アイデンティティ・クライシス







 インド人インド人カレー我カレー隼人カレー麺inカゴンマ。
 ヤッセンボーは周囲の布陣を確認すると、ダイサイゴーのように大きなナンとバターチキンカレーに目線を戻した。スパイシーで美味しそうな匂いが食欲をそそるが、どこか何かが引っかかる。
「なにゆえ我はそなたらとインドカレーを食べておるのか……。すごく妙な気分じゃ」
 ぽつりとヤッセンボーはひとりごちたが、その原因となった隼人はテーブル席の隣に座り初めて食べるインドカレーに能天気に喜んでいる。
 シール張りと恒例の立会いの後、ラーメンでも食べに行くかと話していると突然麺inカゴンマが現れた。おそらく偶然ではない。シール張りをすると隼人が現れるように、ラーメンの話に魂を惹かれて麺inカゴンマはやってきたに違いない。
 そこまでラーメンと太い絆で繋がっている麺inカゴンマを隼人が突然目の前のインド料理店に誘った時はひったまがったが、麺inカゴンマがその誘いに応じたのにはもっとひったまがった。
 小声で問い詰めると「好奇心を抑えきれずついやってしまいもした」と言われる。
 隼人には「好奇心は猫をも殺す」ということわざもあるのだと後で言い聞かせるとして、麺inカゴンマはラーメン以外のものを食べるのかという疑問を抱くのも無理はないと思う。体が鹿児島ラーメンと合体しており、頭に箸が突き刺さっているこのボッケモンは、隼人以上に生態が謎につつまれている。
「このおもしろトリオに我も入っているのはなにやら不本意な気も……」
 首をひねったヤッセンボーの呟きをよそに、隼人は意気揚々とスプーンを取り上げた。
「そいならおいがうんまかインドカレーの食もい方の見本を示すっで。まずはこん辛い唐辛子ペーストをな、ずんばい入るっと。ズシち。こげんしっせー、思い切ぃスプーンでかき混ずっと。そして冷めんうちに食もる……!」
 ガチャガチャと大雑把なしぐさでカレーを混ぜると、不穏な色に染まったカレーから刺激的なにおいが立ち上る。
 いつかのお茶淹れ勝負を思わせる謎の自信を漲らせ、真っ赤なカレーをスプーンですくった隼人に感じた「大丈夫かこやつ」という不安は的中し、カレーを口に入れた隼人が一瞬のどや顔の後勢いよく咳き込んだ。
「辛かー!!!!」
「うん、そなた以外はそうなると知っておったわ」
 隼人の心からの雄叫びに桜島に降る雪の如く冷たい言葉を浴びせると、ヤッセンボーも頂きますと手を合わせた後ナンをちぎった。
「辛っ! ウー、辛かー!! ちょっ、しもた。辛かー!」
 一口ごとに阿鼻叫喚している隼人を全く意に介さず、もくもくとナンとカレーを口に運んでいる麺inカゴンマをちらりと見ると、その後ろにいるエキゾチックな店員が隼人をじっと見つめているのに気がついた。
「隼人、そなたインド人にものすごい見られておるぞ」
 ヤッセンボーが隼人に囁いている間にその店員は厨房に姿を消し、次に現れたときには隼人にラッシーを差し出した。
「ヤッセンボーどん、インド人優しかな」
 あまりにも辛さに苦しむ姿を哀れに思ったのか、それとも果敢に辛さと戦う姿に感銘を受けたのか、サービスで貰ったラッシーでようやく人間性を取り戻した隼人が感動して言う。その後も、おかわり無料だからとナンを熱心に薦めてくるのでつい頼んでしまい、全員でかなり腹を膨らませる羽目になった。
 最後のナンを飲み込んだ麺inカゴンマがごちそう様と手を合わせると、ふと遠くを見た。
「久しぶりに純粋に食事を楽しめた気がする」
「どういう意味じゃ?」
 麺inカゴンマは仕事でもプライベートでも毎日大好きなラーメンを食べ歩いているはず。そう思ったヤッセンボーが問いかけると、麺inカゴンマに暗い影が差した。
「最近、ラーメン屋でラーメンに集中しようとしても、お客にお冷が出ていないのにはらはらしたり、おしゃべりに夢中なお客さんの麺がのびるのが気になって仕方がなかったりするんだ」
「ラーメンへの愛が膨張しすぎておかしなことになっておるな……」
 ふうと小さなため息をついた麺inカゴンマの彼にしかわからない悩みを聞いたヤッセンボーがカレーの辛さに額の汗を拭いながら返すと、麺inカゴンマは「スランプかな……」と呟いた。今度こそついていけない領域に行ってしまったので返事に困ると、ストローでラッシーを飲んでいた隼人がヤッセンボーの衣の袖をくいくいと引っ張った。
