風を送る。
 その隣に虫あみと虫かごを手に駆けてきた白い子狐が勢いよく座ると、炎昼に荷葉の衣香が、蓮に似せた夏の香りがふわっと広がった。
「ヤッセンボー様、見てください」
 くぐり狐たちが暑さを心配して被せた麦わら帽子を取るのももどかしく、コンコンは隣に座るヤッセンボーに、セミを詰め込みすぎて真っ黒になった虫かごを差し出した。
 ダンディで雅で虫が触れないヤッセンボーは、う……と小さく声を上げかけたが、辛うじて飲み込む。



幻魔神狐ヤッセンボー 年末年始激闘編


「ヤッセンボー様、さきほどマジックショーに使ったこのコーラ、本当にペプシに変わったのですか?」
「変わるわけないであろうが」
「でも……。このコーラ、本当に味が変わってます」
「え? なんで? ペプシに変わった?」
「いえ。なんだか、安っぽい……」
「なぬ?」
「ヤッセンボー様のコーラ、安っぽい味になってます」
「はぁあ。なんじゃそれは、やす、安っぽいって。我が、安っぽい味って……! そんな事言われると傷つくであろうが!」
「ち、違いますヤッセンボーさま。ヤッセンボーさまが安っぽい味なんじゃなくて、コーラが! コーラが安っぽい味に」



たそがれ


 半狂乱の母親が泣き叫ぶ。
 血走った目でヤッセンボーの足元に取りすがり、わたくしの命は差し上げますから、この子をどうか助けてくださいと懇願する。
 母親に抱かれた生まれたての子狐はぐったりとして動かない。真っ白な毛皮に包まれた体は体温を失い、今まさに短い生の終わりを迎えようとしている。
 ヤッセンボーが手を伸ばすと、子狐の母親がはっとして泣き叫ぶのをやめた。震える両手でわが子を差し出し、瞬きもせずにヤッセンボーを見上げる。
 子狐を受け取ったヤッセンボーの両の手に感じるぐんにゃりとした柔らかさは、この子の命がすでに助からぬ事を否応無く伝えてくる。
 側に控えるくぐり狐が、手遅れと知りつつ子狐を抱き上げた主の心中を図りかね、かすかに身じろぎした。



くぐり狐草紙


 そこにいた時のことはよく覚えていない。汚水に濡れて歯の根が合わぬほど寒く、腹は空っぽなのに血と肉の腐った臭いが酷くて何度も嘔吐した。
 苦しんでのた打ち回っても誰にも気にとめてもらえず、この世に見捨てられてとにかく惨めであった記憶がうっすらとある。それ以上思い出しても碌な事はないと過去は捨てた。
 だから、我等の生はヤッセンボー様に出会った時から始まっている。
 父母から授かりし命より、虫に必要とされている分、鼠の死骸のほうがまだ価値があった。そんな生きながら死んでいる名も無き我等を救い上げてくださったのは、その白き御手。



アフターダーク


 墨を含ませた筆の先が軽やかに動き、さらさらと文字を綴る。
 優美な字に似合わぬ張りつめた気配が最後の一文字を書き終えるとふっと緩んだ。筆をおき、溜めていた息を吐く。
 霧島をはじめとした各方面へは根回しをかねた侘び状をすでに送った。
 後回しにしていた、上洛し此度の事情を説明せよという稲荷大明神の呼び出しへの返事も今しがた書き終え、あとは沙汰を待つばかり。
 島津の殿様のように上洛をのらりくらりとをかわしてもよいが、筋を通すことにした。
 吉野狐に、ひいてはコンコンにあらぬ火の粉がかからぬように。



幻魔Happy Holidays


 そろそろ御節の用意をしなければいけないなと思っていた矢先に、シール張りから戻られたヤッセンボー様がうきうきとコンコンに向かって仰った。
「コンコン、クリスマスプレゼントは何がよいかの?」
 ちょうど揃っていた五人が一斉に顔を見合わせた。互いの顔に、クリスマスなんてあったんだと書いてある。
「コンコンはよい子じゃから、ゲームでも、おもちゃでも、なんでもよいぞ」
 どこで何に影響されたのか、ヤッセンボー様は上機嫌でコンコンに迫るが、急にそんな事を言われたコンコンはあわあわと焦った後、口に手をあてて困ったようにうつむいた。



きつねのおてがみ


 よしのぎつねのみなさん、おとうさんおかあさん。


 きょうは、くぐりさんがおにくをたべたいっていってつかまえてきたカモのはねをむしるおてつだいをしました。
 はねをちらかさないでねっていわれたのに、くしゃみをしたときにはねをたくさんちらかしてしまいました。
 どうしてくしゃみをしたのかっていうと、おはなにはねがついたからです。
 はねをちらかさないでねっていわれたのにはねをちらかしたので、ぼくはごめんなさいっておもって、ちょっとだけなみだがでました。
 そうしたら、「みたぞよ〜」ってこえがして、ヤッセンボーさまがいました。



桜散華


 力が欲しかった。
 どんな手を使ってでもいい。
 この鹿児島で、力の弱き者達が蔑まれた悔しさを、認められぬ無念を晴らすために。
 
 青く晴れた空から南国の光が降り注ぎ、錦江湾がキラキラと光って桜島がよく見える。
 かごんまは、まっこて、みごち、よか所じゃ。
 こんな素直な気持ちで桜島を見たのは初めてだとヤッセンボーは思った。
 晴れた日の桜島をみて気づく。
 思っているより我は弱くない。
 暴力による復讐の成就こそが生きる全てだと思い込み、追い詰められて闇に呑まれる事を選んだ過去の自分に教えてやりたい。



薩摩琵琶


 力強い音が高く低く重なり合い夜の闇を震わせる。
 一人剣を振るっていたくぐり狐は音を求めて振り返った。
 ヤッセンボーのいる離れから流れる、激しいけれど、どこか哀愁のある薩摩琵琶の音に耳を傾ける。

 『目出度やな 君が恵みは久方の』

 琵琶の音に乗せた語りは隼人の声。
 ヤッセンボーとは違う音であったが、これもまたいいとくぐり狐が鍛錬の手を止めて聞きほれた。


病院へいっど! 爾後


 深草少将のように百日通いつめるつもりかとくぐり狐衆に冷やかされるほどヤッセンボーの元を訪れていた隼人が、ぱったりと姿を見せなくなった。
 我には美味い飯も酒も温かい床もついてくるのじゃから当然であろうと素っ気無いそぶりを見せていたヤッセンボーは、隼人が訪れぬと心配するくぐり狐衆にも、どこかよそで酒が飲める場所を見つけたのであろうと言って平気な顔をしていた。
 一人寝の寂しさと不安を誰にも漏らさず、ただ身の内で慰める夜を重ねるヤッセンボーの前に、くぐり狐衆が「隼人に立会いを申し込んできました」となだれ込んできたのは先ほどの事。
 曰く、隼人はヤッセンボー様の元に来ず何をしているのか調べた所、夜な夜なあちこち飲み歩いている。絶対に許せない。
 大切な主を蔑ろにされて激怒するくぐり狐衆に、隼人なぞほっておけと言ったが、今にも飛び出していきそうなくぐり狐衆の怒りはとてもおさまらぬ。



20140413 UP

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