「ヤッセンボーどん」
「何じゃ?」
 ちょいちょいと手招きする隼人の意図に気づき、我の耳はここじゃと首を傾け隼人に向ける。
「麺inカゴンマどんが、カレーラーメンになっちょっど」
 兎のような長い耳に口元を近づけ、隼人が小声で囁いた衝撃発言にヤッセンボーの動きが一瞬止まる。
「まさか……」
 面の下の顔をしかめ、まじまじと麺inカゴンマを見たヤッセンボーが次の瞬間びくっと体を震わせた。
「ほ、本当じゃ」
 麺inカゴンマのどんぶりの中を満たす乳白色のスープがスパイシーな黄色に染まっているのを確認すると、ヤッセンボーは見てはいけないものを見てしまった気がして慌てて目を逸らした。麺inカゴンマが平静なのを見るに本人はカレーラーメンになっていることに気づいていないように思える。
「ヤッセンボーどん。笑ってもよかと?」
「我に聞くな! カレーラーメンになるなど、鹿児島ラーメンとしてのアイデンティティに関わるかもしれぬであろうが!」
 こそこそ小声で聞いてくる隼人にヤッセンボーも小声で言い返したが、我慢できなくなった隼人が口元を手で被い「クッ」と声が漏れた。そのまま顔を背けるが肩がプルプル震えておりヤッセンボーを大いに焦らせる。
「ちょ、何ツボに入っておる! 我慢せぬか」
「もう限界やっど」
「頑張るのじゃ!」
 我がこんなに必死に薩摩剣士隼人を励ます日が来るとはと思ったが、ラーメンのボッケモン一人の、もしくは一杯の命運がかかっているかもしれないのだ、背に腹は変えられぬと決意したその瞬間に麺inカゴンマが動いた。
「ナマステ」
 いつから国籍不明のカレーラーメンと化していたのに気づいていたのか、麺inカゴンマが胸の前で両手を合わせていつもの口調で言ったのを見た隼人の心が折れた。
「きたなー!」
 隼人を潰しにかかってきた麺inカゴンマの容赦ない一撃にあえなく撃沈し、ぶはっとラッシーを噴出したのに怒り狂ったヤッセンボーが叫ぶと、隼人がすまなそうに手を合わせた。
「すんもは〜ん。セルフなんとかちゅうやつじゃな」
 黒い鎧に白いラッシーを滴らせて頭を下げる隼人に怒りの一瞥をくれると、ヤッセンボーは麺inカゴンマに向き直って指を突きつけた。
「そなたもじゃ、麺inカゴンマ! 卑怯じゃぞ」
「卑怯?」
 心底意外そうな声をあげた麺inカゴンマに、なんと白々しいとヤッセンボーの怒りが募る。
「我もたいがいキャラが濃い方だと自負しておったが、カレーを食べたらカレーラーメンになるなんぞ、そんな面白いの卑怯であろうがー!」
 嫉妬と敗北感の入り混じったヤッセンボーの悲痛な叫びを聞いて、麺inカゴンマが人間で言うなら顎にあたる部分に手を当て首をかしげた。
「派手な狐くん、君はなぜ私と面白キャラ勝負をしているのかな……?」
 麺inカゴンマの言葉を受け、最初はキャラの濃いこやつらに混じるのも不本意と思っていたはずなのに、これが我の本心なのかという気持ちと、いや我は雅でダンディなはずとヤッセンボーが自分のキャラ立てに苦悩し始めた。
 優しい店員にお絞りを貰って鎧を拭いている隼人と、ぐらつくアイデンティティに苦悩するヤッセンボーに向かって、スパイシーな麺inカゴンマが口を開いた。
「それで、君たちは茶番の帰りだったのかい?」
「いや、茶番でなくてチャンバラの……」
 麺inカゴンマの厳しい言葉に、ヤッセンボーはもごもごと口ごもり居心地悪そうにしたが、隼人は呵呵大笑して麺inカゴンマに言う。
「麺inカゴンマどん、辛いカレーを食もったら辛口になっちょっど」
「やめんか隼人! 面白い感じの事を言うでない! ますます我の存在が薄くなるではないか」
「カレーラーメンの起源については諸説あるが、醤油、味噌、塩に続く第四の味と呼ぶところもあるほどメジャーになりつつあるんだ。カレーラーメンを有名にしたのは、1973年発売の日清食品『カップヌードルカレー』であり……」
 エキゾチックで優しい店員はうるさい変な三人組を追い出さず、片言の日本語で最後まで親切に接客してくれたが、インド料理屋の店員である彼らが実はバングラデシュ人であることをボッケモンたちは知らない。



終 



20140607 UP

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